横八会員投稿 No.376

題名  その1.歴史探訪、平安貴族の館を今
     その2.筑後川の流れと共に
     
その1.     
9月6日(日)9:04 入信

          歴史探訪    平安貴族の館を今

と言っても京都の話ではありません。
福島は喜多方の新宮熊野神社の「長床」と呼ばれている拝殿(国の重要文化財)のことなのです。

ご紹介する私のスナップ写真をご覧下さい。長大な規模と木太い柱の配列が特徴。
直径1尺5寸(45.5p)の円柱44本が10尺(303p)の等間隔に5列並び、
各柱には平三斗の組物、中備には間斗束が用いられています。

庇の天井の化粧垂木の並びが美しく、身舎の天井は格天井、大きな上長押と下長押。

四方が吹き抜けのため林立する太い柱の見通しはいかにも古風で平安貴族の館の荘厳な趣を今に伝えています。

社伝「新宮雑葉記」によれば、天喜3年(1055)源頼義・義家親子が奥羽征伐に赴く際に、
武運を祈って紀州熊野から勧請創建したのが始まりで、寛治3年(1089)完成遷座。全盛時には
多数の末社、霊堂が軒を重ね、100余名の神職が常任し、広大な領田を持ち、東北における熊野の威勢を
全国に知らしめたと伝えられています。

建暦2年(芦名氏の分家)佐原氏がこの地に築城。新宮熊野神社を守護神として崇めて新宮氏を名乗り
約200年間支配。宗家(芦名氏)との長年の兵戦で両家ともに滅亡後、
戦国時代に一時荒廃。その後の大地震による被害等をくぐり抜けて、慶長年間に会津藩主の蒲生氏が旧材を
用いて再建・復元。昭和の解体修理(4年間)を経て今日に威容を伝えています。

芦名氏の出身は三浦。仔細は過日の横八研究会における梶川君の研究発表でご紹介頂いた通りで、それを
補完する会津との深いご縁に連なる史跡のご紹介です。

東北の秋は足早です。まもなく長床の前に創建当時から在ったと言われる大銀杏が黄色に染まります。

                     
                        新宮熊野神社大床 写真2葉
            

            

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その2.
9月5日(土) 23:40 入信
 
         季節の風景    筑後川の流れと共に

過日、九州の保坂君がこのHPに彼の地の珍しい「三連の水車」を写真でご紹介して下さいましたが、
この度NHK−TVの「小さな旅」にて放映され、再度拝見する機会を得て大変懐かしく感じました。

筑後川から水を引き200年間も動き続けて、13ヘクタールもの美田を豊に潤しているのは、
その陰に毎日朝夕2回の点検を欠かさない水車守(大工)の努力があることも紹介されました。

また、日田地区では「鵜飼い」も行われていて、その鵜よりも上手に素手で鮎を獲る「鮎押し漁」も
野趣に富む風物詩です。

小鹿田焼(おんだやき。13代も継承されてきた)と称する全て手作りの焼き物の里でもあるそうで、
川の水を利用して添水の鹿脅しの原理の「唐臼」で土を砕いて焼き締めた、民芸調で生活に根付いた
作品は温もりがあります。
村のここかしこから臼の音が聞こえてきます。

自然と共に助け合いながら人々が共存し、のどかなリズムが流れている日本の原風景の一こまです。
喧騒の町では失われた一服の清涼剤でした。