No. 受信or掲載日 分 類 題 名 リンク
124 20130730 ウノ目タカの目 1枚の地図
123 20130615 ウノ目タカの目 医療界に輝くOB
122 20130604 ウノ目タカの目 蘇る歌舞伎と創造の生吹
121 20130530 ウノ目タカの目 中国の現状と行方
120 20130528 ウノ目タカの目 魯迅の言葉から
119 20130513 ウノ目タカの目 ハーモニーの悦び
118 20130513 ウノ目タカの目 新歌舞伎座のこけら落としから
117 20130508 ウノ目タカの 半世紀余後の同窓会
115 20130429 ウノ目タカの目 WBC予選、日本対台湾戦の蔭に、他一
114 20130423 歴史探訪 ルーズベルトの手紙
113 20130410 ウノ目タカの目 天は黄塵に覆われ浪高し
112 20130331 ウノ目タカの目 ゆうちょ銀行
111 20130325 ウノ目タカの目 「馬門山」の反響より
110 20130323 ウノ目タカの目 東日本大災害2年目を迎えて
109 20130322 ウノ目タカの目 馬門山
108 20130311 ウノ目タカの目 成田山新勝寺
107 20130311 ウノ目タカの目 書評
106 20130219 ウノ目タカの目 大河ドラマ
105 20130216 ウノ目タカの目 国民栄誉賞
104 20130211 ウノ目タカの目 沖縄と東北から学ぶもの
103 20130211 ウノ目タカの目 知られざる真実
102 20130204 ウノ目タカの目 団十郎を惜しむ
101 20130201 ウノ目タカの目 「蘇る名作」の反響に
100 20130129 ウノ目タカの目 蘇る昭和の名作
99 20120112 ウノ目タカの目 松蔭会津に入る
98 20130103 ウノ目タカの目 崖崩れ
これより下は2012年、上は2013年へと入ります。
97 20121230 ウノ目タカの目 演技の影に
96 20121214 ウノ目タカの目 太陽光発電実施目標決まる
95 20121212 ウノ目タカの目 中村勘三郎を惜しむ
94 20121209 ウノ目タカの目 大河ドラマ
93 20121125 寄稿 豪腕の小沢一郎
92 20121123 歴史探訪 三浦按針
91 20121106 歴史探訪 官軍の倣い
90 20121104 歴史探訪 尖閣諸島問題について
89 20121101 ウノ目タカの目 ソフトの味から
88 20121020 書評 塩を変えれば体は良くなる!?
87 20121011 ウノ目タカの目 79歳の主婦の偉業
86 20121010 ウノ目タカの目 五階の上に地下を創る(その2)
85 20120929 ウノ目タカの目 ドイツ脱原発の背景
84 20120921 歴史探訪 すべては読み違いから始まった。
83 20120916 ウノ目タカの目 5階の上に地下を創る
82 20120907 歴史探訪 大仏のみが知っている
81 20120907 歴史探訪 観音崎に佇む碑
80 20120902 歴史探訪 佐倉と会津を結ぶ糸
79 20120831 ウノ目タカの目 エネルギーの政策をめぐり
78 20120831 歴史探訪 松代大本営
77 20120830 ウノ目タカの目 大学間の共通開発
75 20120830 ウノ目タカの目 今日という日
74 20120830 ウノ目タカの ノアの方舟
73 20120821 歴史探訪 蘇えるEMクラブ
72 20120820 歴史探訪 おふくろの味のふるさと
71 20120819 ウノ目タカの 限界に挑む
70 20120817 歴史探訪 巡り来た終戦記念日に
69 20120809 ウノ目タカの 経済効果を超えるもの
68 20120714 ウノ目タカの 智山県歌 その2.コーラス
67 20120714 ウノ目タカの目 富山県歌 その1.吹奏楽
66 20120712 ウノ目タカの目 囲碁をめぐるエピソードU
65 20120710 ウノ目タカの目 なぜだろう?
64 20120620 ウノ目タカの目 オリンピックのポスター
63 20120609 ウノ目タカの目 囲碁の伝来
62 20120608 歴史探訪 登舷礼
61 20120603 歴史探訪 要塞砲をめぐり、その反響
60 20120601 歴史探訪 要塞砲をめぐり
59 20120530 ウノ目タカの目 ドラゴンの成功
58 20120504 美の粋、蘇我粛白の世界より
57 20120501 季節の便り クルメツツジ
56 20120424 ウノ目タカの目 宇宙太陽発電衛星の関連情報
55 20120420 ウノ目タカの目 蜘蛛の糸
54 20120417 歴史探訪 井上英語塾を偲ぶU
53 20120409 歴史探訪 元海軍提督のエピソードより
52 20120407 ウノ目タカの目 囲碁ソフトの未来は
51 20120329 ウノ目タカの目 弦を止む
50 20120328 - 美の粋・写真の力
49 20120309 ウノ目タカの目 師との邂逅
48 20120308 ウノ目タカの目 若者の力
47 20120305 歴史探訪 ギターを弾く人
46 20120227 歴史探訪 波の伊八
45 20120205 ウノ目タカの目 一人歩き
44 20120201 ウノ目タカの目 懐かしの木炭バス
43 20120201 ウノ目タカの目 DVD(巨大病院の挑戦)を観て
42 20120108 ウノ目タカの目 未来を拓く新宇宙時代
41 20120107 ウノ目タカの目 先入観
これより下は2011年、上は2012年です。
40 20111215 ウノ目タカの目 巨木の叫び
39 20111206 新刊紹介 新刊紹介
38 20111206 ウノ目タカの目 福島第1原発の現状から
37 20111124 ウノ目タカの目 中国に吹く風は?
36 20111122 ウノ目タカの目

日本・ロシア小児がん交流
シンポジウム千葉2011

35 20111118 ウノ目タカの目 進展する中国の宇宙・サイバー攻撃
34 20111115 ウノ目タカの目 「拉致」を考える。
33 20111107 歴史探訪 里見氏を偲ぶ
32 20111105 ウノ目タカの目 「神舟8号」の成功を意味するものは
31 20111103 ウノ目タカの目 温故知新  
30 20111103 ウノ目タカの目 放射線をめぐり(U)
29 20111012 ウノ目タカの目 日本テニス80年史に想う
28 20111004 ウノ目タカの目 世に違見あり。
27 20110907 ウノ目タカの目 早とちり
26 20110903 歴史探訪 幻の小学校
25 20110830 歴史探訪 風化
24 20110826 ウノ目タカの目 不思議なこと
23 20110825 書評 志村嘉一郎著
「東電帝国 その失敗と本質」
22 20110817 ウノ目タカの目 中国の風
21 20110816 歴史探訪 祇園囃子の語るもの
20 20110805 ウノ目タカの目 中国鉄道の行方は?
19 20110802 歴史探訪 想定外
18 20110728 ウノ目タカの目
エネルギーの未来予測について
17 20110723 ウノ目タカの目 気の抜けたビール
16 20110717 歴史探訪 あじあ号
15 20110715C ウノ目タカの目 ボケの極み
14 20110715B 歴史探訪 「台湾と韓国」への反響より
13 20110715A 歴史探訪 台湾と韓国
12 20110708 ウノ目タカの目 「じわじわと知らぬ間に」への反響から
11 20110707 ウノ目タカの目 じわりわりと知らぬ間に
               
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947123

ウノ目タカの目

             医療界に輝くOB

敬愛する学僚S先生が東京の三井記念病院で目の手術をして完治しました。
その主治医であった眼科部長のA先生が横高の後輩では?とのお話を伺いました。

珍しい姓でもあり、高校時代に確かに同姓の高名な郷土史家の優れた研究成果を読んだ記憶が甦りました。

その推測が、日本経済の連載コラム・「人間発見」の紹介(6月10日〜)により、
正しくその郷土史家のお孫さんに当たる横高の後輩で、世界的な眼科の名医であると判りました。

同病院の眼科部長と聴いて思い出すのは、学生時代に鎌倉のテニスクラブで一緒であったM先生
(湘南高校〜東大。湘南では石原慎太郎と同期)が同病院の眼科医で、眼科部長もされましたので、
A先生はM先生の何代か後の後任者というご縁になりましょう。

以前、朋友会の会報にて、築地のがんセンターの院長(慶応)と副院長(東大)のご両者共に
たまたま横高のOBが重なったとの紹介記事がありましたが、広く医療界でも多大な貢献されている
OB諸氏にエールを贈ります。

ご参考までに、日経記事(紙面の都合上、連載の@のみ)を添付しますのでご高覧下さい。

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947122

ウノ目タカの目

          甦る歌舞伎と創造の息吹

歌舞伎・成田屋の宗家市川家は、伝統の継承と共に新時代の歌舞伎の創造に積極的に取り組んでいる(5月寄稿・No.118)。

成田山・新勝寺の広報誌・「智光」(5月号)にて、今夏8月に海老蔵が二つの型破りな公演を披露する試みが報じられて注目を集めている。

その一つは、宝暦13年(1763)、四代目市川団十郎が初演した「蛇柳」を舞踊劇としてリメイクした歌舞伎18番の復活である。

その二は、新作歌舞伎。脚本・宮沢章夫、演出に宮本亜文門を迎えて、「疾風如白狗怒涛之花咲翁物語」(はやぶさのごときしろいぬどとうのはなさきおきなのものがたり)の創作。昔話「はなさかじいさん」の歌舞伎化に挑戦する。

会場はBunkamuraシアターコクーンでの自主公演。歌舞伎フアンにとって、この初演は見逃せないものとなろう。未来を見つめて、伝統と現代のコラボレーションが期待される。

                               寒山

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947121

ウノ目タカの目

            中国の現状と行方

知人のT氏から、X氏の掲題に関する見解(添付)を送付して頂きました。

内容の適否は別にして、大方の日本人がマスメディアを通じて認識している中国観の一端を示す一例だと思われますので、ご紹介する次第です。

中国の今後を正確に測るには、更にこれ以外の自らの目で見、肌で感じたモノが必要かもしれません。

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[T氏への返信]

T様

拝復 中国の現状につきX氏がマスメディアの報道をまとめたものをご移牒頂き有難うございます。ご高察を評価し、この続きを期待しております。

かねてより中国の動向には関心がありますので、報道されていない実態に即した切り口を交えて寄稿して来ました。

共産党の一党独裁、中でも太子党の覇権化等々の弊害として、貧富の格差の拡大、汚職の蔓延等々は表面的な現象に過ぎず、顕在化していない背景に流れる中国人のものの考え方・歴史的なDNAの本質を正確に認識すること無しに、今日の中国を論ずることは象をなでることに等しいように思われます。

中国の統計の信ぴょう性にも問題があるようです。

マスコミで報じられた2012年の Gini Index にしても、中国統計局は0.474に対して、中国銀行と西南財経大学の合同調査(全国25省に直轄市ち自治区を含む)では 2010年の時点で既に0.61となっているのはその一例に過ぎません。

問題は、予測ならまだしも、同じ実態調査でもこれほどの乖離が出ることにあります。

思惑の入り混じった客観性を欠く根拠からの分析では、正確な実情把握を導き出せません。

白髪三千丈の世界とかわりないでしょう。

因みに、係数が0.4なら社会騒乱か多発の警戒ライン。0.6を上回ると社会不安に繋がる危険ラインとされているからです。

中国と友好関係を深めることは、我が国の持続的な発展のためにも、世界平和のためにも注力すべき重要なテーマです。

そのためには、その国民の思考の違いを正しく認識しないで、単なる期待と思い込みで進めることは、柱を建てずに屋根を乗せることに等しいと愚考しております。

以上、先ずは御礼まで。

                           伊藤 拝

[T氏からの来信]

下記はT氏宛てに友人X氏からのMailを弊方に移牒されたものです。

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天安門事件24周年――中国共産党幹部の腐敗の実態(1)

198964日に起きた中国の天安門事件から間もなく24年となります。

あの「天安門事件」とは何だったのか?そして、天安門事件を引き起こし、世界に覇権を広げ続けている「中国共産党」とは一体何なのか?

