寄稿者  八代 紳 (8組)
題名    癌三度(みたび)
掲載    2007.07.25

先般、療養中の矢代君に、八期の仲間の皆が貴兄のことを気遣っており、
大変不躾にも彼に一筆をお願いし、このたび返事を頂きましたのでここに掲載させて頂きます。
そして我ら一同、彼の復帰を強く期待しようではありませんか。

                −−見出しーー

   

   ーーーーーーーーーーーーー本文ーーーーーーーーーーーーーー

                 癌 三度(みたび

                 平成19年7月16日

                     八代 紳     

 今回の癌の再発にはほとほと参った。何しろ息切れが激しく、生きた心地が無くなった事によるが、
その後遺症が長い。

 それは平成18年の終わり、多少の微熱を感じ除夜の鐘の響きも、年越しソバもそこそこに床に就く。
正月の酒はまずまずに飲めたが微熱が続くため、架かりつけの町医者に赴くと、やはり「肺炎の初期」と
診断を受ける。

 この様な症状は過去にも2度経験があり、「またか」と旅なれたつもりでいた。
しかし、微熱が下がっても息が切れる状態を多少意識するようになった。 
1月の寒さが影響しているのかも知れない。」と自己判断し高を食っていたが、これが仇となった。

 私は過去に癌の手術を2度経験しており(3年前、1年前)、癌は再発防止のため5年間の追跡審査を行なう。
よって受診してきたレントゲン、CT検査でも昨年12月及び今年2月の定期検査でも変化は診られず、
まさか癌が転移しているとは夢にも思わなかった。

 医師も同様な判断でレントゲンのフイルム上では肺肪の犯され方が進展しているとは考えてないようであった。
従って、医師も状況が判断出来ず、「念のため呼吸器内科の診断」を薦められ内科に変わる。
 (しかし、この頃は現実問題として2月、3月と月を追うごとに息切れ状態は僅かずつ進展していたようだが、
意気がり、休息を取れば歩行が可能であり、多少の無理は心身を鍛えることを考慮し、なるべく通常生活を
 意識する。)

 改めて呼吸器内科の診断を受けると、担当医師から「肺細胞を犯されているため、回復するも、進展するも
時間が掛かります。」と告げられる。そして、「息苦しい状況を回復する有効な手立ては現在は無い。」と望みを
砕くような宣言をされてしまった。

 そして、3月19日以降、酸素ボンベを友につれて歩くようになってしまった。医師は定期的に診断をしてゆっくり
回復を述べていたが、また一方では100%回復する望みはないという。

 そうこうしていると事態が急変し、息苦しさに堪えかねることとなり、3月26日入院を余儀なくなれた。
しかし、検査入院との名目であったが、CT、心電図などの通常の検査では異常が見られず医師も首をひねる
ばかりである。

 一方、かねてより飯田君のご子息が医療研究機関に勤務されており、チャンスがあれば専門医を紹介して欲しい
旨の依頼をしてきた話が決まり、一刻も早目が得策とみて入院中にもかかわらず電話をすると、日本では指折りと
いわれる名医であるにも拘わらず、ご子息の功により予約が取れ、再び呼吸器に関する検査を受け、息苦しさの
病名は間質性肺炎と判明し改めて検査が始まる。
だが、このN医科大関係機関は四谷から東大前付近に集散しており、我が家からは車で2時間弱を要す。
この時期の私は少々の移動にも息切れがひどく、病院に入ると常に
車椅子の世話になるほどで、とても通院は
おぼつかない。また大学病院は患者が多く待ち時間がとても大変だ。(8時半受付、診療16時30分)

 また体の状況も食欲も減退してくるが、喉が渇いている状態で食物が喉を通過しない。水分が無いと口元が
通らない。無理に水分を補給しようとすると、咽ぶような状況で血行も悪くなる。このような状態になると、
「生きた心地がしなくなる。」世の中が嫌になるとはこの事だ。
  (とにかく伏せた状態でトイレに立つのも一苦労、外出は車椅子。)

 そして最終検査として、更なる情報映像画像を求め、PETなる検査が1週間後におこなわれた。
検査自体は1週間程度でデーターの検索は出来るが、名のある医師のため予約で溢れ、結果的に辛い1ヶ月を
待たされる結果となった。

そのため担当医の臼田部長より、「八代さん、この病院では時間が掛かります、また通院も大変でしょう。
幸い横浜R病院に異動した森川部長が名医です。彼を紹介しましょう。」と述べてくれる。

横浜R病院は完全予約制のため電話を入れると、医師を指定のため診療日まで10日程の待ち日を要したが、
ここまで来れば同じものと苦しさに「じっと」耐えることにする。

 5月22日、診断を受ける。その日までは苦しさに藁をも掴む気持ちの1ヶ月半であった。
入院までは、その日から3日間の待機日であり、フイルムを見ていた部長が、「苦しさをいくらか下げる薬がある。」
と延べ、3日分の薬をくれた。
恐ろしいもので、あれほどの死ぬ思いをするほどの苦しさが半減した。

 5月25日より1ヶ月の入院。検査、抗がん剤の投与が始まる。私の場合は既に2回の肺癌手術を施しており、
薬の投与しか
方法が無い。

 PET検査の結果、明らかに癌が転移したもので、確率論からすると余命については保証が無いようだ。
よって私は自己判断として、10年の余命に万事を依頼する。
私としては、過去の2回の癌は手術後の回復が順調に運んでいたと判断していただけに、このたびは残念で致し方
が無い。

 抗がん剤の投与は毎月3日、4ヶ月周期で行なわれる。
 とにかく息苦しさを緩和してくれる女神はいないものか。

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