横八会員投稿 301

題目    投稿 3題
投稿者  伊藤 博 (7組)
掲載    2008.12.11 & 13


その1.歴史探訪

        不思議な小部屋

上州・猿が京関所は三国街道の要所である。
信濃・越後・上野の三国が接するこの街道は、別名を佐渡街道。
江戸と日本海を結ぶ最短路であった。
佐渡から江戸へは金、越後からは米や越後縮み。
江戸から佐渡へは罪人が送られた。
また佐渡奉行をはじめ長岡・新発田・村上・与板等越後9藩の大名が往来した。

ここに関所が置かれたのは寛永8年(1631)。初代関守は沼田藩真田氏。
その改易後は天領となり幕府代官の高野・木村・戸部・片野の四家が交代で差配した。

               旧猿ヶ京関所
       

現在、猿ヶ京関所の残った一部が資料館となり公開されている。
関所手形、付近の絵地図と参考図、旅の諸道具、良寛使用の通行手形などを展示。
貴重な関所役宅の建築自体と江戸時代の旅を学習することができる。

正面玄関を入るとすぐ左手に、他の関所跡では目にしたことがない、
襖で仕切られた不思議な小部屋がある。

広さは畳二畳敷きで極めて狭い。障子窓やささやかで奥行きはないが軸物がかかる
床の間のような飾り部もある。いかにも手狭なこの部屋は一体何のために使用されたのか?
それを知る縁はほとんどない。

江戸時代の関所で最も目を光らせたのは「入り鉄砲に出女」であった。
そこで蛇の道は蛇。
江戸に人質として留め置かれた大名の奥方や子女の中には男装して密かに関所を抜ける輩がいた。
そこで猿ヶ京関所では、イケメン、美男と思わしきものは「身体検め」までして出女を
厳しく取り締まったとの記録がある。

実は、この小部屋こそ、疑わしい優男の身体を「検め婆婆」が検見した場所であったと、
現在の関守管理人・笛木氏(旧本陣の素封家で旧関守木村家の末裔)はかなり確信のある推測をしている。
そう思って改めてつぶさに観ると、なるほど、ピタリ!それ以外には考えられない部屋の作りと見えた。

昨今は一見すると男女の区別が定かでない両性類が跋扈している。
もし、水戸の黄門様がおられたならば、関所に代わって、助さん・角さんに命じて在るべきものが
在るか否かをしっかりと見届けさせて、世直し懲らしめの警鐘をならすところであろうか。


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 その2.ウノ眼タカの目

            Glory

オバマ大統領の誕生は、米国にとっても画期的な変化だが、この事実が他国の今後の
アンシャンレジュームにじわじわと与える影響は大きいと予測される。

多くの若者の視点は未来思考で、歴史に無関心。伝統的権威・支配体制への評価は低い。

となると、何百年と継続した名族もただの人になりかねず、希少価値として残る程度の位置
づけになる恐れもありうると予想しうる。

北軍に史上初の黒人部隊・マサチューセッツ第54連隊が誕生したのは、南北戦争も
たけなわの頃であった。
兵士に応募した黒人の多くは南部からの脱走奴隷であったが、明日への希望に目覚め、
厳しい訓練に耐えて、実戦で成果を上げるまでになった。しかし、北軍の中でさえ白人部隊
からの厳しい偏見はぬぐいされなかった。

その頃、北軍の前に難攻不落の南軍の要塞が立ちふさがっていた。海と崖に守られたこの砦を
攻めるには、先頭部隊の全滅は必至。第54連隊はこの作戦に志願。南北戦争の勝敗を決する
壮絶な死闘の幕が上がった。

結果は、砦を墜とせずに全滅の悲劇となったが、これが契機となり、リンカーン大統領は本格的に
黒人部隊の編成を計り、18万人の黒人の参加を得て、ついに北軍の勝利となった。

決死の戦いに挑んだ黒人の夢見た栄光は、「Glory」というタイトルで南北戦争の光と影を
描いて映画化されて、幾多のアカデミー賞に輝く感動作となっている。

しかし、その後もつい近年までは、少数の例外は別にして、米国の建前とは裏腹に、人種偏見は
消えることなく、ホワイト、アングロサクソン、プロテスタントの実質支配が続いてきた。

今回のオバマ大統領の出現は、米国の新たなるスタートを意味する意義深い事象であろう。

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その3 ウノ目タカの目 

            アメリカは一つ

言葉には力がある。確信には力がある。希望には力がある。
これこそ、危機に臨んでへこたれない果敢なアメリカ合衆国のバックボーンである。

1859年スプリングフィールドにおける、リンカーン大統領は、聖書の一節を引用して、
「もし、家が内輪で分かれて争うならば、その家は立ちゆかない」と、分裂に警鐘をならした。

時は流れて、2001年ブッシュ大統領は就任演説で、
「今、この国に存在する亀裂はあまりにも深く、人々は一つの国家ではなく、一つの大陸を
共有しているだけのように見える。しかし、それは受け入れ難い。私は誓う。
正義と社会を支える一つの国を打ち立てるために働くと」と、宣言した。

そして、2004年の民主党大会においてオバマは、「黒いアメリカも、白いアメリカも、
アジア系のアメリカもない。あるのはただ一つ、人々が団結したアメリカ。アメリカ合衆国である」
と高らかに述べて民衆の心を掴み、ついに2008年大統領の座を射止めた。
リンカーンがゲティスバーグで述べた、「命を落とした兵士達が、やり残した仕事」を
約140年後に達成したことになる。

今日の日本人は、政治家も、国民も「言葉を信じなくなり」、一種の袋小路に陥っている。
ものごとを知って、何もきめられない現象(Educated Incapacity)の
罠にはまっている。(久米文明「オバマと変貌するアメリカ」中央公論、2009年1月号より)

アメリカを他山の石として、現実を正視して慎重な検討を前提とした上で、むしろ最期は信じて
決断を下す楽観主義が必要であろうと結んでいる。