横八会員寄稿 No.137

題名    続 風船爆弾事始
寄稿者  伊藤 博 (7組)
掲載    060901 


歴史探訪     

            続風船爆弾事始 (第3版)

 

 歴史を紐解くと、埋もれた史実に遭遇し驚くことが多々ある。

 吉田松陰の師であり、彼の情報力の啓蒙に大きな影響を与えた佐久間象山は、
西欧列強が産業革命と金融資本及び近代化された武力を背景に、世界各地で激しい
植民地獲得競争にしのぎを削り、アメリカもようやく西部開拓時代を終えて、
一歩遅れて東洋への進出を企画していた当時の国際情勢を知り尽くしていた。
それ故に、ペリーの浦賀来航(嘉永6年6月3日)の翌日(6月4日)には象山が、
その翌日(同5日)には松蔭が早くも浦賀に駆けつけている。

 そこで、松蔭は、ペリー艦隊から幕府への国書授受の儀式における幕府側の卑屈な態度や、
同艦隊が幕府の許可無く浦賀沖や江戸湾の測量をした国際公法違反を見るに及んで
悲憤慷慨し、師象山に、
「日本刀の切れ味を見せてやりたい」と語ったという。
象山はこれに応えて、
「アメリカと一戦交えるなら、風船爆弾でアメリカ本土を爆撃する
ほかあるまい」と松蔭の若さと無謀さを諭したと言う。
                    (『維新の回天と長州藩』相沢邦衛著)

 当時象山はすでに、オランダ語のショメールの百科事典などで気球を作る方法を知っていて、
「それに乗って、いっそワシントンを攻略してみたい」と語っている。
                    (『日本の近代』松本健一著)

 この風船爆弾が実現したのは後の太平洋戦争であったが、それを遡る遙か
90年も前に驚くべき予言をした佐久間象山はこれを知る由もない。

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