横八会員投稿 No.309

題名 投稿3題
    その1 さよならムーミン
    その2 軍艦旗
    その3 思い込み
投稿 伊藤 博(7組)
掲載 2009.01.24

ウノ目タカの目
    その1. さよならムーミン
 
1月18日JR高崎駅〜横川駅間に沢山の鉄道フアンが溢れた。
JR東日本が保有する最古の電気機関車、流線形が流行った1936年に時代の寵児として
デビューした電気機関車EF55系のさよなら運行が行われたからである。
写真に見る通り外観がムーミンを彷彿とさせるところから、鉄道フアンには懐かしいレトロなニックネームである。

        

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歴史探訪
    その2 軍艦旗

国立博物館表慶館で現在開催中の「未来をひらく福沢諭吉展」は連日盛況である。
豊富な資料により、福沢諭吉の生涯とその我が国近代化の啓蒙に貢献した足跡が判りやすく紹介されていて多くの発見がある。

福沢は明治34年(1901年)にその生涯を閉じたが、見送る塾生の長蛇の列が三田の山を降りて行く写真がある。その旗手が掲げているのは軍艦旗(16条旭日旗)である。
一瞬、はてな?と思ったが、すぐそのナゾは解けた。

ヒントは「咸臨丸」にあるのに気がついた。我が国の近代海軍の嚆矢は「咸臨丸」。

当時船尾に掲げていたのは「日章旗」であったが、その後制定された「旭日旗」は太平洋の波頭を乗り越えて渡米し、日本の近代化の先駆けとなった福沢のメルクマールに相応しい象徴だからであろうと忖度した次第である。

因みに、軍艦旗の制定は明治16年(1883)、勅令による施行は明治22年(1889)である。

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歴史探訪

          その3 思いこみ

思いこみは時にして判断を大きく狂わすことがある。

幼少より旧帝国海軍鎮守府のお膝元で育ったからであろうか、旭日旗をみると見なれていた軍艦旗を条件反射で想像してしまう。

今回、国立博物館の「福沢諭吉展」の福沢葬送に従う学生の掲げる旭日旗の写真を見て、その瞬時に軍艦旗と思い込み、いろいろ独自の推理を巡らしたが、この件に関して、大先輩で経済学の泰斗で史実にも詳しい敬愛私淑しているS先生から貴重な情報を頂き、私の単なる推測が間違っていることが判明した。

陸軍の連隊旗にも旭日旗が用いられていたのを知らなかった。幼少のころ、壮絶な戦闘の場面を描いた絵を見た限りでは、旗手がぼろぼろで周りの「ふさ」しかの残っていない連隊旗を必至に守っている記憶が強く、連隊旗の構図まで正確に承知していなかったことも一因であった。

S先生からお教え頂いた慶應義塾における史実を紹介すると下記の通り。

『明治29〜30年ごろ生徒隊(報国隊と教練を混ぜたようなもの)編成。同32年福沢よりふさ付きの連隊旗を授与。同34年 福沢死去、葬儀。生徒隊参列、となっている。 
現在と違って当時は、福沢も武士(職業軍人)の出で日清戦争の勝利に湧いている時代。学生の先頭に連隊旗を持った学生が行進しても不自然ではなかった』

この生徒隊旗が旭日旗であった可能性は極め高い。
また、これに関して尊敬する先輩のN氏からは、次のようなご指摘を頂戴した。

『福澤先生は1894年3月15日に自ら生徒隊旗を生徒隊に渡しています。

この生徒隊は陸軍の演習のために編成されておりふさのある旭日旗です。

もし、軍艦旗としての旭日旗とすると、和光大学の原田勝正経済学部教授の説として、福沢先生の
亡くなった時代では
旭日旗は特別な意味を持っていたようです。

 その説は、 1894年8月イギリスの中立保障を最高のよりどころとして日清戦争が開始された。この保障は、
条約改正への道をひらくという点もふくめて、日本の支配体制にとって一石二鳥の効果をもたらすが、もうひとつ、
彼らにとっては、「文明国日本」の保証証明書の意味を持っていた。だからというべきか、福沢諭吉は、この戦争を
「文明の野蛮にたいする戦争」と意義づけた。

 俗謡は「恨み重なるチャンチャン坊主」と、中国文化にたいする長い伝統的追随を一挙に逆転して文明的優越の
地位に立ち、強い侮蔑の立場を歌い上げていった。

 このような俗謡も、かつて「オッペケペ」で民権論を鼓吹した川上音次郎の舞台「壮絶日清戦争」も、戦況を報告する
錦絵も、それらはすべて日の丸から四方八方に光芒を放つ旭日旗を背景に持っていた。連隊旗、軍艦旗にデザイン
された旭日旗は、この戦争を通じて新興「文明国」日本の象徴としてその存在理由を確立したのである。

従って、文明国としての日本へ導いた福沢先生を送る旗として旭日旗が立てられたように思われます。

小生の意見としては朝日新聞社旗のようにも思われます。 葬列の取材に来ていた朝日新聞が使用していた
のではと思います。
 

朝日新聞社旗旭日旗は極めて似ていますので写真をもっと検証しないといけないと思いますが・・・・・』

以上の諸見を総合して、どうやら私の単なる推測は間違っていたようである。誤りを正すに憚ること
無かれ、思いこみの落とし穴を再認識した反省の辞である。

それにつけても、福沢展から学ぶことはあまりにも多い

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