その本質を探り、その悲惨な内情を知って頂き、一日も早い共産党一党独裁体制の崩壊と、その中で苦しむ13億の人々の解放、そして、中国が真の意味で、日本と友好関係と繁栄のパートナーシップを築ける「自由を尊重する民主主義国家」へと変貌することを願って――

◆「所得格差」が危険レベルに達した中国

中国国家統計局は、国民の所得格差の程度を示すジニ係数が2012年は0.474だったことを発表しました。(1/19 産経「中国『所得格差』危険水域さまよう ジニ係数12年ぶり発表」)

「ジニ係数」とは、国民の所得格差を計る指標で、ジニ係数の範囲は01となっています。0は完全な「平等」、1に近いほど格差が大きいことを意味します。

例えば、一人の王様がすべての富を独占し、国民全員が無一文とすると、ジニ指数は「1」になります。

繁栄発展する社会のために、切磋琢磨や自助努力の結果、適度な格差が生まれることは奨励すべきことで、自由経済の先進国ではだいたい0.35程度です。

日本のジニ係数も0.336(2010年度)であり、世界の先進国と比べても比較的格差の少ないレベルになっています。

一方、格差が拡大し、社会騒乱が多発する警戒ラインは0.4です。

中国の実際のジニ指数は、政府発表よりはるかに大きく、例えば、西南財経大学が実施した「中国家庭金融調査」の結果によると、2010年の中国家庭のジニ係数は0.61と、世界平均レベルを大幅に上回っています。(2012/12/11 人民網「中国家庭のジニ係数0.61 所得格差深刻」)

これ程までの大きな所得格差は、今までボリビア等の一部アフリカや中南米の諸国に限られていまいた。

ここまで所得格差が開いた理由は、一部特権階級への富の集中であり、「中国共産党一党独裁」の弊害そのものと言えるでしょう。

◆海外へ逃げる中国共産党幹部

現在、中国共産党の幹部の多くが、海外に移住したり、資産を逃がしています。

例えばこの20年で、中国の高官が約2万人も海外に逃亡、また約96000億円ものお金を海外に逃がしました。これは一人当たり、平均12億円にもなります。

この海外逃亡のやり方は、第一段階は、まず自分の子どもを海外へ留学させて、足場をつくることから始まります。最近の10年では、約120万人もの中国公務員が、子どもを海外に出しました

中国のトップ層はもっと率先垂範()しています。中国共産党第17期中央委員会委員(中国トップの委員204)の内、なんと9割の家族がすでに欧米に住んでいます。

本来ならば中国トップエリート層こそ、中国の未来に責任を持つべきですが、権力濫用で私腹を肥やし、挙げ句の果てに海外逃亡とは悲しい限りです。

中国の内情を知る高官ほど、中国という泥船から我先に逃げ出す姿は、中国の未来を強烈に暗示しています。

国家主席である習近平氏でさえも、姉夫婦の国籍はカナダで、弟はオーストラリア在住。娘はアメリカに留学させています。

また、2千億円もの資産を築いたとマスコミに暴露された温家宝元首相も、首相退任4カ月前の講演で、「どうか皆さん私をお忘れください。中国の皆さんも、海外にいる中国人の皆さんも、どうか私のことは忘れてください」と演説しています。(2012/11/23  ウォールストリート・

ジャーナル)

温家宝氏も、心情的には「早く海外逃亡したい」ということでしょうか。

今日の中国では、家族と財産をすでに海外に移し、あとは本人がいつでも逃亡できるように外国のパスポートを持っている共産党幹部が多くいます。

特に移住先として圧倒的に人気が高いのが米国です。なぜなら中国の捜査機関がなかなか手を出せないからです。

例えば、高速鉄道建設の汚職事件で摘発された張曙光・元鉄道省運輸局長は米国に3軒の高級邸宅と2800億円の預金があると報道されています。

海外移住の実態は、米国側の発言でも裏付けがあります。ヒラリー元国務長官は、在任中のハーバード大での講演で「中国の9割の官僚家族と8割の富豪がすでに移民申請を出した。またはその意向がある」と述べています。

◆共産党幹部の汚職の実態

以上のように、中国の将来への悲観的観測と、汚職の追求から逃れるために、海外逃亡が後を絶ちません。

実際に汚職はたいへん多いようです。例えば2011年度に摘発された汚職官僚の数は14万人を超え、更に毎年増える傾向にあります。

このような事情から、胡錦濤氏は2012年秋の国家主席としての最後の共産党大会で「中国共産党の腐敗問題をしっかり解決できなければ、党にとって致命的なダメージとなり、ひいては党も国家も滅びる」と異例の発言をしています。

中国共産党幹部の腐敗が、文字通り「身から出た錆」となって、中国という国家を滅ぼしねない大問題となっているのです。(文責・Y)

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947120

ウノ目タカの目

魯迅の言葉から

絶望が虚妄であるのは、まさに希望と同じだ!

この魯迅の含蓄のある言葉の解釈は難しい。

真の革命の理想を夢見て活動したにも関わらず、今一歩というところで裏切られ、家族や仲間の命さえも奪われた魯迅が、
自ら活動することを止め、後継者となる若者への啓蒙活動に路線を変えて執筆に心血を注ぎ始めた頃(魯迅44歳、
1925年頃)のハンガリーの詩人・
ペティーフの散文詩から引用した一節である。

ペティーフは詠う、

「希望とはなに?
娼婦さ。だれをも魅惑し、すべてを捧げさせ、
おまえが多くの宝物-おまえの青春-を失ったとき、
おまえを棄てるのだ」

と、現実を観る目は冷徹である。

更に「絶望」については?

「絶望」という深い闇の夜もやがて必ず夜明けがくる。さすれば、闇も単なる「虚妄」に過ぎないのか?。

故に、「絶望」の闇を知る者でなければ、「希望」の光をみることがでないという暗喩であろうか?。

夜空に星なく、月光および笑いの渺茫と愛の翔舞もない、平安で真の暗夜もない、安穏に甘んじ、真の暗夜(絶望)を感じることのない
無感覚な
当時の若人への鋭い警鐘とも読み解くことができるが、今に通じるものがある。

いずれにせよ、この詩の一節を肯定的または否定的のいずれに解するかは、人それぞれの人生観の軽重を計る澪標となろう。

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ウノ目タカの目

947119

        ハーモニーの悦び

動物と人との違いは、動物の鳴き声は同じようでもバラバラでソリストであるが、人は合唱ができることであろう。

ソプラノ、アルト、テナー、ベースに何人いようとも、各パートがあたかも一人で唱っているかのように融合・一体となって、全体として美しいハーモニーを醸し出す能力は霊長類の人間のみにゆるされた賜物である。

合唱を趣味として数十年、現在も二つの合唱団で活動を続けている。

一つは、オーケストラと共にバッハ、モーツアルト等々の珠玉の古典の大曲に取り組む県最古の合唱団。今一つは、ポピュラー、ロック、ジャズ、ミュジカル、スクリーン・ミュジック等を含めて世界の歌を原語で歌う国際交流の合唱団。

両者ともに定期演奏会は幸いにも常に満席となる。

後者の指揮者(2代目)は米国人。英国大使館合唱団の指揮者で宗教音楽のPHD。

テナーのソリスト、作曲家、編曲者でもあり立教大の教壇に立つ。慶応大でも教えたけた経歴をもち、FMの番組も主宰している。

その発声法とハーモニーを重視した的確な判り易い指導法は、曲の解釈と相まって、その成果を実感している。

前者の指揮者はバリトン歌手で元高校の音楽教師。若いころより指揮法を学び、地元のオーケストラの指揮者でもある。

指導法は発声を重視する点は同じだが、多少教え方が違うので、地声の人が自覚するまでにかなりの時間を要する。

これまで、幾人かの高名な指揮者やオーケストラの下で唱う機会に恵まれたが、それぞれから多くを学び得たことは幸いであった。また、毎年開催されるアマチュアの合唱祭でも見事なハーモニーに出会うたびに、その感性の豊かさに感動を禁じえない。

趣味の本質は携わった期間の長さではない。中でも音楽は時間芸術であり、二度と同じ演奏の復元はできない。たとえ一度でも自らが心から満足できる演奏に浸ることができれば、それまでの努力が瞬時にして報いられ、次なる挑戦の意欲が湧いてくる。

 ウルマンが「青春」の詩で詠じたように、感動を失わない限り青春は永遠である。

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947118

ウノ目タカの目

           新歌舞伎座こけら落としから

歌舞伎座?落としで、幸四郎の「勧進帳」を大いに堪能した。亡き団十郎が新装なった晴れの舞台を飾りたかった歌舞伎の18番である。

その幸四郎が、河竹登志夫(歌舞伎中興の祖・河竹黙阿弥の曾孫)への追悼文(日本経済新聞)の中で、歌舞伎を支えてきた役者のみならず、心張棒や土台石ともなるような人々が次々と消えてゆくにつれて、上演の仕方がだんだんと崩れてゆき、世界の無形文化遺産・歌舞伎が砂上の楼閣のように危うい状態になることを憂いて、原本に回帰する必要性を述べている。

他方で、亡き代団十郎は、生前のNHK−TVのインタビューに応えて、歌舞伎の伝統の継承とは、創造と革新への挑戦であるとも語っている。

一見異なるように聴こえる両者の指摘は、古典の伝承・継続に不可欠な二面性、すなわち「守るべきもの」(古典の心髄)と「変わりうるもの」(不断の創意工夫)を端的に言いえている。

作品は常に未完成であり反復こそ挑戦である。残り火に息を吹きかける努力を怠ってはならない。

時代が変われば観客も変わる。観客を無視した公演は成り立たない。変化の激しい今の時代に、江戸時代の演目の魅力をいかに伝えてフアンをつかむか?。

歌舞伎の観客の現状は、残念ながら若い人が極めて少ない。この傾向が続けば、伝統芸能を支える基盤がいずれは先細りになることは目に見えている。

?落としの盛り上がりを一過性に終わらせないためにも、梨園に課せられた命題に寄せる期待は大なるものがある。

 

それにつけても、新装なった劇場は上等席は別として、普及席の身動きの出来ない程の窮屈さは依然として旧態と一向に変わらず、体格の向上した若者が長時間観劇するには苦痛が伴おう。

短視眼的に興業収入のみではじき出した客席設計は、気軽にゆったりと観たいと願う若人離れを誘い、新たな歌舞伎フアンを失う一因にならねば良いがと気になるところである。

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947117

ウノ目タカの目

            半世紀余後の同窓会         

欧米の歴史を彩るバッハ、モーツアルトの不朽の名曲も、多くの文学作品や泰西名画も、
その底流に脈々と流れる聖書の知識なくして正しく鑑賞することはできない。

それは丁度、参禅の体験なくして禅を語り、碧巌録を読まずして公案を論ずる愚に似て、
疑似体験ですべてを済ます現代の風潮への反省ともいえる。

若き日に、米国正統派の師から聖書の心髄を正しく学んだことは、世に流布する皮相な解釈から
生ずる不毛の陥穽に墜ちいる危険から身をかわす原点ともなった。

その当時の聖書研究のメンバーの有志が、半世紀以上の時の流れを経た今春、一堂に会して
旧交を温める機会を持つことができた。
下記は、その再会の感謝の念の拙文から邦文で紹介する次第です。

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*** CHAPEL OF HOPE・有志同窓会 ***

Dear Freinds,

半世紀をはるかに超えた風雪を経た後に、懐かしい皆様に久しぶりにお目にかかり、時間の経つのを
忘れた楽しいひと時でした。

過去は単に過ぎ去った時間の集積ではなく、今の自分を紡ぎだしてきた源泉です。

今回の同窓会は、ただひたすらに未来を追う現代の風潮の危うさに掉さして、温故知新に立ち返り脚下
を照顧する句読点となりました。

Mrs.TempleのBible Classで共に学んだMr.Kからの同窓の集いの発案が
きっかけとなって、ご案内を聖歌隊のメンバーまで広げて、

CHAPEL
OF HOPE を源とする意義ある会となりました。

長い年月の空白に残る僅かな消息を手掛かりに、取りまとめのお世話を頂いたMr.I、Mr.Aの
ご努力に厚く御礼申し上げます。

ご出席された方々の思い出を書けばとても紙面が足りませんので、「ご健勝を祝し、再開を深謝」の
一言でその意をおくみ取り頂ければ幸いです。

特に今回は、すでに天に召されたメンバーのお子様やご姉妹、それにご夫妻がお揃いで参加も頂き、
総計13名。お陰様で回顧に厚みが加わりました。

皆様がそれぞれに打ち込むものをお持ちで、若々しくお元気に過ごされている様子に接し、
活力のノウハウを学ばせて頂きました。

中でも特筆すべきは、メンバーの一人であるMrs.Uが上梓したノンフィクションの著書・
米国宣教師Mrs.Finchiの「旧大日本帝国海軍軍人義会」(軍人伝道の偉大なる成果)は、
日本のプロテンスタント布教史とっても、世に知られざる空白を埋める貴重な研究業績であり、国際的に
斯界より高く評価されるものであります。今後の更なる研究により、深化と発展が期待されます。

また、名オルガニスト・Mr.Sのご参加を頂いたことは、何より喜ばしい限りでした。

ハモンド・チャーチモデルの癒しに溢れた魂の金線にふれる響きは、終生忘れられないところであります。
リハーサルと庶務で激務であったにも拘わらず、常に我々には木目の細やかなご配慮を頂き、
奉仕・実践のもって範とすべきものと拝察しておりました。

Mrs.Templeから聖書を通して学んだことは、「Faith」という一言に尽きると思います。

半世紀余を経た今日まで、「祈りを唱える人ではなく、祈りの人となりなさい」という教えは
銘記すべきものとなりました。

邂逅は大切に育ててゆくべきものです。この集りの意義をかみしめた一日でした。

感謝の念を込めて、

We for Chior and Bible Class; 
 

 Chior and Bible Class for Chapel of Hope;

Chapel of Hope for World Peace;

And All for God.

