横八会員投稿 No.255

題目 ウノ目タカの目、ところを得る
投稿 伊藤 博 (7組)
掲載 2008.04.30

  

                  ウノ目タカの目、ところを得る

今、上野の国立博物館で薬師寺展が開催されている。
修理を兼ねた公開であり、奈良の国宝を東京で拝見できる利便性にふと考えさせることがある。

本来仏像は信仰の対象であり、宇堂を離れた鑑賞は匠の技は味わえても、千年の歴史が刻む
人々の魂を救済してきたモノが伝わるか否かについての思いがよぎる。

奈良のものは奈良に行って現地で接するのがベスト。そのものが置かれた場所から切り離したものは
博物館のコレクションで、単なる知的好奇心を満たす存在ではあっても、そのものを創造した意図が
薄くなるように思われる。

東京にいれば、居ながらにしてなんでも見ることが出来る。もしそれで全て判ったと思うのは物事を
半分しか見ていない疑似体験の思い上がりのような気がする。

モーツアルトを聴いてウイーンに、エルミタージュ展を観てモスクワに、 TVの旅行記を観て
その地を訪れたくなる。現地で本物に直に触したくなるきっかけは様々である。

東京で無機質に展示された薬師寺の仏像はそれぞれ風雪に耐えたまぎれなき本物だが、
これを契機に奈良に行きたくなる感動を得る人がはたして何人いるであろうか。

さて、昨今はTVを媒体に上方芸能大手の関東進出が目を引く。ビジネスとしては大きな市場で
ある関東に押されて関西が低迷気味なので、シフトに賭けるというのもわからない訳ではない。
だが、本来の上方喜劇や漫才は道頓堀のあの活気に直に触れてみなければ独特の雰囲気の
楽しさも半減するような気がする。

江戸で観たら、次は是非大阪ミナミになんとしても行きたくなり、沢山の人が大阪に流れるようなそんな
姿が本物の文化の力ではなかろうか。
そうさせるのが大阪のど根性であり、誇りであったはずである。
お江戸のブラックホールの吸引力に、上方への回帰力が対抗できないほど人材まで払底してしまった
訳ではなかろう。

関東は上方ドタバタの生まれ故郷ではない。もの珍しさと意外性の可笑しさや面白さはあるが、
今後永久に文化となって生き続けるか否かの保証はない。各地からの寄り合い所帯の東京人は
流行に敏感で飽きっぽい。

道頓堀の名物、一世を風靡した「食い倒れ」が店を閉めた。客が減って採算割れが続いたと聴く。
あの客寄せの動く人形が姿を消したのは寂しい限りである。

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