横八会員投稿 No.248

題名  歴史探訪、飽食の時代に
投稿者 伊藤 博 (7組)
掲載  2008.04.17

歴史探訪

              飽食の時代に

餓死」という言葉は、我が国ではもはや死語と化している。
然し、広く世界を見渡すと、飢餓に苦しむ人の数は
8億人。その内餓死者は、「アフリカ」と
「南アジア」を中心として毎年
1,500万人〜1,800万人にのぼると推定されている。

飽食の国・日本でも、近年は安全保障の視点から、食料自給率が40%を切る高輸入依存度を
改善する必要性が叫ばれるようになった。

経済が低迷して成長が止まり外貨が不足すれば食糧を買うカネもなくなる。
更に、これまでの食料輸出国からいつまで輸入できるかという保証もない。

振り返れば、我が国が今日ほど食料事情に恵まれた時代は無かった。
にもかかわらず、せいぜい敗戦後の食料不足でひもじかった想い出がせいぜいで、有史以来正に
餓死と隣り合わせで歩んできた長い歴史を明確に意識している人は少ない。

近くは江戸時代を通観しても、大飢饉の連続・塗炭の苦しみの中で逃散、打ち壊し、一揆が多発
していた。

良く知られている江戸の「三大飢饉」(享保17年、天明4年、天保8年)により、我が国の
人口は激減したと言われる。当時を記した「農喩」(鈴木武助著)並びに「天明卯辰策」
(上野家文著)等によると、我が子や親の人肉まで食べたという幾多の生々しい記録が出てくる。

江戸時代は約50年毎に大飢饉に襲われているが、それ以外にも下記の通り恒常的に天災・人災が
絶えず、それは必ず食糧危機を伴ったので日常いたるところに餓死者が出ていたのである。

明暦7年(1657)        江戸大火(振り袖火事)死者8,000人

明和7〜8年(1770〜1771) 諸国干魃
  9年(1772)        江戸大火(焼失寺社178、大名屋敷127、
                  中
屋敷878、万石以下屋敷8,705、焼失町数628町、
                  怪我人6,161
人)、死傷者の数知れず。
                              諸国風水害。関東では4,000軒吹き倒れ。

安永2年(1773)        江戸疫病流行。死者19万人

  3年(1774)        東北仙台藩を中心に疫病上方大暴風と洪水

  7年(1778)        京都・日向洪水、伊豆大噴火

  8年(1779)        桜島大噴火(死者16,000、牛馬死2,000)  

天明2〜数年(1782〜)     天明の大飢饉
                 (餓死者102,000、病死
30,000、
                  廃絶家屋
35,000、逃散他20,000)

  2年(1782)        浅間山大爆発(25里被害甚大、死者35,000)

  5年(1785)        江戸大火、大阪大火、畿内・東海大洪水 

  6年(1786)        大干魃、江戸大火、関東大洪水

  7年(1787)        近畿以西長雨、瀬戸内イナゴ大発生等々、その他多数。

翻って、今日は大量に出る生ゴミの大部分が食べ残しで、コンビニは売正味期限の切れたまだ十分に
食べられる弁当の処分に困っている。野良猫が過栄養で丸まると太り糖尿の化ありとは、喉もと
過ぎれば熱さを忘れて、どこか間違っている気がしてならない。 

                                以 上

                                   下田にて                

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