                 Hiroshi Wiiiam Itoh

                 

April,2013


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94713

ウノ目タカの目

          天は黄砂に覆われ浪高し

傍若無人な国土侵害や領海への不法行為が頻発して物議を醸している今日このごろである。

日本の領土は約38万平方キロ。その領海(12海里・約43万平方キロ)と排他的経済水域(200海里・約405平方キロ)
を守る海上保安官は約12,000名(一人当たり守る領海は約36万平方キロ)に過ぎない

保有する巡視船(ヘリ搭載を含む)420隻(一隻平均守る領海1000平方キロ)、飛行機(27機)、ヘリ(46機)が現有体制である。


我が国の海上保安庁は、国土交通省に属する海上交通・海難救助警察であり、巡視船は本格的な戦闘艦ではない。
尖閣を含む島嶼警備、日本漁船保護、多発する領海侵犯や武装した海賊やテロリスト、暗躍する偽装工作船の横行を未然に防ぐことは難しい。


諸外国では、「海防」・「領海警備」を担当するのは、沿岸警備隊(コスト・ガード)。

準海軍組織で相応の兵装を備えている。体当たりしてくるような敵は撃沈するのが通例であり、有事の際は海軍に併合され戦闘力となる。

これまでの我が国の巡視船は、装甲もなく貧弱な搭載兵器(射程2キロの12.7ミリ機関銃)、速力も遅く24ノット。
近年ようやく高速化と20ミリガトリング砲を装備するようになった段階に過ぎない。


また、日本には根拠法規となる「領海警備法」がないので、主権侵害という国家犯罪に対する「領海侵犯罪」もない。
漁業法、海上保安庁法、出入国管理法、麻薬取り取締り法で警告・威嚇するのみでは主権侵害を阻止するには不十分。
法規の改正整備も喫緊の課題である。


国際法上では、「武力の行使」と「武器の使用」は別の概念で規定されている。
万が一の「武器の使用」は戦争ではなくて警察行動であると解釈される。

従って、「領海警備法」と共に海上保安庁の「武器使用法」の整備が必要であろう。

現状で国土や領海不法行為に対する「牽制」と「強い抑止力」を発揮する実力が在るのは、海上自衛隊以外にはない。
その実際の戦闘能力は、米軍との環太平洋合同演習(リムパック)で最高(Excellent)と評価されるほど高く、国防としては
世界でも有数なレベルにある。


しかし、これとても憲法第9条(交戦権を認めず)の下で、自衛力による国防は違憲合法という弥縫策で対応している現状に根本的な問題がある。

更に、自衛隊の弾薬備蓄の継戦能力は1.5回戦分しかないという重大な欠点がある。

本物の有事の際は米軍に頼る以外はないので、米軍来援に必要と言われる空8時間を稼ぐ初動措置如何が勝負どころになろう。


因みに、海上自衛隊の装備の概要は、

戦闘機・F−15(世界最強制空イーグル)          201機

  イージス艦(同時10目標対処可能・迎撃ミサイル搭載)     6隻

   他にはアメリカ80隻、韓国、ノルウエー、オーストラリア 各1〜数隻のみ

ヘリ空母              2隻 → 4隻に増強中

高射群             24個中隊

迎撃ミサイル(PAC−3)   10個中隊    

 護衛艦群(システム艦、対空・水上・潜水艦・三次元戦闘可能、ヘリ搭載を含む)  32隻(4群×8隻)

PC−3対潜哨戒機       84機

P−1 対潜哨戒機       10機(2015年までに導入予定)

潜水艦(無音潜航可能)     18隻 → 廃艦延期を含めて22隻に増強する

 (AIP:非大気依存推進) 「そうりゅう型」4隻(更に造艦建造中) 

 護衛艦搭載SSM−1B(90式艦対艦誘導弾、射程10キロ、慣性誘導並びにアクティブレーダー付小型トマホーク。
   陸上自衛隊の88式地対艦誘導弾SSM−1と同じもの) 


以上に対抗する中国は、原潜2隻、通常動力型キロ級潜水艦12隻を配備しているが、これらはスクリュー音を探知が容易である。

旧ソ連は300隻の潜水艦を配備していた。


中国はロシアから買った「ワリヤーニ」を改修して空母とした。
しかし、機動力に富む海上基地である空母には護衛艦隊が不可欠である。   
 

東日本震災救援の支援「トモダチ作戦」並びに有事便乗攻撃の危機回避のために参加した米海軍の空母「ドナルド・レーガン」は
19隻の大艦隊。内6隻が空母護衛のイージス艦であった。


先の大戦末期に、横須賀海軍工廠で大和型戦艦を急改造した世界最大の空母「信濃」が艤装のため呉海軍工廠に向かう途中潮岬沖で
米国の潜水艦の攻撃を受け、進水わづか50日で沈没したのも、護衛の駆逐艦が3隻しか余裕がなかったことが原因である。


従って、護衛艦を増やす余力がない日本が今空母を持つことは得策ではない。危機管理の専門家である佐々淳行(元内閣安全保障室長)は、
その代わりとして、離島警備・「奪取されない作戦」を展開するため、「揚陸急襲艇」と緊急展開部隊としての水陸両用部隊である「海兵隊」(1個大隊・800名程度)の創設を提言している。


その骨子は、要員は増員ではなく編成変えで賄う。
日本が持っていないが必要な装備(ヘリコプター揚陸艇、水陸両用戦車、装甲車、攻撃ヘリ等)は 米国の「武器貸与法」によりレンタルで
補い目前の危機に速やかに対応するのが得策としている。


生命線であるシーレーンの防衛は、敵の潜水艦をたたく対潜水艦作戦が重要で、日本の優れた潜水艦隊は有効である。
最も強力な究極の抑止力は原子力潜水艦。日本は保持が難しいが、原潜が潜んでいる可能性だけで敵は身動きができなくなる。


北朝鮮がノドンを200発持ち、対日向けに実践配備との情報を耳にするとき、「座して死を待つより、他に手段がないと認められる限り
の適地攻撃は自衛権の範囲内」(鳩山一郎総理の政府公式見解)は、今も生きていると見做す見解もある。


しかしこれはあくまでも次善の策で、高度な外交交渉で平和裏に解決できるのなら、それがベストであることは言を待たない。
四海の天候は晴朗ならず、風も強く、波濤は日々に高まっている。
平和ボケの春眠をむさぼっている場合ではなかろう

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947112

ウノ目タカの目

ゆうちょ銀行

土曜日の夕方のことです。マンションの階段に一枚のカードが落ちていました。

見ると、知らない人の「ゆーちょ銀行」のキャッシュカードです。落とし主はさぞお困りになっているであろう。

落し物はすぐに管理事務所に届けるのですが、たまたま土曜日の午後〜日曜日は管理人が休日で月曜日の朝までクローズ。
最寄の交番に届けようにもいつも留守で施錠状態。

そこで、取り敢えず、カードの裏に記載してある同銀行の連絡先の電話番号に拾い物の電話をしてあげました。
こ種の連絡は関西で一括して受けているようですが、拾った連絡への感謝の言葉も一切なく、
機械的に郵便局に届けてくれとことでした。その時間帯は、かなり遠方の本局以外は最寄の郵便局はクローズで
あることを全く知らないようです。

また、(カード番号や氏名が記載されているので判るはずですので)落とし主にカードが出てきたとの速やかな連絡も
一切しないとのことです。

郵貯が民営化されて久しいにも拘わらず、実体は預金者へのお客様意識はどこえやら、きめの細かなサービスとは程遠く
官庁と変わらない。企業風土の変革は時間を要するものだと実感させられました

カード紛失の届け出を受けるマニュアルのみはあっても、カードを拾った連絡を受けたときに落とし主の顧客にその旨を
連絡するサービスのマニャルがない。それでもやってゆけるほど殿様商売ができる体質なのでしょう。

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947111

ウノ目タカの目

            「馬門山」の反響より

「馬門山」に関する弊寄稿をご覧になった敬愛する史実に詳しい先輩・U氏、並びにK氏のお二方より、
紹介した新聞の記載につき、貴重重な追加情報を頂きましたので、より正確な史実の判断に供するために、
お許しを頂いてその内容を以下の通り補足紹介します。

新聞には、「馬門山旧海軍墓地の現状は、所有者不明の個人墓地が管理者不在で荒れにまかせている」とある。
これは墓地の一部のみを見ると、確かにそのような印象を受けるかもしれない。しかし、この墓地の現状は以下の通り
管理されている、とのことです。

明治15年に始まるこの旧海軍墓地は、戦後昭和24年に市に払い下げられ、所管は横須賀市保健衛生部保健衛生課。
一般市民にも開放された墓も305基ある。

海軍関係は、「軍艦河内殉難の碑」等の立派な石碑が6基と、戦死者及び殉難者独立墳墓,592柱である。

毎年5月の第3土曜日(AM)に殉難の碑のある馬門山・山頂広場を式場として、水交会を含めて6団体の共催による
「馬門山墓地墓前祭」が開催されている。これは戦後間もなく、大津町内会や大津観光協会によって始められたもので、
今年も第58回目の墓前祭が5月18日(土)に行われる予定という。

近年は参列者も増えて200人以上。海上自衛隊の儀仗隊が拝礼と弔銃発射。横須賀在住の部隊指揮官も参列。
市長も「追悼の言葉」を拝読するのが恒例である。

現状は以上に見る通りであるが、察するに、探訪記事を書いた記者は山上に至る坂の途中にある古い風化した独墳墓
(日本全国、各県からの出身者のもの)が279柱)で、刻まれていた文字も読めないほどでかつ傾斜したり壊れているものもあるので、
それに目を留めて感じた印象を書いたのだろうと思われる。

以上が先輩からお教えを頂いた有意義なコメントの概要である。

大津は私の少年時代を過ごした懐かしい地であり、「馬門山」の名ははっきりと覚えているのだが、不思議なことにそれが
一体どこであったか?は残念ながら失念してどうしても思い出せなかった。

先輩から、その場所は根岸。京急新大津駅と北久里浜の中間にあり、久里浜に向かう国道の左側の山上と教えて頂かき、
特定できたのも幸いであった。

 故郷・横須賀は近代史に重要な位置づけをされる史実が多数ある。

歴史の風化は思いほか早いので、温故知新、常に回顧し継承する努力を忘れてはならない。

94710------------------------------------------------------------------
ノ目タカの目

            東日本大災害2年目を迎えて 

東日本大災害から早や2年を経過したが、東北の「復興」はまだほど遠い。
今後も一層の支援・援助活動に全力を注ぐ必要があろう。

大災害は突然襲ってくる。そこで、今回の災害でもほとんど知られていない「二つの視点」に
スポットライトをあてて考察し、今後の具体的な実効ある対策に齟齬をきたさないための一助にしたい。 

発生が近いと予想されている東海トラフ大地震が万一起きると、その損害金額は220兆円3000億円、
被害者数は950万人、食糧の不足は9、600万人分と予想される。

更に、首都圏直下型も射程圏内にあり、その被害予測は東海トラフをはるかに上回るものとの
警鐘が鳴らされている。

そこで、先ず第一の視点は、国家の安全保障から見た便乗有事への備えである。

 東日本大災害では海外の多くの国々から救援を頂いた。中でも米国の迅速・強力な救援活動には深い
感謝の念を込めて過日このコラムでも紹介したところである。

その一連の活動に付随して特筆すべきは、米国が震災直後からこの機の混乱に乗じた「有事」に
危機意識を持って臨み、「トモダチ作戦」(救済援助)の傍らで、併行して不測の事態への警戒体制を徹底したことにある。

