丑寅エイト No. 217
講師:金塚彰夫(3組)
題名:三浦半島の海守にかかわった各藩の防備
開催:2019年2月28日(木)
横須賀市を愛する金塚君の今回の話の要点は以下の通りである。
江戸末期、外国の列強が日本を狙い開国を迫る情勢に、脅威を察した幕府は日本の要所の防備が必要なる
ことを痛感した。
先ずは幕府の膝元の東京湾入口の三浦半島の防備をいかにするかである。
幕府の指針は、砲台や防備や維持管理に必要な陣屋の土地は与え、築城から防備の維持管理一切は
藩が負担するという旧態然の伝統的な手段であり、当時の時代背景から幕府の命に従ったのは、
幕府に忠誠を誓う数少ない藩を代表する中位の会津藩であった。
会津藩は三浦半島からは距離的にも遠く離れた内陸に位置し、財政も豊かとは云えずしかも海事の経験に疎い。
結局、相当な覚悟と出費の末、三浦半島に相応の砦と陣屋を築き駐屯した記録が残ります。
その後、防備は会津藩から川越藩、彦根藩、熊本藩と引き継がれているが、現代の海外派遣とも言える
これらの財政負担は、当時として相当な重荷になっていたと思われる。
この時代、江戸湾の周辺の他、国内の相当箇所に、それも各藩の海防に対する姿勢により密度は異なるが、
同類の陣屋や砲台が設けられ、その様子を解説してくれた。
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