横八会員投稿 No. 746

投稿:近藤礼三 (6組)
題名:横須賀米軍基地内ドライドック見学ツアーに参加
掲載:2018年11月13日

9月12日(水)の朝日新聞朝刊に横須賀米海軍基地内にあるドライドック参加ツアー募集の記事が載った。
私は米軍基地から程遠くない横須賀大滝町の生まれ、小学校2年の時に疎開先から諏訪小学校に戻り
米軍横須賀基地を目の先に見ながら、鉄条網の内側は怖い場所であるという意識が今も続いています。

これまで私がゲートの内側に入ったのは、小学校の頃に何かの代表で1回、そして現役の頃に基地内
の離島・箱崎の燃料タンクの修理にJR田浦駅先の埠頭から約半年延べ十数回小舟で渡ったこと。
そして修理完了の祝いの将校レストランでデナーをご馳走になったのが最後で約30年程前でした。
以降、近くにありながら近寄ることが出来ない異国の地であります。

明治の資産、ドライドックの見学だ。
でも実施日が11月10日(土)だと同窓会の前日、ダブルヘッダーで横須賀行きか。
かまわんと、早速応募、運よく当選通知が届きました。

そして11月10日(土)、第12組で受付は14:30~14:55、見学は15:00~16:00です。
当日は案内に書かれている本籍地と写真が載っている証明書としてパスポートを持参し汐入駅下車。
米軍横須賀基地内の見学なら集合場所は多分基地の正面横だろうと、先入感で到着。
ところがその気配ないので、案内を見ると「ショッパーズプラザ横須賀、2階センタープラザステージ正面扉の外」
と書いてあります。

一体どこだろう?、基地前交番の留守電話で聞くと、交番を出て左へ100mとのこと。
なんーだ、元ダイエーか。
元ダイエーなら勿論承知で到着、でも2階の何処だかが判らず案内葉書を手にした人の後につきどうやら到着。。
なんあだ、それなら「港内めぐり船乗場の上」と書けば一発なのに。
場所名は数年の間に変ってしまうのだなあ、今浦島でした。

前置きはこれまで。
ツアー集合、我がグループは総勢50名、小学生から後期高齢者までの平均年齢60歳でご夫人が多いのは
結構なことで、それに全員が横須賀市以外に在住とのことでした。
基地内へのゲートを通る検査は空港と同じ。
以下、市のボランテア・スタッフの明快なる案内で第1-第3-第2ドライドックの順に1時間のツアーでした。
これらはいづれも明治の初期に建造され以降、日本の命運とともに活躍。
現在は名物のクレーン(グレーンと云われていました)は外されていますが、稀にお声が掛かり、生き返ることもあるそうです。


 付:終了時に金塚彰夫君(4組)にバッタリ、彼もボランテアとして当日のボランテイア・スタッフとして活躍とのことでした。




明治時代は1868年~1912年。
1号ドックは明治時代が始まる2年前の1866年(慶応2年)に着工し1871年(明治4年)に完成。
現在NHKテレビの大河ドラマ西郷隆盛の時代に、以下2~5号と続けて建造されています。
泥臭い派閥争いの一方では、鉄道、軍事力、工業の凄まじき進歩。
明治とはどんな時代であったのであろうか。
今回の見学は、この時代の日本の流れをもう一度勉強したいとの意欲を与えてくれた機会でした。

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