消息筋によると、衛星で巨大津波を察知したコロラド州・北米航空防衛宇宙防衛司令部(NORD)は、
直ちに周辺国による被災地(米軍や自衛隊の基地、福島第一原発)を標的とする不測のミサイル攻撃に
対する警戒体制を発動した。米本土から通信支援や情報収のため要員を急派。大災害で警察や自衛隊の
警戒網に穴があくことは、日本のみならず極東の平和の安定に不測の事態が起こるかもしれないという
安全保障上の強い危機意識に基づくものである。

NORDから東北の被災地への派遣要員は、第1、第2、第7宇宙作戦部隊「チーム・8ボール」
(本拠地、コロラド州シュリーバー空軍基地)をはじめ、陸軍宇宙ミサイル防衛司令部
(同州ピーターソン空軍基地)並びに陸軍戦略司令部を含めた合計10名。

災害救助の米軍とは異なる任務の都合上、所属を示す肩章やトモダチワッペンは付けず、4
仙台空港などの復旧活動や被災者支援にも従事しながら、被災現地とNORDの通信網の確保にあたった。

国防と平和維持の大切さを正しく認識する他山の石として、学ぶべき対応であろう。

 次に第2の視点として、我が国の医療の災害救援活動の一端をその代表例で見てみよう。

医療法人徳洲会は国内に約70余の病院を有する我が国最大の医療法人である。

創業者の理念・「生命だけは平等だ」を徹底して、「休日診療・24時間患者を受け入れる無休診療」により、
僻地を含めた全国的な医療活動を展開し強い支持を得ている。そのNPO法人「TMAT」
( Tohoku Medial Assistance 

Team、徳州会医療救援隊)は、東日本大災害にあたり傘下の総合力と組織力を駆使して迅速に対応し、
医師を含む救援派遣者数は延べ約5、800名。診療数は約15、700回に及ぶ貢献をした。

311日東日本大震災発生の報に接するや、同日直ちに傘下4病院(東京南・千葉・四街道・新庄)より
先遣チームを被災地に派遣。
12日には更に傘下の31の病院より緊急出動した救援本隊が仙台病院に到着と同時に本格的な救援医療活動を開始した。

災害発生の翌日から5月初までの期間における「TMAT」の活動実績を総括すると、

                                   (人)

           医師    看護師   薬剤師   その他   合 計

○総派遣者数     210    372   48   273    908

延べ派遣者数  1,239  2,170  267   ,105  5、781

診療回数合計(大船渡、気仙沼、他地区)  15、677回

(内、巡回数 3,954回) 

 

「TMAT」の沿革とこれまでの主な活動は、 

平成 7年 阪神淡路大震災を機にボランティアグループとしてスタートして以来、

平成17年 公益増進を本格化するためNPO法人TMATを結成し、

平静18年 インドネシア・ジャワ島中部地震を救援、

平成19年 新潟中越沖地震を救援、

平成22年 ハイチ大地震を救援、

平成23年 東日本大震災を救援、

等々、これまでに国内(9回)、国外(10回、チリ・中国・パキスタン・ロシア・トルコ・ミャンマー・台湾他)とグローバルな大災害被災地への地道な救援活動を活発に展開している。

「休日を含めた24時間診療の実施」に加えてこの「TMAT」の活動は、「医は仁術」の原点に立ち返った医療の品格を高めるものとして高く評価されるところである。 

災害は深い森のようなもので、嵐で倒れた個々の木を見るだけだは全体を把握することはできない。雪崩、山火事、自然破壊の危機に曝されているという複眼的な認識を常に忘れないこことが持続的な生存の原点である。

 

以上で考察した異なる2つの災害救援活動を貫く共通の太い軸は、総合的な視野からの強い危機管理の認識と使命感、それに基ずく迅速な行動力と一過性に終わらぬ持続性である。

 

東北の被害は、大多数の死者・行方不明の他に、今後とも当分自宅に戻れぬ人々が約30万人を超える。基本的に、人口希少なところでは労働力も購買力も不足して産業が成り立たないので、「復興」はおろか「復旧」すらおぼつかない事例は枚挙にいとまがない。

 本格的な「復興」の実現を絵で描いた餅にしてはならない。希少人口・過疎化でも可能な「復興」への具体的なシナリオはいかなるものがあるのか。衆知を結集して、発想の転換を計り計画を見直す必要あろう。

「まず復旧」(基本的な生活要件の回復)を飛び越して、一気にその上のステップ「復興」を狙う短絡的な理想論の響きは良いが、現地の人々にはいかに映るのであろうか。時間はお構いなく非情に流れてゆく。

 本年も5月に千葉市の合唱団諸兄に呼びかけて、また三回目の東北支援チャリティー・コンサートを開催する予定である。
ささやかではあるが、出来るところから続けて行きたいと念じている。

 

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947109

ウノ目タカの目

              馬門山

「馬門山」!小学校のころ確かに耳にした地名である。それを産経新聞のコラム(添付)で
懐かしく思い出した。

当時は珍しい山の名?とういう淡い認識にすぎず、今となっては大津のどこであったか?も定かでないが、
実は旧海軍墓地であった。

現在風化して荒れ果てているのは、戦後の国有地の無償貸し付けを受けた市の行政の狭間で管理者が
いないことに原因があり、戦後の残滓は未だ消えず、考えさせられた。



馬門山の場所をご存知の方は横八Hpのチャットに投稿して下さい。




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947108
ウノ目タカの目

            成田山新勝寺

初詣三が日の人出のランキングといえば、第一位が明治神宮で毎年約315万人、第二位が成田山新勝寺で、地の利のハンディを超えて今年も296万もの人出で賑わった。

JR東日本は毎年大晦日から終夜臨時列車、特急「成田エクスプレス」は成田駅に臨時停車、関東各駅からは直行の初詣臨時列車を運行する。

 平安時代の開山で1070余年の歴史を有するこの古刹の御本尊は不動明王。川崎大師平間寺、高尾山薬王院と並ぶ真言宗智山派大本山の一つ。総本山は京都東山・智積院である。

初代・市川団十郎が新勝寺に子授けを祈願し、成就したご縁が屋号「成田屋」の由来であることは広く知られている。

 新勝寺の広報紙・成田便り「智光」の本年1月号は、生前の12代団十郎の特集であった。

天保の改革で、7代目団十郎が江戸を追われた折に身を寄せたのも成田山である。

 市川宗家のお家芸・「荒事」や「睨み」は、江戸に災いが起こらぬようにという強い意志と町民の感情を敏感に察した繊細な気持ちの表わした邪気を払う様式美である。

 1012年大阪松竹座の幕開けで、市川海老蔵は「不動明王北山桜」の上演にあたり、劇場内に成田山大阪別院より不動明王尊像をまり出開帳法楽を厳修している。

 新勝寺の別院は、深川、川越、大阪をはじめとして8ケ寺。分院は12。末寺38。末教会8。成田山教会8。それに縁故寺2を有する全国にあまねく信仰の教勢豊かな大組織である。

恒例の節分追儺の豆まきは、「福はうち」のみで「鬼はそと」の発声はしない。他では見られぬ風物詩である。

伽藍裏手の山すそに広がる回遊式日本庭園は四季折々に散策を楽しむことができる。

から鮭も空也も痩せも寒の内  芭蕉

未だ風は冷たいが、春はすぐ隣まできている気配である。

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947107

書評

            新書版の一冊

本年2月のベストセラー(トーハン調べ)の第一位は渡辺和子著「置かれた場所で咲きなさい」(幻冬舎)である。

著者の父は2.26事件の犠牲者、教育総監・渡邉錠太郎。彼女が9歳の時、雪が縁側の高さまで積もった朝まだき、トラックで乗り付けた30余名の兵士たちの怒号と銃声の中で、娘の眼前1メートルで死んだ父の最後の壮絶な情景が焼き付いているという。

死の間際に父のしたことは、銃弾の飛び交う中で、傍で寝ていた彼女を壁に立てかけてあった座卓の陰に隠したことであった。

錠太郎は読書を愛する寡黙な努力家で、小学校は4年までしか行かなかったが、独学で中学の課程を済ませ、陸軍士官学校に優秀な成績で入学、陸軍大学を恩師の軍刀・首席で卒業。

第一次大戦後、ドイツ、オランダ等の駐在武官として視野も広く語学も堪能。戦争は勝っても負けても国を疲労させるとして戦争には反対派であった。 

彼女はカトリックの修道女となり、米国留学を経て若くして大学の学長となり、今日まで長らく教育一筋の道を歩んできた中から得た、人として生きる基本を数々の平易な珠玉の言葉で述べている。

曰く、

「父と過ごした年月は短かったが、一生涯分の愛情を受けた。愛情の深さと歳月は比例しない。本物の愛は心を十分に満たしてくれる」

「寸鉄人を刺す」言葉ほど恐ろしいものはない。使い方を間違えば凶器にもなる。言葉を無機質なものにしてはいけない。相手を生かす、ぬくもりのある言葉をつかえる自分でありたい」

「小さな死は、大きな死のリハーサル。我儘を抑え、仕返しや口答えを我慢し、自己中心的な自分との絶え間ない戦い。成長も成熟も痛みを伴う。自分と戦い、自我に死ぬことを求めるからである」

「死は盗人のように来る。人は生きたように死ぬ」

そして、聖フランシスコの「平和の祈り」を紹介して、

「慰めるよりも慰めることを、

理解されることよりも理解することを、

愛されることよりも愛することを、望ませて下さい。

与えることによって与えられ、

進んで許すことによって許され、

人のために死ぬことによって永遠に生きることができるからです。」

読む人の年齢如何を問わず、時間の使いかは命の使い方であることを知らしめる良書である。

947106

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ウノ目タカの目

大河ドラマ展

来たる3月〜5月、大江戸東京博物館にてNHK−TVの大河ドラマ「八重の桜展」が開催されます。
案内のチラシを入手しましたのでご参考までに添付します。

ドラマの背景や時代考証にふれると、鑑賞も深まるかなとも思われますので・・・・。

 C:\Users\Owner\Pictures\MP Navigator EX\2013_02_18\八重の桜展 1_0001.jpg  C:\Users\Owner\Pictures\MP Navigator EX\2013_02_18\八重の桜展 1_0002.jpg

947105
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ウノ目タカの目

                          国民栄誉賞

 元横綱大鵬の国民栄誉賞受賞は誠に喜ばしい。

 大相撲史上最多の32回の優勝を成し遂げ、昭和の大横綱としての輝かしい功績は、国民的英雄
として社会に明るい夢と希望と勇気を与えた。

従来の勲章制度による受章者の候補となるには70歳を超えている事が必要とされるので、
国民栄誉賞の存在意義は大きい。

しかし、なぜ存命のうちに授与しないのか?との批判が絶えない。これまでの授賞者(辞退者3名を除き)
21件中、団体授賞(女子サッカー)
1件を別として、生存者授賞は筈か6人に過ぎず、
没後追贈が残る大多数を占めている。

国民栄誉賞に関する世論(マスメディア)を総括すると、

 @政権浮揚が目的

 A贈られる側の賞ではなく、贈る側の(政治家のための)賞

  B顕彰の事務手続きを行う内閣府官僚も、結局、時の政権が『国民栄誉賞を出したい』と言えば出さざるを得ない

  C決定権を持つ総理大臣の個人の主観で受賞者が決定されるので、文化芸術分野は文化庁等で話し合って受賞者を決めて欲しい

D生存者授賞が少な過ぎる

等々で「政治利用の色彩が強い」との批判が出ている。

問題は、国民栄誉賞の選考について「確たる基準がなく、その時々の判断」(2004年内閣官房長官談)
であり、線引きの曖昧さにある。

女子サッカーの団体授与にあたり、表彰規定では表彰対象を「適当と認める」としており、
行政用語としてこれに該当するのは「個人と法人」で団体は含まれない。
「団体に授与するなら表彰規定の見直しを行い、説明責任を果たす必要がある」(日本経済新聞)との指摘もあった。

いずれにしても、卓越した功績を上げたのは本人である。この授賞により栄誉は長く語り継がれることは
言うまでもないが、生存中にその栄誉を称えることなくして、没後追贈では本人に直接報いる術はない。


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ウノ目タカの目

            沖縄と東北から学ぶもの

昭和38年(1963)8月、その日の夜の宮古近海は北上する熱帯低気圧で波浪が高かった。
那覇沖
10キロを航行中の那覇泊−久米島間を結ぶ沖縄離島定期連絡船「みどり丸」が
その横波を受けて転覆、
筈か10分後に沈没し、乗客、乗員約300名が海上に投げ出された。

