横八会員投稿 No.263

題名 歴史探訪、日露戦争における武士道エピソード
投稿 伊藤 博 (7組)
掲載 2008.05.29


歴史探訪
 
                日露戦争における武士道エピソード
 
先に、第一次世界大戦における「青島の捕虜の収容所」に関する史実を紹介しましたが、
それに呼応して、私淑する元幕僚であった知人から、下記のようなエピソード 
を頂きました。
 
温故知新で当時を知る貴重な事実だと思われますので、ご紹介する次第です。
 
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捕虜の話と第九の話、面白く読みました。有難うございました。
添付したのは、私が書いた日露戦争時の捕虜の話です。
その他のエピソードも私が書いています。興味があったら読んでください。
           海野幹郎
 

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日露戦争における武士道
愛媛・松山に残る美談

四国全体図 メモ :松山市=人口:478,536人 (平成16年6月1日現在)
日本最古の道後温泉は全国的に有名。また、松山城、二之丸史跡庭園、正岡子規を讃える正規記念博物館などがある。自然に恵まれ風光明媚な街としても有名。夏目漱石の小説「坊ちゃん」の舞台としても有名。
市内には多数の宿泊施設もあり四国観光の拠点として発展している。街を一つの博物館とするフィールドミュージアム構想等、官民一体となった観光産業に取り組む。
参考=松山市ホームページより

    明治37年、日露戦争が始まると、松山俘虜(ふりょ=捕虜)収容所には全国で最も多い延べ6.000人余りのロシア兵俘虜が収容されました。(収容所は全国で29ヵ所あった)
俘虜といっても外出自由であったほか、将校や妻帯者は一般家屋に住むことも許され、市民との交流も親密であったと言われています。そして、病気や負傷で亡くなった98人の将兵のために立派な墓地が作られました。
ロシア兵の墓に黙祷する生徒たち    墓地は今も保存会や婦人会、近くの市立勝山中学校の生徒達が清掃奉仕を続け、供物や花の絶えることがありません。その98柱の石碑の中に、とりわけ大きなボイスマン大佐の墓がありますが、彼は旅順艦隊の戦艦ペレスベートの艦長で、海戦で負傷し捕虜になりました。日本側は、大佐という階級と負傷兵であることを考慮して、ロシアに送還しようとしたが「兵卒と共にありたい」と拒み、それなら妻子を呼び寄せよ、と勧めましたがこれも謝辞し、収容されて八ヵ月後、胃がんで他界しました。享年50歳。
当時の記録によると「ロシア人の武士道」に感動した会葬者の列が数町に及んだといわれており、今もなお地元の人々の手でロシア人墓地が清められ、供養の花が絶えないのは彼の存在が大きいからだと思われます。
当時松山では、県が県民に対し「捕虜は罪人ではない。祖国のために奮闘して敗れた心情を汲み取って侮辱を与えるような行為は厳に慎め」と何度も訓告を発しました。
   当時の日本人には武士の気概が色濃く残っており、かつそれに松山人の持つ“お接待の心”が加わってこの美談が生まれたものと思われます。
ロシア人墓地今もその気風が松山に伝わっているということは嬉しいことであり、また、ロシア側にも、「武士道」とも云うべきこのような考えと行為があったという事実も忘れてはならないと考えます。
   ちなみに、明治37年6月14日の東京朝日新聞によると、 *敵帥の軍令、露都発電報によれば、クロパトキン大将は左の趣旨の軍令を発せりという
“勇敢なる敵兵に対して敬意を表すべし、若(も)し死傷者又は捕虜にして我が手に落ちる時は死者に対しては軍隊礼式を表すべし、傷者に対しては我傷者と同様丁重に取扱うべし” という記事が載っています。
報道の日付から考えて、これは明治37年2月の日露戦争開戦から4ヶ月後に敵帥クロパトキン大将から出されているものと思われます。
   なお、イラクに多国籍軍として陸上自衛隊を参加させることに関連した国会(6月)での質疑応答で、小泉首相が松山の捕虜収容所の話に触れて、そこで亡くなったロシア人の墓地が現在も地元の人々のお世話できれいに保存整備されているという話が披露されていました。
   この話に示されている日本人の優しさと武士道精神及び「ロシアの武士道」に感動した明治の人々の気持ちを今後とも我々は持ち続けたいものであります。

ロシア人墓地マップ

参考文献:
1.東京朝日新聞明治37年6月13日号
2.‐挿絵で読む-「坂の上の雲」をゆく P.86〜91(産経新聞取材班)
3.パンフレット「坂の上の雲」をたずねて P.32〜33(グラフ松山2004.3 No.60)
4.パンフレット 坂の上の雲マップ P.6 (松山市産業経済部)
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