横八会員寄稿 No.142


題名   歴史探訪 欲しがりません勝つまでは
寄稿者  伊藤 博 (7組)
掲載   2006.09.19



              歴史探訪   欲しがりません勝つまでは

 戦中派ならこのスローガンを知らぬ人はいないが、その多くが鬼籍に入る時代となった。

 先の太平洋戦争で、一億総力戦のために国民を鼓舞した標語である。民生を全て犠牲にして、
国家総動員令で乏しい資源を全て戦力に投入することを奨励のするために喧伝されたいわば命令であり、
これに反する行為は非国民として厳しい指弾を受けた。

 贅沢は敵。貴金属を始め、日本国中の建物から金属部品が消えた。砲弾・兵器・飛行機・軍艦等の原材料と
して供出されたのである。

 戦後生まれで物が満ちあふれた飽食の時代に育ち、戦争体験が皆無で平和ぼけした時代層の人にとって、
嘗て全国的に広く流布したこの標語を産んだ時代背景を伺い知ることすら難しいであろう。この標語は、
当時の国民学校の一小国民の少女が公募した当選作品として疑う者は誰1人いなかったのである。

  然るに真相は、実はこの作者がその少女の父親であり、敢えて娘の名前を借りて実効を狙ったもので
あったと知ったのは、戦後60年を経たつい最近のことである。

 江戸東京博物館の映像ホールで上映されている、同館制作の「東京大空襲と子供達」という記録映画がある。
その中の当時の国民学校の少年少女の生き残りの証言の1つとして、その当事者が自らこの事実を述べている。
自分の作品でもないものが急遽脚光を浴びて、表彰式やなにやらで、知らないままに国家総動員奨励の先兵に
なっていた戸惑いは、子供ながらにも違和感があり忸怩たるものがあったと回顧している。

 さて、先の大戦の総括と戦争責任については、史観によりその見方はまちまちである。
 その見解の正・誤は今後の更なる検証に譲るが、さる戦後生まれの政治家の中には、
「戦争指導者の責任は免れないが、それを許した国民にもなにがしかの責任がある」
と発言している人もいる。
更に、「欧米から仕掛けられた、やむにやまれぬ戦争であって、
戦争指導者はその犠牲者である」との見方もある。
事実は一つにも拘わらず、コインの両面のように解釈は裏表がある。

   だだ言えることは、本当の犠牲者は誰であったかということを考えなくてはならない。 
戦前・戦中の言論の自由が奪われた厳しい思想弾圧の時代背景、軍の意向に刃向かうことは命を賭すること
であったことを知らずして軽々に判断は出まい。閣僚といえども、統帥権には棹さす例外は許されなかった事実は、
戦後生まれの今の時代からは想像することすら無理なのかもしれない。

 だとすれば、国民の責任を含めて「一億総懺悔」すべしとする発想も、戦争指導者の誤謬を薄めて、
反論の術がなかった国民への責任の転化・すり替えであるとする見方も、同様に理解し難いことなのであろう。

 人は、経験する以外に真に体得はできない。映像や書物での疑似体験は、実の世界に優るものではない。
「歴史は繰り返す」という格言は、実態を知らずに理屈のみで判断する落とし穴に陥る危険性に警鐘を
鳴らしているのであろう。

 他山の石としてドイツを例に見ると、戦争を指導したナチの責任と扇動された国民の立場を厳密に分けて、
いまだにナチの残党狩りの手をゆるめていない。それが、世界におけるドイツのレゾン・デートルともなっている。

 振り返って、今回紹介した戦争高揚のためのスローガンに利用された一少女の証言は、改めて重く受けとめて、
じっくりと考えなくてはならないことなのかもしれない。

                                以 上

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