遭難現場は三角波の荒い難所でサメも出る。浸水の勢いが早く救命ボートを用意することもSOS信号を
発することもできなかったので通報jが遅れ、死者・行方不明者が100名を超える沖縄海難史上最大の惨事となった。

このとき、米軍の救援活動は素早かった。

付近を通りかかった船からの急報を受けるや、直ちに艦艇並びに普天間基地の全ヘリコプター
24機が出動。闇夜の海を真昼のように照らす照明弾は300発以上、不足分は板付から
空輸までして130人を救助した。当時の現地紙は、「米軍のヒューマニズムに感謝す」との
謝辞をもってその労を称えている。

更に、かつてのキャンプ・シュワブの基地司令官の中には、自分の死亡後にドナーとして体の全部を沖縄県民に捧げた人もいる。

しかし、昨今の沖縄は米軍基地への強硬な反対運動で満ちている。その活動家の中には、
「みどり丸海難事故」で救助されて一命を取り留めた人もいる。そこには、米軍の善政の真実に
は目をつぶって、恩を忘れた近視眼的な主張のみが目立つ。

かつて、沖縄に向かった旧海軍の戦艦大和には15万人分の婦人の生理用品の救援物資を搭載
していたという。大義のために亡くなった多数の海軍軍人、沖縄守備隊員と当時の県民の思いは、
現在の沖縄の価値観では理解が難しいようである。そうなった背景には近隣国からの政治戦略の陰が見え隠れする。

先の未曾有な東北大震災に際しても、その報に接するや、米軍は「トモダチ作戦」と呼ぶ本格的な
災害救助活動を極めて迅速に展開した。

その活動の内容は、海軍が空母・ロナルド・]レーガンをはじめとして、厚木海軍飛行場の
ヘリコプターが津波発生の直後から捜索救難活動に投入され、食料などの救援物資の輸送に当たった。

第31海兵隊は船舶が流されて孤立している気仙沼市の離島・大島に救援物資、工事用車両、
電気工事作業員を揚陸させ補給活動を展開し、
各種物資の輸送支援、、300名以上の兵員が
フィールドデー作戦
(Operation Field Day)と命名された島内の残骸除去作業を行なった[

空軍は、嘉手納基地からKC135空中給油機を交代要員と50名のエンジニアと共に三沢基地に派遣。
ルイス・マコード統合基地からは
2機のC−17輸送機(大型長距離輸送機)が救助隊と器材を輸送。
空軍第320特殊戦術飛行中隊はC−130輸送機で飛来し、陸路で仙台空港へ移動して残骸処理に
当ると共に、空港の復旧作業と200万トン以上の食料、飲料水、毛布を被災地に運んだ。
第265海兵隊中型ヘリコプター飛行隊はCH−45輸送ヘリコプター
8機で米KC−130空中給油機2
と共に救助隊と器材の輸送を実施。

在日米陸軍は、UH−60汎用ヘリコプター数機を救助活動に投入。アメリカ本土の第1軍団から
救助部隊が飛来し、補給のための前進後方支援拠点を構成。ソウル・トレイン作戦
(Operation Soul Train)
名称で自衛隊と共同で、仙石線の駅・線路に流れ込んだ残骸の除去作業を行なった、等々枚挙にいとまがない。

以上に見る通り、沖縄の海難事故と東北大災害との両者に見られる共通点は、米軍の一貫した
救援活動の素早い本格的な対応であり、その機動力と信頼性は他に例をみないところである。

「国際協力」や「国際援助」は言葉の遊びに留めてはならない。現地の必要に即した「素早い行動」
こそがその要である。「困ったときの友こそ真の友」として行動した米国に感謝の念を忘れず、
見習うべきところが多々あることを認識すべきであろう。忘恩は亡国に通じる。それは今後の我が国の
持続的な発展に欠かせない心すべき要点であろう。

東北大災害の中にあっても略奪や無用な混乱もなく、多数の救援ボランティアの献身的な活動が世界に
報道されて、我が国の優れた国民性が再認識されたのは不幸中の幸いであった。

沖縄出身の「海の武士道」の著者である恵隆之介氏は、「沖縄戦跡の旧日本海軍壕を『日本の名誉が
ここに眠る』と高く評価して教育しているのは実は米軍である」と述べている。

この事実は、平和ボケした日本国民の一人一人が真摯に受け止めるべき警鐘であろう。

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947103

歴史探訪

知られざる真実

「海の武士道」(恵隆之介著、産経新聞社)という著作があります。

平成19年4月にフジTVのドキュメンタリーとしても放映されて大きな反響を呼び、
それに応えて同じ題名のDVDBOOK(育鵬社)も市販されています。

先の大戦の最中、駆逐艦「雷(いかずち)」の艦長が、撃沈されて漂流している英国軍艦の
乗組員400名以上を自らの危険をかえりみず救助し、その上に、敵ながら勇敢に戦った戦士とし
ゲストの礼をもって迎え、全員無事帰国することができたという隠れたエピソードは深い感動を呼びます。

この史実は、この時に助けられた中の一人・後にサーの称号をもつ外交官となった元英国海軍士
により公表されて以来、旧日本海軍の根底に流れていた「武士道」に見るヒューマニズムの好例として
広く世界が知るところとなり、英米の日本研究の正規の教材として採用されています。

我が国の戦後の教育は自虐史観により戦前のすべてを否定した結果、日本人としての自負心すら
喪失しています。だからこそ、今改めてこの著作を読みDVDを観る意義があると思われます。

以上の著作をご紹介いただいた敬愛する先輩・U氏に厚く感謝すると共に、この寄稿により心ある
方々に広く移牒する次第です。

尚、このお話のハイライトば、YOU YUBE でも検索すれは観ることができます。


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ウノ目タカの目                         

             団十郎を惜しむ

昨年末に中村勘三郎が逝ってまだ日が浅いのに続いて、歌舞伎界のけん引役がまた一人、
市川団十郎の
訃報に歌舞伎界は衝撃で大きく揺れた。

おおらかで品格ある芸風、口ほどにものを言う大きな目、鷹揚で真っすぐな性格は誰からも好かれた。
荒事の豪快な演技にふさわしい名優の66歳の早すぎる死は惜しんで余りある。

 若干19歳で先代の急逝により市川宗家を引き継ぎ、23歳で第十代海老蔵、38歳で大名跡・
第12代市川団十郎を襲名。宗家の「お家芸」・「江戸歌舞伎十八番」の様式美の伝統を受け継ぎ、
次の世代に渡すことを使命として精進する傍らで、常に時代に即した新らしさを取り入れる
創意工夫の努力も怠らなかった。

 当たり役「助六」、「暫」の鎌倉権五郎、「鳴神」の鳴神上人、「毛抜」の粂寺弾正等々の見事な舞台は、
その存在感で多くのフアンを魅了して歌舞伎のシンボルであった。

新歌舞伎座のこけら落としを目前にして、晴れ舞台を飾ることができなくなったのはさぞ無念であろうが、
「成田屋」の伝統は子息・海老蔵の双肩にしっかりと受け継がれている。

12代団十郎の「一睨み」をもはや観ることができなくなったのは残念であるが、来るべき13代の
誕生が期待される。
海老蔵には将来の歌舞伎を担うにふさわしく、12代を凌駕しうる余香がある。

                            合掌

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ウノ目タカの目

          「甦る邦画の名作」の反響に  

N先生

ご出張中の韓国より、WEBにて拙稿をご高覧頂きました由にて御礼申し上げます。

数少ないリメイクされた映画の中で、私も「野菊の如き君なりき」は、昭和30年最初の
映画化である木下恵介督作品を観ました。

高校学時代に最も感動した小説が二つあります。それがこの原作である伊藤左千夫の
「野菊の墓」と夏目漱石の「心」でしたので、この映画に感動を新たにした記憶が現在も鮮明に甦ります。

政夫と民子の最後の別れの場面・「矢切の渡し」あたりは、今は帝釈天・「寅さん」詣での
客で賑わっています。
詩情豊かな作品の舞台とは対照的で感無量です。

原作者の伊藤左千夫は千葉県山武郡(現在の山武市)の出身で現在記念館があります。

「ホトトギス」に発表した「野菊の墓」を漱石が絶賛したことを後に知りました。

この映画でデヴィユした主演の民子を好演した有田紀子は民間から選ばれた清純な美少女した。
その後TVにも何度か出演しています。

奇遇というべきか、その岳父が鎌倉のテニスクラブの会長でしたので親しくご指導を頂きました折に、
お嬢様のお話を伺ったこことは大学時代の懐かしい思い出の一コマです。

「野菊の墓」はこれまでに映画化が3回、TVドラマが9回、舞台で8回も繰り返し上演されて、
不滅の名作の地位をゆるぎないものにしています。



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ウの目タカの目

                     甦る邦画の名作 

山田洋次監督「東京家族」が巷の話題をさらっている。映画はその国の文化の一環だけに、
一頃はTVや洋画に押され気味で低迷していた邦画が、近年は本来のあるべき姿を取戻して
みごとに復活していることは喜ばしい限りである。

これまで「釣りバカ日誌」や「寅さん」シリーズを通して、山田作品が庶民の人情を描
く優れた力量は承知していたが、今回の「東京家族」を観るきっかけとなったのは、たまたま
TVで垣間見たこの作品の撮影風景であった。

映画監督の制作手法は大別すると二種類。シーンの狙いやポイントのみを説明してあまり
演技に口を挟まずに役者独自の技量をじっくりと引き出すタイプと、監督の望むイメージを
演技指導をして、その通りに役者を動かすタイプである。

山田監督の演出は後者のタイプ。僅か何秒かの微細なしぐさまで、その人物の心理状況を踏まえて、
事細かに自ら行ってみせる演技指導を徹底する個別シーンの作り込みの情熱に強い印象を受けた。

これが完成作品ではごく自然に融合して切れ間のない一本の糸で紡ぎあげた見事な作品となり、
観客の感性の琴線に触れてカタルシスを生む見事な仕上がりとなる。

映画はシーンごとに常に不連続にバラバラに撮影するが、監督の創造の宇宙は全体像と個別シーンが
渾然一体となっているのはやはり天与のものなのであろう。
それは、あたかも釘を一本も使わずに、木組みだけで寸分も狂いのない堅牢な神社・仏閣の大伽藍を
創る宮大工の名匠の技に匹敵するものと言える。

「東京家族」は、瀬戸内海の小島から上京してきた老夫婦とその子供たちを巡る市井ではよくある
お話だが、我々が忘れているものを気付かせてくれる一見に値する秀作である。

我々が若き横高時代の昭和28年芸術祭参加作品・故小津安二郎監督の名作・「東京物語」の
リメイク版でもあり、この作品は故小津監督に捧げられている。

モチーフは原作と同じだが、脚本は大切なセリフは極力原作を生かしつつ、場所の設定やストーリーは
現代風に多少アレンジして新たに書き下ろしたものである。

「東京家族」を観た後で、その原作「東京物語」を観ると、時代を超えて共通の大切なものがさらに
良く見えてくる。

原作には往年の名優がずらり。原節子(引退後鎌倉に隠棲して久しい)をはじめ、以下はいずれも
故人となった笠知衆、東山千栄子、山村聡、杉村春子等々の松竹大船全盛時代の小津組の錚々たる面々である。

「東京物語」の全編はY−Tubeで視聴することができる。そのヒット数は今日(平成25128日)
現在すでに3万8千件を凌駕していまだ止まらない。

秀作邦画の復刻の事例は「二十四の瞳」や「伊豆の踊子」他にもあるがその数は極めて少ない。
そこに新規性を加えて一投を投じ、甦りの流れを深くした意義は大きい証である。


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ウの目タカの目

           松陰会津に入る

東北災害復興の支援を込めて、NHK―TVの大河ドラマ「八重の桜」がスタートした。

会津藩は親藩の雄でありながら、明治維新の夜明け前から厳しい運命に曝されて耐えてきた。
鎌倉時代の昔、会津の祖が三浦氏と縁があり、時代は下って江戸湾防備でも三浦とは絆の深かったこともあり、
会津の史実を学ぶことは有意義なことであろう。

時は開国機運が熟しつつある嘉永5年(1852)2月8日(新暦2月27日)、長州・萩の
吉田松陰は宮部鼎蔵(山鹿流軍学者の肥後藩士)と共に会津街道(殿様街道)の一角・諏訪峠超えを決行した。

