投稿 No.695

投稿:近藤礼三
題名:横浜シテイ・ウオーク30Kに参加の記。
掲載:2017年3月21日

1985年6月22日、御年48歳にて突然始めた我が走り出し、これまで山登りの経験
はあるものの、走った経験は殆どなく、最初は住まいの近辺を100m走るのがやっとでした。
それでもなんとか騙しだまし、距離も1キロ、2キロと次第に伸ばせるようになりました。

幸いと我が住まいの近辺は横浜の過疎地で交通も疎らで、次第に距離を伸ばすことに
意欲を感じるようになり、以下の3メニューを作り我が挑戦はスタート。
 1.横浜カントリーコース:5.3キロ
 2.大池公園、戸塚カントリー、横浜カントリー、東戸塚駅コース:11キロ
 3.さらに国道1号線の権太坂の下り、桜ヶ丘、星川、西谷の浄水場:23キロ

コース1はウイークデーの帰宅後に週2回、コース2又は3は休日にと合計週3回、月100Kを目標に、
タイムは全て記録、少しでも記録のアップを目指していました。
まあ、人生50代にして、頭でダメなら、体力でと張り切っていたのです。

そして、横浜、三浦、湘南等々、そして青梅マラソンにも参加、記録も参加者の中程、
50歳まじかで、ゼロからのスタートでまあまあというとこでした。
そうなると、フルマラソン参加への意欲も出て来ました。
そして河口湖2回、筑波1回の合計3回のフルマラソンを経験、記録はいづれも4時間半程度で
なんとか完走、まあこれが狂い咲のピークでした。

2003年3月2日、御年65歳9ヶ月、三浦マラソン10Kの後半、なぜか
私への沿道の声援が多くおかしいなあ、と思い振り向くと、私の後ろにピエロの扮装のランナーがいるのです。
ああ、私はピエロ君と同じか、と思ったらガックリ、この大会を最後にマラソンへの意欲は消滅してしまいました。

途端に体重アップ、遂にマラソンはもう無理と、これからはウオークへと転換しました。
そして丹沢によく通い、マラソンのお陰で山登りのコースタイムは表示時間の7割と自慢をしたものでした。、
しかし、御年70代に入ると体力は急ピッチで下降線へと向かって行きました。

これで人生クローズとは情けない。
ある日、区役所で横浜シテーウオークをチラシを見て、やってやろうとの早速応募。
そして2017年3月20日(月)、御年79歳10ヶ月にして横浜シテーウオークの当日となりました。
横浜の平坦な街中を歩く30キロなんて、まだまだチョロイと自意識過剰。
しかし結果はとんでもありませんでした。

午前8時、地下鉄馬車道駅をスタート、東神奈川ー反町ー三ッ沢競技場ー黄金町ー大岡川に沿い桜の開花は
まだ早いなあと横目で見ながら、弘明寺駅へと進みます。
弘明寺商店街を抜け、南スポーツセンターを過ぎ三殿台考古館に上る200段の石段のきついこと。

この辺りは距離にして18K辺りの地点、ここでネを上げるなってダラシガないぞ。
ここに住んでいる人は毎日この階段を上り下りしているのに、私は途中の踊り場毎に一休みとバテの兆候です。
なんでそして私がこの年、ここで苦労をしねくてはいけないのだと恨み節。

その後は小健ながらも根岸から馬の博物館への上り坂道の長いこと、長いこと。
その先、元町の外人墓地のエキゾチックな通りは景色なんぞは夢の内と、学生時代の山登りを思い出しました。

そして、石川町の歩道橋の上りは手摺につかまりやっとこさ。
レンガ倉庫辺りから山下公園は、連休で賑わう楽しそうな観光客を横目で見ながら必死の形相。

最後の中継点のラーメン博物館でスタンプを貰い、午後2時、ゴールに辿り着いた次第でした。

30K6時間、平均5K/時、まあなんとか面目は保ちましたけど出発時の意欲はどこへやら。


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