小林直次郎を偲び当訃報を伝えてくれた梶川 諭君から近藤へメールを以下に掲載させて頂きます。

近藤さん、

 おはようございます。
 3年1組だった小林直次郎君が3月に亡くなりました。
先日何となく胸騒ぎがしましたので葛西の自宅に電話をしましたら娘さんから悲報を聞かされました。

渋谷に買い物に出かけた折に心筋梗塞を起こし直ぐ救急車で運ばれたのですがたらい回しにされ
手遅れれに成ってしまったそうです。何とも痛ましい出来事かと
胸が引き裂かれる思いでした。

 高校の頃から育ちの良さと素直さは名前のごとく直ちゃん、直ちゃんと親しまれて来ました。
 ご冥福をお祈りします。

 写真は小林君と英語の山崎ルーさんです。

      

追伸

 近藤さんは小林君をご存知ですか。
 諏訪小学校の出です。
当時お父さんが「さいか屋」の裏で自動車の修理販売をしていました。

 ヤナセの看板を掲げて 今は佐原にあります。
大学を出て電通に入りましたが特技の英語を生かしたいということでオランダ航空に転職しました。
後に第一ホテルに通訳として移りました。

                                         梶川 諭

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近藤よりの答

諏訪小学校は毎月第4木曜の恒例の丑寅エイトの会場ヴエルクよこすかの200m程北側、横須賀
市役所の正面入り口の対面にあり、私は昭和25年に諏訪小学校を卒業しました。

 *横須賀市役所の正面玄関は当時は今と正反対の16号線側で、悪戯&近道で入口から裏口へと
   所内を突っ切り、よく守衛に捕まり怒られました。
   また市役所前の16号線の道路で子供同士で野球をやったなんて信じられないでしょう。

さっそく一昔前に作られた卒業生名簿(平成12年6月現在)をめくり、小林直次郎君の名前を見付けました。。
当時の1学年は2組構成で、私は1組、小林君は2組に載っています。
小林君の名簿の住所は<東京都江戸川区西葛西5-8-3-414>になっていました。

諏訪小学校卒業は1950年(昭和25年)で今から62年前、組違いもありまた彼があまり目立たなかったか
記憶はイマイチですが、彼の家の近くのさいか屋裏手には仲間の家が多く、その辺りでは毎日のように
遊んでいました。

横須賀の下町は昭和20年代の米軍基地の街の時代、そして30〜40年代の我々が横高に在籍
していた時代をピークにその後は下降線、遂に下町の象徴であったさいか屋も崩壊してしまいました。
商家の子供がメインの昭和25年卒業の同窓は1組58名×2組=118名(当時1クラスの人数がこんなに
多かったとは)。
家業を継ぎ残っているのは、横須賀中央の三崎行のバス停前の肉屋の「ひろしまや」だけでしょう。
同窓会は既に消滅、同窓で年賀を交換するのは2名とは寂しい限りです。

諏訪小学校卒業の横八仲間は近藤、麻生晴彦(4組)、故中村泰司(8組)の3人だけと思っていました。
残念ながら横高時代の小林直次郎君の印象は今浮かんで来ません。

ご連絡ありがとうございます。

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