諏訪峠は会津と越後の新発田をむすぶ、今でも一里塚や石畳が残る。かつては参勤交代にも使われ
人馬が往来する賑やかな道であった。峠からは磐梯山や日本海を眺み、諏訪神社跡や松陰の詠んだ
漢詩を刻んだ「吉田松陰詩碑」が立つ。しかし、厳冬期の峠は人の身の丈を超える豪雪に閉ざされるので、
峠越えは命がけであった。  

この東北旅行は、外国の軍艦が出没する東北地方の実情を踏査するため、藩の過書(通行手形)を待たずに
出立したので、その咎で松陰は士分を剥奪され浪人となった。

途中水戸に立ち寄り多くを学び、会津では藩校・日新館にも訪れている。その足で佐渡、秋田、
青森を回って江戸に戻る120日間の視察であった。

知行合一・実践行動を貴ぶ松陰が踏破した全旅程は、萩から九州遊学(長崎、平戸、熊本)に始まり、
江戸留学、相模(浦賀)視察そして東北旅行、その後の近畿遍歴、そして下田を合わせると驚くべき長距離になる。

平成17年2月、松陰が超えた厳冬の「諏訪峠」を萩市の松陰研究家と新潟・会津の有志が共に蓑笠を
つけて踏破を試みて、難所を体験して当時に思いをはせた。

しかし、維新後の勝てば官軍長州の会津藩に対する武士道に悖る理不尽な処遇にたいする確執は峠の深雪の
ように容易には融けるものではないことを、松陰は夢だに思わなかったであろう。



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ウノ目タカの目
              がけ崩れ

紅白歌合戦が終わり除夜の鐘がいまだ鳴り止まぬ元旦早朝、飛び込んできたのは江ノ電崖崩れで
不通のニュースであった。復旧はその夜9時を回ったので、鶴岡八幡宮から江の島へアクセスが
ない初詣の人々はさぞ戸惑ったことであろう。

鎌倉の風物詩となった江ノ電は、沿線の家並すれすれにゆっくりと走るなんとも詩情豊かなものだが、
崖崩れとはまったく思いもつかなかった。

言われてみれば、確かに崩れた極楽寺の付近だけは狭い切り通しのある唯一の場所である。                 

その極楽寺には思い出がある。大学時代、二階堂のテニスクラブにN君が入会してきた。
彼の家は極楽寺。
元デ杯選手をはじめそうそうたるメンバーの中にあって、テニスの腕前は私とほぼ同じ初心者で
あったこともあり親しくなった。
テニスの後に必ず駅前の喫茶店「イワタ」に立ち寄って哲学を語った。

彼は一人子で日比谷高校卒の受験生。軽く精神を病んで、青山から鎌倉に転居してきたという。
湘南の海洋性の気候とテニスのたまものか、すっかり心身ともに健康を取り戻しているように思われた。

私の大学卒業を祝ってお宅に招待されて驚いた。なんと、彼の岳父は当時のベストセラーで熟読
していた岩波新書の「日本経済図説」、「世界経済図説」の共著者の一人、本郷の経済学部の
高名な教授であった。
温厚で若輩にも耳を傾け、ご自身の若き日のご苦労の思い出を交えて、視野を広げる貴重な
アドバイスを伺ったことはその後の大きな糧となった。

N君には私の母校の受験を薦め、その合格祝いに(当時の風習で)私の学帽を贈った。

社会人となってからは仕事の関係でテニスクラブとも遠ざかり、賀状の交換のみとなったが、
ある時からぷつりと音信が途絶えて以来半世紀を過ぎる。

現在はご両親はすでに鬼籍に入られていると思われ、極楽寺の周辺も様変わりして、昔の面影はなく、
いまだN君の消息の手がかりもない。

崖崩れといえば、昨年京浜急行の逸見付近でも不通になった記憶が新しい。

江ノ電も京急も普段はまったく意にかけないところに、お思いもかけない危険が潜んでいた。
想定外では済まされないことが身近にいくらでもあることを再認識した年初であった。


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ウノ目タカの目

               演技の陰に

伊東史朗という俳優がいる。
若いころから浅草喜劇に通いつめてその世界に入り、下積みからスタートし、
やがてTVのドタバタ喜劇の「電線マン・ベンジャミン」が当たって全国の茶の間の人気を席巻した。
それだけでも役者冥利に尽きるが、一過性の人気に甘んじない彼の天性は、それまでとは異なる
新たなシリアスなドラマに挑戦して大きく飛躍した。
背中に人生を感じる彼の重厚な演技は、かつてのドタバタ爆笑王の片鱗すら窺えない見事な変身である。

ドリフターズのいかりや長介も同様な変身の好例であり、両者ともに渋い役も立派にこなす演技幅の
広いアクターとして大成した。

平成24年のゆく年を締める歌舞伎・「鬼一法眼三略巻」は、源氏再興を志す人々の物語が絢爛に
繰り広がる義太夫狂言の名作。平氏討伐を心に秘めて「阿呆」を装う一条大蔵卿を演ずる中村吉右衛門の
天然ボケぶりと、一転して凛とした威厳のある本性を瞬時に演じ分ける変身ぶりは見事で見どころの一つであった。

梨園の世界であれ喜劇であれ、役者は自分の殻を破って常にあらゆる役を演じ分ける天性が命である。
芸術に不可欠なことは常に創造的な破壊への挑戦であろう。その根底に流れるものは、「一より習い
 十を知り 十よりかへる もとのその一」
の利休にも通じる不断の精進にある。

片や政治家の世界を俯瞰すると、吹く風により自らの旗印がくるくる変わるのは歌舞伎の世界とは似て
非なるもので、塵のごとく軽いのはいかがなものか。

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ウノ目タカの目

     宇宙太陽発電(SPS)の実証衛星打ち上げ目標決まる

掲題に関する12月14日日本経済新聞(夕刊)の記事を添付します。


JAXAが17年度に打ち上げる目標が決まりました。

いよいよ宇宙からの実証が始まります。究極の大型クリーンエネルギーの幕開けです。

我が国がエネルギーの輸出国となるコペルニクス的な変革のスターです。

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ウノ目タカの目

           中村勘三郎を惜しむ

富士 紅葉 名残の月に勘三郎   野田秀樹

歌舞伎の巨星がまた一人逝った。まだ油の乗り切った50代、その急逝は惜しまれて余りある。

名門中村屋の名跡の伝統を正しく継承しつつ、斬新な試みで新たな分野を切り開き、
海外を含めて多くの歌舞伎ファンの心つかんだその足跡は高く評価されているのは言を待たない。

勘三郎を追しむ各界からの多数の言葉の中で、20代から共に歩んできた劇作家・演出家の野田秀樹氏の追悼文
(日本経済新聞)は胸を打つ白眉である。

野田氏は、歌舞伎の世界に観る人物像・「悪しき力と戦い、市井の人々には心優しく、義理人情に厚く、忠義を守り、
喧嘩早くて涙もろく、苦労を自ら背負って、それでいながら底抜けに明るい日本人の原点」を文字通りに生きた勘三郎を見た。

野田氏の初めての戯作「研辰の討たれ」の中で、追い詰めれた討たれ役を演じて刀を研ぎながら涙を流して語る
勘三郎のせりふがよぎる。

「生きて生きて、まあどう生きたかはともかくも、それでも生きた緑の葉っぱが、枯れて真っ赤な紅葉に変わり、
あの樹の上から、このどうということのない地面までの、そのわづかな旅路を、潔くもなく散っていく。まだ生きてえ、
死にたくねえ、生きてえ、生きてえ、散りたくねえ、と思って散った紅葉の方がどれだけ多くごさんしょう」

 至芸を極めながら高ぶらず、ざっくばらんで親しみやすい人柄は、世界のマエストロ・小沢征爾にも共通するところであり、
人心をつかんで離さぬ天性である。

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ウノ目タカの目

              大河ドラマ

NHK大河ドラマ「平清盛」がまもなく終了する。 
ビデオリサーチによると、歴代ワースト3の低い視聴率(17.3%)でスタートし

たが、第6回(2月)の時点でも13.3%(第5回から2.7ポイントも大幅下落)、
その後も低迷のままで推移したようである。

制作費は1本当たり軽く1億円(外部スタッフに約6000万円に内部スタッフの人件費4000加えれば)を超える。
民放が4000万〜5000万円で制作する倍以上のコストをかけているが、その原資はわれわれが払う受信料である。

 ドラマの良し悪しは「本」(脚本)と「演出」と「出演者」により決まる。特に歴史物

は良く知られているだけに、特に本の出来・不出来が大きく左右する。敢えて独断と偏

見をお許し頂くとすれば、「本」は「篤姫」と比べて切れ味がはるかに劣る。

「演出」は画面をリアルにわざわざ塵で汚して当時の様子を忠実に再現したが、その狙いは成功とは言い難い。
 
汚さのみが目だって不快感で逆効果となった。

メディア論の専門家は戦いのシーンについて、「“ただの混乱”にしか見えない」手厳しい。

「出演者」も少数の例外を除き演技の重厚さに欠ける。

強大な権力をもつNHKは、受信料による公共放送の在り方につきマンネリを打破する岐路にある。

大河ドラマ、紅白紅白歌合戦等々すべての番組にメスを入れる番組審議会がその本来の目的を真に発揮すべき秋であろう。

来年の大河ドラマには、期待が高まるばかりである。

大河50周年の節目が、ひょっとすると……。 

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書 評

村井實著「剛腕の小沢一郎、独裁の橋下徹」(アートブレーン社、2012年5月刊)

新聞は「世の木鐸」と任じているが、果たして現状はいかがなものか。

 どの全国紙を読んでも「金太郎飴」のように同じ論調。あたかも出所を同じくするプレスレリースをそのまま一斉に流しているだけと錯覚する現象が目立つ今日このごろである。

真の報道に求められる要件は、「独自の取材」による事実の報道と啓蒙にある。

その努力を放棄し、与えられるソースに依存する安逸な報道体質は木鐸には程遠い。

 権力はえてして業界や大衆に迎合し、常に正しいとは限らない。それに果敢に掉さして、あるべき姿の世直しの警鐘を鳴らすのがマスメディアの負うべき社会的責任であろう。

読者の思考回路は報道される内容により形作られ、あたかも真実のごとく世論となって広がる。マスメディアを誤用する報道操作は亡国の兆しである。

 万が一にも、扇動的なニュースは商品(売れてこそ価値がある)とか、権力からの干渉や広告収入減(産業界からの報復)等々を恐れて、社の内外からの圧力に屈し真実を隠ぺいすることがあるとすれば、報道の使命感の放棄、言論の自由の侵害として看過するわけにはいくまい。

 著者は、全国紙や国を代表する通信社の記者として長らく警視庁・国会を担当し、その事態を周知。さらに、スタンフォード大学フーバー研究所で研鑽を積み、米国大統領との単独会見という異例の足跡を記して大学でも講じている。その40年を超えるキャリヤで培った、大胆にして細心・周到な取材能力と、的確な分析能力をもって「三手先を読む」ことができる稀有な気骨あるジャーナリストである。著者がこれまで公表してきた政界の動向予測が、すべてその通りに推移している事実がそれを如実に物語っている。 

 そのスタンスは一貫して無私。利権・既得権乱用への戦いの視点は決してブレることがない。不透明感を蹴散らす批判力と圧力に動じない気迫、現況を逆転させるペンの力強さ、為政者を見抜く「伯楽」の確かな目は、彼の出身地・北海道・日高の牧場で、サラブレッドの中から駿馬を峻別する片鱗を見る。濃霧の中から、やがて現れる高峰を予見する手法は緻密にして偏りがない。

 過去を遡ることは未来を占うことである。本書は、危機にある日本の将来を診る目を培うために、知られざるエピソードを織り込んで判り易く書かれた参考になる一冊である。

                     伊藤 博

(国際経営コンサルタント)

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歴史探訪

             三浦按針の念持仏

逸見の按針塚は少年時代から親しんだところでもあり、その地名の由来も聴いていた。後に歴史でも学んだが、日本経済新聞(11月5日)に掲載された按針の菩提寺である浄土真宗本願寺派の「浄土寺」・逸見住職の記載を読み、按針の人物像にさらに厚みを加えることができた。

  これまでに断片的に承知していたことは、下記の程度にすぎなかった。

1567年英国生まれのウイリアム・アダムス(三浦按針)は、1598年にロッテルダムからオランダ船リーフデ号の航海長として東洋を目指す途中に漂流。1600年に大分(臼杵市)に漂着。大阪に連行されて豊臣政権下の五大老の一人家康に面会。

優れた航海術と造船技術をもつアダムスは伊東で西洋式帆船を建造。その見識と人物を認められて外交顧問(旗本身分)となり、天領であった三浦半島の逸見に250石の領地を拝領。逸見の地で一男一女をもうけた。

