横八会員投稿 No.802


投稿:近藤礼三 (6組)

題名:旧米軍小柴・長浜貯蔵所内の事故にて思い出した38年前の記憶

掲載:2020828

 

826日(水)午後、横浜市金沢区小柴の旧米軍長浜貯蔵所内の地下タンク脇で重機で残土処理中

60代の作業員が、重機共に行方不明となるという痛ましい事故がありました。

この地下タンクは直径45m、地中30mの巨大な地下タンクで、屋根が撤去された後の野晒しのタンクの

底に、6mの深さに雨水や地下水が溜まっており、28日午後、水底の重機の運転台の中で死亡している

状態で発見されました

皆さん、この地下タンクのある金沢区小柴の旧米軍長浜貯蔵所 (クリック参照) というのをご存じですか。

,2010年6月24日、横八レク、丑寅エイトNo.113、共催、能見台にある「野口英生記念館」及び野島公園の

「伊藤博文別邸」の見学会を行いましたが、参加された方々ご記憶ですか?   (クリック参照 )

その時、「野口英生記念館」を見学後、約20分程歩き左側に山裾の鉄条網で仕切られた旧米軍長浜貯蔵所

の脇を約200m程歩き、次の目的地に向かいました。

今回の事故現場の巨大地下タンクはその基地内にあります。

私がなぜ今回のタンクの事故に関連し書いたのは以下の通りです。

今回の事故の小柴の旧米軍長浜貯蔵所と同じ時期に同じ目的で、やや小規模の地下タンク群が米軍横須賀

基地内の箱崎という陸から離れた場所にあり、私は19834月~198512月、当時在籍していたIHIで、

その地での改修工事の記憶を思い出したからです。


横須賀米軍基地内の箱崎という地は、元々は横須賀港と長浦港を仕切るJR田浦駅から海上の延びた陸続きの地でした。

日本帝国海軍・鎮治府横須賀の元々の地形は、陸の箱崎から東京湾側に長く延びた半島状の地形で、横須賀湾と

長浦湾が分断されていました。

これでは不便極まりなし、機能拡充のためにはこの半島を艦船の通れる巾の掘割を作るという、大土木&浚渫工事が

1880年(明治22年)に施工されました。 (新井掘割水路:クリック参照)

切り離された半島の先は、その後、周辺を年々埋め立て拡大し、横須賀基地の貯蔵庫として重要な役割を担うわけです。

(クリック参照)

日本帝国海軍は軍港の必要施設として、横須賀、呉、佐世保の三主要軍港には相応の燃料貯蔵施設を備えていました。。

しかし、昭和14年以降の大戦が避けられぬ状況からこれらの軍事施設の拡大増強が必須となり、軍港横須賀の場合は

基地内箱崎の貯蔵施設、小柴・長浜の貯蔵施設の場合は、海陸軍の燃料貯蔵上、より大規模な施設増強が必要となり、、

短期間にこれら施設増強を完成した。

そして南方基地から輸送した燃料を備蓄し開戦へと向かった。

しかしながら、自国産油が零ゆえに戦争末期には貯蔵燃料も尽き、大戦末期には片道の燃料で洋上へと向かうという

悲劇も現実も生まれたと聞いています。

私は小柴・長浜の貯蔵庫は知りませんが、箱崎のタンクは現役時代の以下の経験でよく知っています。

箱崎は約40年前我が記憶ではさして大きくはない小高い丘状の孤島でしたが、今地図を見たらその後周辺が埋め立てられたのか、

記憶の数倍の大きさなのでびっくりしました。

田浦駅に近い小高い丘上に直径30m、深さは30mの巨大な地下タンクが我が記憶では5個程度埋まり、厳重なOff Limitのため

自然が残り、陸には狸、禁漁の礒には蟹、海には黒鯛が泳いでいた記憶に残ります。


数年後に大戦が迫りつつある逼迫した状況、当時は機械力は無く、一説によると強制労働の朝鮮人を酷使した手掘りで、

これらの巨大な地下タンクを、僅か2~3年で建造すると言う強制労働の結果の軍事産物であるとも言われます。

土木機械のない明治22年時代の箱崎の水路工事、そして昭和14~16年の巨大地下タンク群の建造というこれらの軍管轄の

巨大土木工事は、恐らく強制労働の下に行われ、その力と恐ろしさを今さらながら感じる次第です。


しかし、戦争とは虚しいものです。

血と涙の結晶の結果のこれらの建造物は使用は僅か数年、勝ち戦の米軍は先を見通し爆撃をせず、そして敗戦。

以降、米軍は長年月にわたり、これらの地下タンク群は、横須賀基地の米主要艦隊の重要な燃料貯蔵庫として使用しているとは

史実は皮肉です。


ところで、これらの地下タンク群は経年あるいは最初からかも知れませんが、燃料漏れで周辺の地下土壌の有害汚染が

問題になっており、1980年頃在日米軍より修理が発注されまれました。

当時私が在籍していたIHIは、中近東工事も一段落し海外部門は仕事なし。

これまで在日米軍の仕事等は全く縁がないのに、横須賀米軍基地内の1タンク改修工事をJVで受注、「お前は横須賀生まれ、

国内の海外工事で、お前は慣れているからピッタリだ。」として待ったなしの担当で、横須賀基地への入門許可証を取り、

米軍横須賀基地は生まれて初めての入門です。

通常箱崎の現場に行くのは、JR田浦駅海側の専用ゲート経由の艀経由。

工事はコンクリート製のタンク壁の内側に鋼板を張り、漏液をシャットする工法で工期は約10ヵ月で無事完了しました。

この工事の想い出としては、米軍の監督官は映画「南太平洋」のミッチー・ゲーナーに似た若く美人の女性士官、

工事の鍬入れ式で始めて英語でスピーチという体験です。

横須賀基地が終わると、次は秋田県の米軍三沢基地、こちらは旧格納庫に米軍が始めてF16戦闘機を受入れのための

改修工事でした。

計約2年程でしたが、日本国内の米軍基地施設の工事というユニークな体験を思い出しました。


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