横八会員寄稿 No.129


題名  :歴史探訪:日吉帝国海軍大地下壕
寄稿者 :伊藤 博 (7組)
掲載  :2006、08、06

歴史探訪

 
終戦記念日がまた巡ってきます。
つきましては、日吉に構築された「帝国海軍大地下壕」を紹介した冊子が上梓されましたのでご紹介します。
 
発行は、平和文化社。 日吉台地下壕保存会編で、戦争研究の泰斗・慶應義塾大学名誉教授白井厚
先生が監修されたものです。
大戦末期に、本土決戦にそなえて、旧帝国連合艦隊司令部がおかれた戦跡の現状です。
小冊子ながら、当時の時代背景を交えてわかりやすく書かれていますが、内容は濃いものです。
価格も手ごろ(600円)で、書店で注文すれば入手できます。

     

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伊藤君から梶川君宛のメールのコピーが近藤にも届きました。
上記図書に関連するものとして下記に掲載させて頂きます。

昨年貴Mailにて、三崎に基地のあった旧海軍小型特殊潜行艇が描かれた絵画をご紹介頂きました。
その潜行艇の名称を特定出来る資料を発見しましたので、ご参考までに下記の通りお知らせします。
 
それは、横八HPで紹介した「日吉・帝国海軍大地下壕」(P.54)に記載されているのですが、
 
油壺・小網代湾(格納洞窟は現在も残る)には、水中特攻撃兵器・小型潜行艇 「海龍」(長さ17.2メートル、
乗員2名、炸薬600キロを装着)を配備。
さらに、特攻艇「震洋」(ベニヤ製、自動車用エンジンを転用した高速艇。
東部に炸薬250キロ装備)の基地も建設された。(いずれも横須賀工廠が製造に関与)
 
また、久里浜と野比には、人間機雷「伏龍」(簡易潜水服を着て、敵の上陸用舟艇の上陸地点の海底に潜み、
頭上を通過する時に「棒機雷」を突き上げて爆破する肉弾兵器。潜水服の欠陥から事故が多発し、50人を越える死者が出た。
敗戦により実戦には投入なし)の訓練基地があった。その出撃基地は鎌倉の稲村ヶ崎(その洞窟は今も残る)。