このリーフデ号に乗っていたオランダ人(航海士)・ヨーステン・ファン・ローデンスタイン、日本名は耶揚子(ヤン・ヨーステンの名で知られている)も家康に信任され、江戸城の内堀内に屋敷を拝領、日本女性と結婚。屋敷のあった場所は現在の東京駅のある「八重洲」。その地名の由来は彼の名の訛ったもの。東南アジアの朱印船貿易を行い、バタビア(ジャカルタ)から日本への帰途にインドシナで座礁して溺死と承知している。

今回の逸見住職の記載から新たに知りえた新たなる史実は、

 .すでに日本に来ていたスペイン、ポルトガルの商人やカトリックの宣教師までが、プロテスタントのアダムスを殺すように求めたが、家  康はアダムスの人物と力量を見抜き、 船員全員を釈放。

2・アダムスの難破船は500丁の火縄銃と火薬を積載していた。

3・按針の江戸屋敷は日本橋按針町。

4.英国商館長の日記に記載されているエピソード。

  平戸から江戸に向かう途中、妻のゆきが按針一行のために、藤沢までパンと牛乳、ワインを届けた。領民にも慕われた記録がある。

5.按針はシェクスピアと同年生まれ。日英合作の舞台「ANJIN イングリッシュ・サムライ」が2009年に日本で初演。本年12月に横浜と東京で「按針と家康」と題し再演されるという。

6.2013年1月、英国商館(平戸)開設400周年記念でロンドンでも上演予定の由。

7.按針の持っていた「念持仏」(銅製の観音像)が浄土寺に残る。(転載写真を参照)

逸見住職の夢は、以上の貴重な史実に基づき.横須賀で「按針サミット」を開催して町おこしに役立ちたいと願っている。心より実現化をお祈りする次第である。

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歴史探訪

              官軍の傲り

歴史を遡って三浦氏と会津の縁や東京湾防備における会津藩の実態について、これまでにも折あるごとに触れてきたが、戊辰戦争に敗れた会津は賊軍の汚名を着せられ、長らく凄まじく不当な差別を受けることになった。官軍であった長州閥が実権を握った陸軍の逆境下にあって、陸軍大将まで上り詰めた不屈の会津軍人がいた。

五郎18601945、軍事参事官・台湾軍司令官・東京衛戍総督・第12師団長を歴任、陸軍大将、勲一等功二級)その人である。

しかし、軍人としての輝かしい業績の陰には、柴一家の受けた言語につくせぬ悲惨な扱いがある。これは正に官軍の傲りの投影であり、武士道の片鱗だに窺えない。

歴史的な恩讐と確執を乗り越えて、長州が公式の和解のために会津を訪れたのは、なんと平成の御代になってからのつい最近のことである。

添付した産経新聞のコラムはこの悲惨な史実を生々しく物語るもので、忘れてはならない近世史の汚点の一コマである。

柴五郎に関する著作は多数ある。関心のある方に参考までに敢えて一冊を挙げるとすれば、柴五郎著「ある明治人の記録−柴五郎大将の遺書」石光真人編 中公新書。

来年のNHKの大河ドラマ「八重の桜」は、この当時の会津の物語である。


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歴史探訪

           尖閣列島問題について

掲題につき、学僚である近代史の泰斗・茂木先生が、情報統制下にあって正しい情報に接することにできない中国人のために、我が国のまともな尖閣論を中国語にしてこのほど発信しましたので、その紹介がありました

日本語版は、「尖閣列島は日本固有の領土である」http://hassin.org/01/wp-content/uploads/senkaku.pdf

英文版は、http://www.sdh-fact.com/CL02_1/79_S4.pdf   

上記のアドレスをクリックすれば一読できますので、ご参考までに移牒いたします。

Not a single basis for China's Claim over Senkaku Islands

 As is well-known, China had never claimed sovereignty over the Senkaku Islands until 1968, when the United Nations Economic Commission for Asia and the Far East published its survey findings, which noted the possible existence of huge resources below the seabed surrounding the Senkaku Islands.

Chinese Foreign Minister Yang Jiechi, in his address made at the United Nations General Assembly on September 27, 2012, reiterated that Japan ”stole” the Islands.

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ウノ目タカの目

              ソフトの味から
三井アウトレット(木更津)にいつも長い行列のできるソフトアイスクリームのスタンドがある。モノは試しとトライしたが、なぜこれほど人気があるのか判らなかった。

牧場ブランドの乳製品には2通りある。

観光を目的にしてできた牧場はミニ動物園で、家族で牧場の雰囲気を近間で手軽に楽しむことを主目的にしている。優れた乳を出す牛はいたころでその数は少ない。大々的な宣伝につられて訪れる観光客とそのブランドの市販製品の全需要を賄うほどではなく、製品の質も謳い文句ほどではない。

他方で、本格的な酪農を目的としてスタートし事業に成功した上で、そのPRの一環として観光客に一部を開放している牧場の製品がある。そこで生産される牛乳は、長年にわたり牛を改良してきた成果であり、濃厚で他社の市販の製品とは明らかに別物の味がする。

味覚には個人差があるのを承知で独断と偏見でこの2社の典型的な事例を挙げれば、前者はマザー牧場(千葉県)、後者は小岩井牧場(岩手県)である。

飽食の時代とは裏腹に、本物の味を自ら判別できる人が少なくなった。

「ミシュランの星の数」、「行列のできる店」、「マスコミにうまく乗せてさりげなく宣伝する店」につられて、自称グルメ?の客が付和雷同に流動する。一過性で消えてゆくものが少なくない。

幼少の頃より本物の味に触れることが乏しくなった昨今、自ら判別する舌を持たないのでやむを得ない現象なのかもしれない。その上に、本物を産する牧場はえてして首都圏からは遠隔地にあり、簡単に行くわけにもいかない。

しかし、幸いにも都心には各県のアンテナショップが増えてきた。手軽に立ち寄れば、好みにあう本物の味を容易に見つけることができるようになった。

食は生きる基本であり、一生で食べる回数は限られている。世の論評に頼ることなく、じっくりと本物を味わいたいものである。

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書 評
         ハム・ギョンシク著、上田秀夫訳、現代書林刊

「塩を変えれば体は良くなる!?」

健康志向の増大に伴って、世は減塩ブームである。

そこで、「高血圧や脳卒中の原因は塩分のとりすぎにある」との通説にメスを入れて、その真偽を豊富な事例と実験結果で判り易く述べている。我が国と世界の塩事情を学ぶためにも一読に値する一冊である。

筆者は、韓国・国立木浦大学食品工学科教授、同天日塩生命科学研究所長。

現在摂取されている「純粋塩」(海水からイオン交換膜で分離抽出した純粋なNaCl)と塩田で作られた「天日塩」(豊富なミネラルを含む)を比較して、生命へ及ぼす影響を本格的に追及している。

地球上の多数の生物は、その誕生から長い進化の過程からも判る通り、それぞれの体のミネラルバランスは驚くほど酷似していて、生活環境(海、淡水、陸上)が変わろうとも、そのバランスは太古の海を反映している。従って、人にとって豊かなミネラルを含む塩分の欠乏は、無気力、食欲不振、精力減退につながり、生命までも奪うことになる。

塩の字源を古代象形文字まで遡れば、役人(臣)が塩袋を器にのせて守っている様を表わしている。富と健康をもたらす貴重な天然塩を国家が管理していたことを表している。

ヨーロッパでも、塩(Salt)の語源はラテン語のSalus(塩の女神)であり、健康と富の象徴。ローマ時代には給料(今日のサラリーの語源)ともなり通貨の代替にもなっていた。日本でも平安時代の官吏の給料は塩で支払われた記録がある。

天然塩(天日塩や岩塩)は、生命維持に必要な83もの元素が含まれているが、これは人体を構成する元素とほぼ一致する。しかるに、海水から人工的にイオン交換膜で分離した食用塩は、純粋なNaClのみで他の元素を含まない。この純粋塩を連続接収することによる弊害は、生命活動に不可欠なミネラルの欠乏を誘発することは言をまたない。

世界の塩の生産は、61%が岩塩(太古の海の名残)、37%が大規模塩田、残りの僅か2%が戦後日本の開発したイオン交換膜による精製塩と韓国の塩田産の天日塩。そして、世界の塩の消費は85%が工業用で、15%が食用である。

従って、世界の食用塩の大部分はミネラルを含む天然塩であり、人工の精製塩を主としているのは日本のみであるところに大きな問題がある。

日本の現在の製塩法は2種類。「精製塩」(イオン交換膜法)と「再生塩」(工業用に輸入した塩を不純部を取り除くために一旦海水に溶かして再結晶法)である。食用の70%が精製塩だが、両者ともにNaClの純度は99.56%〜99.71%と高いがミネラル分はほとんどない。

ミネラルは天然塩以外にも食物から採ることもできるが、最新の研究によると、農作物はこの50年間で90%ものミネラル分が減少しているので、もはや野菜から必要量を採ることは出来なくなっている。

近年顕著に増えているアレルギー疾患や生活習慣病は、「精製塩の普及」に起因するとの研究成果は注目すべきである。また、減塩指向によりナトリウムの摂取を過度に減らすと、高脂肪症、心血管疾病、インシュリン抵抗性増加や代謝異常を起こすとの研究結果も紹介されている。

韓国では、年間60万トンの食用塩を消費しているが、その内の30万トンは大生産地である全羅南道新安郡(朝鮮半島の最南端)で生産される伝統的な天日塩で、その豊かなミネラル含有量は世界でも指折りである。

さらに、その塩を古代窯で焼いた「秘伝の焼き塩」(1トンの天日塩から僅かに100gしか生産できない)がある。韓国の薬学書「神方薬」によると、生命活動の原動力となる「気」を持ち、浄血、解毒、消炎、生新、抗菌、調圧、強壮作用の効果があるという。

断食修行僧が口にできるのは、この「秘伝の焼き塩」と清水と松葉の三つのみである。これで身を清め続けると、骨がルビーのように美しく輝くようになる。寺で高僧の遺骨を拝観すると思わず息をのむほどに美しいという。

科学的な実験によると、この「焼き塩」を溶かした水溶液は還元力があり鉄釘が錆びない。それにより、近年注目されている「レドックス(REDOX)」(酸化還元現象)による生命現象のカギと期待され、老化防止や予防医学に大きく寄与する可能性を秘めている。

中国の復旦大学でも、焼き塩が活性酸素を消去することは実証されているが、「焼き塩」を添加すると天ぷら油が酸化しない。「焼き塩」の水溶液に浸した野菜や魚・肉は鮮度がよくなる等々その効果は多岐に及ぶ。

韓国政府は、「自然を守ることは大事な塩を守ること」であり、命を守ることであるとして、この塩田地域を「ユネスコ生物圏保存地区」として保護を申請し、2009年に指定を受けている。

塩は単なる調味料ではない。天然塩は自然治癒力や免疫力を高め、細胞を活性化し、疾患を治し病気を予防する効果がある。良い塩(天然塩)を摂取することは、心身ともに健康な生活をおくる基本であり、現代人の救世主である。

「たかが塩、されど塩」。我が国も遅まきながら改めて天然塩の意義を根本的に見直すべき警鐘として、誠に時期を得た上梓である。

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ウノ目タカの目

            79歳の主婦の偉業

独学で日本最古・1000年前の医学全書・「医心方」(全30巻)を40年もの年月をかけて解読・現代訳をした79歳の主婦がいる。槇佐知子氏その人である。

このほど初の完訳本の出版(全33巻、筑摩書房)が完結した。その想像を超える努力にただただ感服する以外にない。

円融天皇の重臣・鍼博士の丹波康頼が72歳のとき編纂し、984年に朝廷に献上した選集で、中国の紀元前から唐代までの医学、仙学、仏典、哲学、文学など200以上の文献から病気の治療法や養生法、医師の心得などを抜書きした東洋知の宝庫である。

原書は難しい漢文。長らく門外不出であったので編集から1000年以上その全貌を知る者はいなかった。

槇氏は、偶然に知り合った医師から家宝の「医心方」の復刻版・「安政本」(1984年に国宝指定された「半井本」を安政年間に模刻したもの)を見せられた。

主婦ながら、それまでに今昔物語の難解な原文に親しんでいたので、おおよそ読めそうに思われたのが現代訳への挑戦を始めたきっかけである。

先ず、全30巻の難解漢字約5000字を抜出し、大漢和辞典にもない文字を部種別に分類した字書を作り、翻訳を始めた。

植物は中国で同名異訳が多数ある。そのために、これまで未訳であった薬学古典「径史証類大観本草」の翻訳もした。そのほかにも、老子、陶淵明、呂氏春秋などの古典からの引用もあるので、その都度関連書籍を読みあさった。

巻1「医学概論篇」の第1章で、原本の編纂者・康頼が中国の医書「千金方」から引用して、医師の心得を「私利私欲を捨てて、親心で患者の救済にあたれ」としている見識は、現代人が学ぶべきでところであると、この現代訳の偉業を紹介している日本経済新聞(10月11日)は結んでいる。

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ウノ目タカの目

         「5階の上に地下を創る」(そのU)

我が国の尖閣諸島国有化により、中国の反日感情が高まり、日系企業への暴動、略奪が多発。不買運動が異常なスピードで拡大している。我が国の大手自動車メーカー上位2社の9月の販売実績は35〜49%の大幅な減。日本への観光客ラッシュもパタリと止まった。

5億人の巨大市場に魅了されて、バスに乗り遅れまいと進出ラッシュしてきた多数の日本企業が岐路に立たされている。中国は行政・立法・司法が一党支配なので変わり目も早い。そのカントリーリスクに対する危機管理のガードの甘さを突かれた形である。

しかし、中国の為政者と多くの市民の対日感情の世論とははたして一枚岩なのであろうか? なぜ、市民の不自然なほどの不買運動にまで発展したのであろうか?

