横八会員投稿  伊藤博 No.53

掲載:2012.04.09

*歴史探訪

          元海軍提督のエピソードより

横八HPが管理者・近藤君の一方ならぬ尽力により、アクセスも累計で6万回を超えるまでに隆盛を
極めつつあるのはまことに悦ばしく感謝に絶えない。

思えば丁度HPが産声を上げた2004年、同期有志が深田台の元鎮守府長官官舎を見学し、その足で
長井の井上成美元海軍大将の私邸を往訪したことがあった。
その紀行文を近藤君の手記で楽しく読んだ記憶がある。

今から思えばこの見学のタイミングは誠に絶妙であったといえよう。というのも、近代史に足跡を残した
提督の瀟洒な私邸は、残念ながらそれからまもなく取り壊されて今は写真でしか忍ぶことができなくなって
しまったからである。

寄稿No,47(本年3月5日付)にて、長井に隠棲後に英語塾を主宰していた晩年の井上成美元海軍大将
のギターを弾く肖像画(兵学校時代の教え子が描く)を紹介したところ、保坂君より連絡があり、
実は往訪にあたりその英語塾で直接薫陶を受けた人を案内人として推薦してくれたのは他ならぬ彼であり、
当時の詳細を更に聴く手がかりとして、その3人の女性の中の1人・太田さんを紹介された。

井上提督は軍人として人臣位を極め、大戦中といえども英語教育の必要性を終始一貫して唱え実行した
先見の明ある視野の広い逸材で、また音楽を愛する趣味人でもあった。

敗戦による環境の激変下で、風光明媚で閑静な長井に隠棲して開いた英語塾の様子を知りたいと思っていたので、
早速太田さんに連絡し次のようなお話を聞くことができた。

ご本人のご了解を頂いているのでその一端をご披露する次第である。

1.    クラスは10人程度、2時間。休日を除きほぼ毎日、昼と夜で複数のクラスがあった。

2.    教材はガリ版刷りの独自のものを使用。

3.自らアコーデオンを弾いて英語の歌をみんなで唄いながら楽しく学んだ。フォスターの曲がお好きであった。

4.生徒には優しく、子供といえども丁寧で常に礼儀正しく接した。

5.生徒のマナー、特に時間には厳しかった。
   遅刻したときやマナーに反した行動の機会をとらえて、英語での詫び方を通して会話を学ぶ機会とした。

6.単語は実物(野菜他)を教材として覚えやすくした。

7.   井上英語塾から得たもの

英語だけならばその後の自分の研鑽で上達することができる。
むしろ、その後の人生で役立つ大切な多くのものを得た。

それを示すエピソードから、

その1、井上師の奥様は、お手伝いに食事を作ってもらっても、最後の味見は必ず本人がしている、
    と師から聞かされた。

    後に、社会人となり、仕事を人に任せる立場になったが、すべてを人任せにせずに、ポイントは
    自らチェックすることにつながった。

その2.師が一時体調を崩し休塾していた時期があった。
      その間に、たまたま師と同じバスに乗り合わせる機会があった。

      その時の会話。「今何をしていますか?」と問われて、「和裁を習っています」と答えたところ、
   「良い先生ですか?」、「はい」、「それは良かった。何事も良い先生につくことが大切です

その3.井上提督が長井に居をかまえたのは昭和10年ごろからのことで、奥様の療養のための別荘であった。
    戦後に隠棲後も、奥様の滋養になる蜂蜜を買いに、毎回自ら鎌倉まで行くことしていた。

       当時の交通事情を勘案すると、かなりの時間を要し困難であったと思われるが、細やかな愛情の
    表れを物語る一面である。

晩年の師との何気ない会話から多くのことを吸収し得た若き熟生・太田さんの感性も秀でたものがあったと
思われるが、回顧には重みがある。

HPへのアクセスが大台を超えたことを記念し心から感謝すると同時に今後の益々の発展を祈念して、
発足の当時に思いを馳せました。

添付した在りし日の旧井上邸の写真(近藤君より提供)をご覧ください。

    (現在は新しい新しい建物となり、小規模な記念館となっている由です)

 

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