横八会員投稿 No. 749

投稿者:近藤礼三
題名:一夜明けると変ります。
投稿:2018年11月26日

三浦半島にお住いの方は縁が薄いと思いますが、我が住まいの横浜市保土ヶ谷区、
区の半分はJR線と相鉄線が横浜駅を出発し西へと向かう両線路の股下にあり、日常の活動には
どちらかの線路の踏切や狭いガードを通る必要があり、これが交通渋滞になっています。

それらの元凶の一つは、相鉄線が横浜駅を出発し三つ目の天王町駅からは地上線です。
相鉄線は相模鉄道の名前が示すように、元々は相模川の石や砂を関東大震災の横浜の
復興のため海老名から横浜に運ぶために作られた、俗称「じゃり鉄」、昭和30年代までは横浜
市の郊外の田舎道や土手を走る黄色の田舎電車でした。

しかし、さすがに終点横浜駅近くは高架ですが、三つ目の天王町駅を過ぎると地上線になり、
以降各所に踏切が続出し、沿線の宅地化が進むにつれ、これ等の踏切が各所で交通のネックに
なっています。

そこで後手に廻った都市計画ですが、せめて手を付けられるところからでもと始めたのが、
天王町駅を過ぎてから星川駅先までの800m区間の地上線の高架です。
   *その先は環状2号線と交差のため、ここまでが限界でしょう。
資金は相鉄と横浜市が共同負担で2002年に工事が着工されました。

しかし、以降は多分予算の都合でしょうが完成時期は何度も書き換えれ、果たして我が存命中に
完成するのとも思っていました。

数年前、下り線が地上から高架に、ところが上り線は相変わらず地上を走るため、踏切が
閉まる時間は半減になったとはいえ、それから数年、果たして踏切が無くなるのはいつのことやら。

それが、2,3ヶ月前、相鉄は11月23日(金)勤労感謝の祝日の上り終電を最後に、翌24日(土)
始発より上下線の完全高架、と告示が出た時は、誰もがハップニングかとも思った程でした。

昨今は熱狂的な鉄道マニアが多くなったようで、いざ廃線や最後の車両とか聞くと、これまで
見向きもしなかったのにワンサと押し掛けるようです。
今回の最終日に私も、地上路線の状況を先頭車両の窓からビデオに残したかったのですが、
いい年をしたオッサンのこの類のマニア数人が子供も押しのけ陣取る特異な雰囲気は異常でした。。

私が心境は、これまで見続けていのが無くなるとなると、なぜか記録に残したい気持ちと、
元土木技術者として、一夜にして地上から高架へと切り替わる手法はいかに行われかのかは、
やはり興味があり、カメラをぶら下げ2度程現場周辺へ出掛けたですが、そんなノスタルジアとは
程遠い雰囲気でした。

今回の被写体の静止画の数枚は以下の通りです。

この看板の完成時期は明示されず、他の看板の    星川駅から和田町駅側の踏切、
24日始発からはここから高架へと上ります。       下りは高架を、上りは地上を走っていますが
完成時期は何度も書き換えられました、          24日の始発からは高架に変ります。
 

上り線は地上を、下り線は高架を走りすれ違う最終日の光景です
この機会は明日からは見られない貴重なものです。
 

星川駅の地上ホームは本日23日が最終日。        一夜明けた24日、昨日まで活躍した地上線は閉鎖されました。
両方とも遠からず取り壊し、長いことご苦労様でした。
 

上記のように複雑な都心の工事や一夜にして切り替わってしまう工事は、綿密な計画と準備が必要なことは云うまでもありません。
この類の仕事は3Kの代表ともいえる危険で地味な仕事ですが、多分、他の国では真似が難しい日本が世界に誇る先進技術の一つだと思います。

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