中津君の死を悼む                       

 
                                  6組 安藤 浩

    平成17年11月19日 八期同窓会にて

中津君の突然の訃報を電話で耳にした時、一瞬にして時が止ってしまった。
「中津が、あの中津が」と思うだけで、気持ちは焦るものの頭は真っ白、全く機能しない。、、、、、、

思えば、初めて、中津を知ったのは、横高入学早々の講堂での入学説明会の時であった。
教師の説明がひとしきり終わったところで、突然あかい髪の毛を口まで伸ばし、薄茶けた学生服を纏った
大柄な学生が外の窓越しに「質問、質問」と大声で叫んで手をあげた。
「変な野郎がいるな」と思ったのが、将に中津であつた。

2年の6組で同じクラスとなつて彼との長い付き合いが始まった。
6組は好漢が多多おり、言うならば「虎嘯すれば風生じ、龍吟ずれば雲あつまる」の譬えの如くであった。
逗子の可知君の家や平作の石渡君の家に5、6人で集まっては夜遅くまで、天下国家を語り合ったものだ。
そんな時、中津が何時も「俺は総理大臣になる」と本気で言っていたのが忘れられない。

また実力試験の後、答案が返ってきて、他の人の答案と自分のを見較べ、答えが合っているのに×に
なっていると言って血相を変え職員室に飛込でいったり、女性徒に実力テストの順位で先を越されたと悔しがり
答案を持つたその手で教室の窓ガラスを叩き割ってしまつた事もあった。

頑張り屋で、負けず嫌いで正義感が強く、あくまでも真面目な彼は、脇目も振らずにず黙々と勉学に勤しみ、
中央大学法学部に進み、司法官試験の難関も易々と突破、今や法曹界の重鎮として、第二弁護士会の
副会長、関東弁護士会会長、司法官学校の教官、中央大学常任副理事長等数々の重責を担い、
各会の発展に尽力し、最近は中央大学創立125周年記念式典に向け、その準備委員長として忙しく
獅子奮迅の活躍は、眩いばかりに輝けて見えた。

家庭的には悲しく重いものがあつた筈なのに、そんな事はおくびにも出さず、常に人に優しいのである。
この間の横高卒業50周年記念の時も、大きなお腹を触りながら「ちょつと太りすぎだな」と言うと「これでも
少し痩せたんだよ」と眼鏡の中で、あの人懐かしそうな少しはにかんだ目を横に動かし、目でものを言うのである。

なにか何時もよりぼつそりしてるなと思ったけれども、そのまま別れてしまった。
それが彼との最後の別れになってしまつた。
もう中津に会えないと思うとほんとうに悲しい、心の底から寂しさがこみ上げてくる。

安らかに眠りについてくれ。
さようなら。

                                              

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