横八会員寄稿 No.262

題目 歴史探訪、青島の風
投稿 伊藤 博 (7組)
掲載 2008,05,28


歴史探訪

              青島の風

月27日の日本経済新聞に習志野市にあった第一次世界大戦の捕虜収容所の逸話が紹介されている。

主に青島にいたドイツ兵の捕虜は鳴門、久留米にも分散して収容されたが、習志野は多いときで
1000名に及んだという。
当時の日本は捕虜を国際法に則った待遇をした結果、地元とも音楽、演劇、料理等を通じて親しい
交流が行われていた。

因みに、この時にワインやパンの製法も伝えられ、特に千葉県は江戸時代より酪農の地、戦前から
農商務省直轄の畜産試験場もあった背景もあり、ソーセージの製法はこの時に伝授されて、習志野が
日本発祥の地と言われる。

捕虜による音楽の演奏活動も活発に行われた。
爾来、習志野市は音楽の普及にも造詣が深く今日に及んでいる。

また、当時の収容所長西郷寅太郎(西郷隆盛の長男)氏がスペイン風邪で亡くなった日時が記録に
より食い違っていたが、正確に判明したのも元捕虜であった人の証言であったという。

これに関連して想い出されるのは、約10年以上前であろうか、やはり習志野捕虜収容所の音楽演奏
に関するエピソードである。

それは、本邦初の「第九」の演奏が、世に言われている鳴門より習志野の方が早かったのではなかろうか
という新聞の推定記事である。

その根拠は、
1.オーケストラの後ろに合唱団が写っている写真が残されている。
2.当時のそれを聴いた捕虜の日記に「ベートーベン」と記されている。
3.古老(当時子供であった)で、ドイツ語の「第九」の歌詞の一部を憶えてそらんじている人がいた。
  (当時の時代背景から、「第九」の練習を聴いていた以外には考えられない)

以上の状況証拠があるにも拘わらず、残念ながら「第九」と明確に断定するものが、当時はまだ出てきて
はいなかった。

然し、今回の新事実の元捕虜の諸活動の発掘記事を合わせ考え、ベートーベンの合唱付きは「第九」
しかない事実を勘案すれば、習志野で「第九」が演奏された可能性の角度はかなり高いと断定しても
良いように思われる。

往年の捕虜の禍を以て福と成した文化の交流が、時代を経てその輪がとうとうと広がり、現在習志野市は
文化の隆盛を迎えている。
私も合唱を趣味としている一人として、井戸を掘った青島の人の努力を忘れてはなるまいと念じている。

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