横八会員投稿 伊藤博  No.60

題名:「要塞砲をめぐり」の反響より
掲載:20120503

歴史探訪

         「要塞砲をめぐり」の反響より

戦史の泰斗S先生より、掲題の弊寄稿(No.60)につき下記の貴重なご指摘を頂きましたので、
厚く感謝するとともに若干の補足をさせて頂きます。

先ず、ミスインプトの「要害砲」は「要塞砲」に、「向け打つ」は「迎え撃つ」にお詫びして訂正させて頂きます。

次ぎに、旅順攻略戦は海軍陸戦隊の参加もあったのでは?とのご指摘であります。

これは、映画「日本海大海戦」の中で乃木が東郷に、陸軍苦戦の現状打開のために海軍が重砲を提供して
支援をしてくれた礼を述べているのは、そのことを指しているのでなかろうか?とのご指摘と拝察します。 

この点につきましては、Webのウイキペディアの「旅順攻囲戦」の記載するところによりますと、
旅順攻略は合計3回の総攻撃(第1回明治37年(1904)8月19〜24日。第2回10月26〜30日。
第3回11月26日〜12月6日)が行われました。

「その第1回の総攻撃に先立つ前哨戦(87日)で、黒井悌次郎海軍中佐率いる海軍陸戦重砲隊が大弧山に
観測所を設置し、旅順港への砲撃を開始。9940分に戦艦レトウィザンに命中弾を与えた」とあります。

更に、「第1回総攻撃の失敗を挽回するために、陸軍東京湾要塞および芸予要塞に配備されていた28センチ
榴弾砲を
戦線に投入し、930日旧市街地と港湾部に対して砲撃を開始。20日に占領した南山披山を観測点
として湾内の艦船の多くに命中弾を与え損害をもたらした。砲撃自体が良好な成果を収めたため逐次増加され、
最終的に合計18門が第3軍に送られた」と記載されています。

従って、前哨戦においては確かに海軍陸戦重砲隊の参加したようです。

海軍陸戦重砲隊とは、陸揚げした艦載砲と乗組員で臨時に編成されるものですが、この映画に出てくる大砲は全て
(日露戦争の記録映画でも馴染みのある)28センチ榴弾砲(写真貼付)で海軍の艦載砲ではありません。
また、戦っているのは全て乃木率いる陸軍第3軍です。

東郷の乃木への陣中見舞い兼敵情視察は第1回総攻撃の失敗より後のこととなっていますので、窮状打破のための
重砲の補強投入は、やはり陸軍の要塞砲の移送であるとするのが史実との整合性があり、海軍が重砲を貸して
くれたという趣旨の乃木の台詞は、時系列的に見て前哨戦の陸戦重砲隊の史実とその後の陸軍の要塞砲の移送を
混同した脚本の歴史考証にやはり問題ありと推定されます。


以上を要約すると、この映画の中には海軍陸戦重砲隊のシーンは全く見られず、陸軍第三軍の要塞砲の活躍を
大きく取り上げているのを見た観客は、乃木の東郷への重砲提供の礼を聴けば、その活躍した重砲(実は画面は要塞砲)
を恰も海兵隊の艦載砲の移設したものと短絡的に判断せざるを得ないところがこの脚本構成の問題点で、
事実に悖り見逃すことの出来ない瑕疵であろうと思われました。

歴史の風化は知らぬ間に進みます。無頓着にその流れに任せておけば全て忘却の彼方に消え去ります。
例え細部であろうとも、歴史の判断に大切な意味のある事実もあることを考えさせる作品の一つでした。

     

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