横八会員寄稿 No.176


題名    No.175 准教授の名称に関する答
寄稿者   伊藤 博 (7組)
掲載    2007年6月23日



No.175 「准教授で何だろう?」という私近藤の問合せに関し、現役の伊藤博君より下記の
ご返事を頂きましたので、以下に掲載させて頂きます。

近藤兄
 
貴HP拝見しました。
 
助教授と準教授についての基本的な定義の相違点は貴考察の通りです。
しかるに、敢えて呼称を変えた真意はまた別かもしれません。
 
大学は伝統的に講座制を採用してきましたので、一講座に教授は一名。
手が足りない部分を補足する意味で、助教授、助手等を自分の傘下にいれた徒弟制でした。
従って、助教授は、その一つの講座の後釜をねらて忍従をしいられていました。まれに、
新講座の開設でもあれば、(学力・人格よりむしろ、)指導教授のお気に入りの、めがねに適った人が
その幸運を掴みました。
 
然るに、最近の輻輳した社会現象は、単眼的な視点だけは解明出来ず、むしろ、複合的・総合的な
視野から究明しないと解けないことが明らかになったことも要因となり、従来の狭い分野での碩学の象牙の
塔の存在の比重が薄れ来ています。アメリカ的なプラグチックな思考も影響して、社会の実学指向が高まり、
学際的な新たな新講座開設の必要性の要請が増えてきました。
また、少子化に伴う大学存続競争を迫られている背景もあり、則戦力となる人材の開発
(従来の専門学校に似て)の実学指向を目玉にする大学が増えつつあります。
 
そこで、従来は鳴かず飛ばずを強いられてきた、助教授クラスにチャンスが訪れました。基本的な従来の
講座制も活かしつつ実態に合わせて、責任を持った講座を増やす為には、専門家として教授に優るとも
劣らぬ果と実力を持つ人財(敢えて人材ならず)の処遇を従来の助教授のイメージでは不十分でしょう。そこで、
米国流に「準教授」と呼称を変えただけで済む、当局に知恵者がいたという推測は説得力がありましょう。
因みに、米軍は准将と言えども、その任務を全責任を持て果たしています。
 
実学指向は意義あることですが、哲学を欠いた知識・技術は不毛を産みます。大学たるもの、
この点は片時も忘れてはならないことだと思われます。
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