高校から中国に留学して、大学(北京大学)・大学院を修了して現地に就職。通算10年以上中国で暮らした30代の日本人が大都市に暮らす中国人について、肌で感じた印象をまとめた著書・「中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか」(加藤嘉一著。ディスカバー・トウェンティワン刊)をサミングアップで紹介することは、小生の寄稿(9月16日付No,83、「5階の上に地下を創る」)を補足し裏づけるもとして、両国の政治的な厳しい現況を理解し対処する一助になるかもしれない。

中国人は

急激な経済成長で激動するカオス社会の大きなストレス下にある。伝統的に世の中を「弱肉強食の舞台」と見做している。厳しい競争社会には年功序列や終身雇用はない。必要なことは、周りを蹴散ら出し抜くスピード感と批判や圧力に動じない気迫。

行動は現状に合わせて臨機応変、朝礼暮改は日常茶飯事。計画が変更に追いつかない。

公共の場ではまったく大胆で遠慮がなく秩序がない。社会全員が平等に共有・享受する公共の場では、全員が自らの利益を最優先しようと競う。欲しいものは手段を選ばず手に入れなければバカを見る。自己の損得勘定がすべてに優先するので公衆道徳は捨て去る。

信号はためらいもなく無視、行列には並ばない。ラッシュ時の地下鉄に殺到する乗客の衝突、罵りあい、席を奪い合と喧嘩。携帯電話や大声での会話、車内で子供が騒ごうがお構いなし。

反面で、プライベートの場では相互不干渉、公私混同を好まない「個人の専有の場」・

「自己の意思により自由に使える貴重な空間」としてマイライフを満喫するために大切にする。男性は紳士になり女性は淑女になる。家具や家電には金があれば消費を惜しまず消費する。

日本人は

「みんなで共有する公共の場」から排除されないように、礼儀正しく、妥協し譲り合う。「少数は多数に従う」との原則に従ってできる限り秩序を守り、義務を果たさねばならないと考える。

公共ルールが国民の一人一人に刷り込まれているから無意識にそれを守るのは当たり前。譲歩し妥協することが結果的には良好な秩序維持となる。「急がば回れ」を守ることが社会全体の利益に合致するので、それに沿った行動をとる。

周りに遠慮し、気を遣い、空気を読んで外づきあいを大切にする。職場社会も上司、同僚、取引先との付き合いを無視できない。個より公、金より徳、競争より和、主張より察する、惻隠やもののあわれを美しいと感じる美観。原則を重視して、状況の変化にもかかわらず決められた方向に全員が雪崩のように突き進む。

プライベートの時間の認識は、「個人の城」・「社会のストレスから完全に解放された空間」・「上司の監視も煩わしいルールもないリラックスの場所」。公共の場の心理的な抑圧からの解放の場である。

以上の通り、中国人と日本人の行動パターンは公共の場では大きく異なる。プライベート面では一見すると同じように映るが、その発想の根源で本質的な違いがある。敢えて両者の一致点を挙るとすれば、「生きるため」を目的としていることであろうか。

 中国人は、長い歴史が培った戦略的な思考に長けている。「攻撃は最大の防御」として走り続けることが評価される。ことの正邪は問題ではない。

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ウノ目タカの目

           ドィツの脱原発の背景

ドイツの原発の取り組み方は、産業・経済発展の意見よりも、独特の「ドイツ倫理委員会」の見解を重視した「原子力エネルギーからの段階的な離脱」が優先債採択されている

原発依存の是非を考える出発点は日本もドイツと同じであったが、何ゆえに一倫理委員会が「目標を脱原発」に踏み切るほどの発言力があるのかの疑問を解き、日本とドイツの基本的な考え方の相違を明らかにすることは今後の参考になるかもしれない。

ドイツの倫理委員会」は、メルケル首相が直々に指揮して招聘。その構成は、委員長が政治家と研究者の2名。メンバーは首相が自ら10名を選び、残りを委員長が選定。

その内訳は、環境問題に取り組む人と企業的な考えを持っている人をバランスよく選出。原子力の専門家や電力会社関係者はいない。消費者からはエネルギーのことをわかっている人、ほとんどわかってない人の両者から。宗教界からはカトリックとプロテスタントの各代表。倫理並びに危機管理の各専門家。それに与野党の議員等々各方面を網羅して多彩である。

更に、この「倫理委員会」と併行して、「原子力の安全を確認するための委員会(原子炉安全委員会)」を設置。

原子炉安全委員会の答申は、ドイツは地震や津波は想定外。テロのリスクが残るものの、原発の安全面については日本よりも厳密に規制を行っているので福島のようなことは起こらない、としたが、メルケル首相は最終的には「倫理委員会」の意見の方を尊重し、コストより安全を採択した。

ドイツ倫理委員会の答申は、

「リスクの問題を単に技術的な側面へと狭めてしまうことは、 全体的な考察や包括的な考量という要求からすれば正しくない 」と指摘した上で、

「原発のリスクは 実際に起こった事故の経験から導き出すことはできない。 なぜなら、 原子力事故は、 それが最悪のケースの場合にはどんな結果になるかは未知であり、 また、 評価がもはやできないからである。 その結果を 空間的にも時間的にも社会的にも限界づけることができない。 その当然の帰結として、 被害事例を除去するためには、 原子力技術をもはや使用すべきではない」 と結論付けている。

ドイツの考え方の根底に

1)人間の健康、

2)環境、

3)次世代への配慮

があり、エンジニアの立場からみた安全性からの技術論ではない点が我が国とは根本的に異なり、国民性と哲学の差が表れている。ドイツが仮に日本のような地震大国であったら、原発はまず選択肢にはなりえなかったということになろう。

これに対して「日本の総合資源エネルギー調査会基本問題委員会」の構成は、経済系、金融系、環境系の人や研究者、消費者団体代表などからなるが、会長が鉄鋼会社で伝統的に経済成長を指向する産業界の声が強く、環境派の脱原発依存を白紙から見直すという論議は軽視されたと聴く。

経産省が議論をまとめて答申するにあたり、「定量的な数値のシナリオを作る必要あり」という流れになり、技術論とコスト論が中心の議論となる。

シナリオはあくまで計算上の机上論でしかない。大事なのは「最終的に我々はどこにいくのか?」を決めることにある。環境派の委員が不毛の議論の進め方に反論しても通らないのが常のようである。

日本の原発の在り方に対する視点は、

1)原子力の安全確保、
2)エネルギー安全保障の強化、
3)地球温暖化問題解決への貢献、
4)コスト抑制、産業の空洞化防止

といった比較検証で、コスト・経済性の判断が中心であり、ドイツとは質的な温度差がある。

我が国の新たに設置された「原子力規制委員会」をもってしても、「技術論」で国民の「恐怖」を取り除くことはできそうにない。

「ドイツ倫理委員会」の報告書は、この「技術論」至上主義に一石を投じたもので、エネルギー政策は無制限な自由裁量に委ねられるべきではなく、倫理的な指針が必要であることを示唆している。

 倫理的立場から見れば、エネルギー政策の決定は、すべて社会による価値決定に基づくものであって、技術的あるいは経済的観点よりも先行すべきであると見ている。

「環境を保存・保護し、破壊することなく有用性を高め、未来における生活条件の保障と見通し」を目指すという生態的な配慮の必要性を重視している。

また、リスクの視点から見ると、福島原発事故で明らかなとおり、大事故が起こるリスクは仮説的に存在していたのではなく、実際に起こりうることであり、また、事故収拾が長期にわたって手の施しようがないことを多くの人が再確認することとなった。

想定外の「技術的なリスクの限界」は「科学的に原発と他のエネルギー源の欠点が「比較衡量」(対象を比較し軽重を判断して評価・決断する)可能であるということは、もはや説得力を失った。と同時に、リスクを単に技術的な側面に狭めてしまうことが正しくないことも明白になった。

短期的な利益を優先して未来の何世代にも長期的な負担(放射線による遺伝子損傷の可能性)を強いるような決定に対しては、社会が責任を負わねばならないことを教える結果となった。

ドイツのこれまでの原発の平和利用は、技術水準に従った根拠付けによるユートピアであり、進歩と豊かな生活を約束するリスクを制御可能な無限のエネルギーであった。

しかし、今日のドイツにとっては、それはもはや正解ではなくなっている。

以上を他山の石とすると、我が国の経済界・政府関係者が原発推継続の根拠として揚げる「経済成長」、「国際競争力に」、「雇用維持」、「電力不足(?)」等のスローガンの響きは、将来にいかなる残響を残すことになるのであろうか?

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歴史探訪

          すべては読み違いから始まった?

日本の敗戦は全面的な無条件降伏ではなく、「ポツダム宣言」という条件付き降伏とするのが真実であり、
その条件とはこの宣言の第5条〜13条に明記されている。
これは藤原正彦が著書「日本人の誇り」で解明している論点の一つである。

その根拠は、ポツダム宣言の中核でもある次の二つの条項にある。

10条「言論、宗教および思想の自由ならびに基本的人権の尊重は確立されるべし」

第13条「全日本国軍隊の無条件降伏」

従って、本来は「日本国政府は条件降伏無条件降伏は軍隊のみ」であったにも拘わらず、GHQの傲慢で傍若無人さがあまりにも堂に入っていたので、日本人はあたかも全面的な無条件降伏(ドイツの同様に)と勘違いし、上記の条約に違反したGHQの占領政策に一片の抗議すらしなかったことがこの間違った拡大解釈が定説となった主因と分析している。

メディアを利用した洗脳教育(戦争への懺悔)

GHQの狙いは日本古来の伝統や基軸の破壊のためのマインドコントロールにあり、その結果は成功した。

その具体策は、

  ○「太平洋戦争史」(GHQ作成の宣伝文書)を日本の各日刊紙に連載開始(1945年)。

      同年12月NHKラジオ番組(実はGHQ作成)で「真実はこうだ」や「真相箱」

     (1945年12月8日より毎日曜夜8:30〜のゴールデンタイムに放送)で、真実に嘘を混ぜる手法で徹頭徹尾、
    日本軍国主義者の欺瞞、国民への背信、日本軍の残
虐性をくりかえし放送。

   「悪いのは軍部や軍国主義者。
   善良な国民は騙されていだけ」(善悪二元論)として、アメリカの原爆投下や本土無差別爆撃の罪を日本の軍部や軍国主義者に転嫁。

    人道的のアメリカが善良な日本国民を軍国主義者の魔の手から救ったとの筋書きで、対米憎悪のエネルギーを軍国主義に転嫁に成功。

○歴史、地理、修身の授業中止(1945年1月)

 ○「太平洋戦争史」を歴史の教科書として使わせるように指令(1945年4月)     

 ○「神道指令」(神道の特別扱いを禁止)

○「私信開封・検閲」(極秘裏で間実施)による言論統

罪意識扶植計画」の徹底 

 歴史的事実に見るアメリカの言論操作

雑誌・新聞の事前検閲(違反には発刊停止) 

具体的には下記を厳しく取り締まって封印した。

@占領軍やアメリカに対する批判

A極東軍事裁判に対する批判       

Bアメリカが日本の新憲法を起草したことへの言及

   C検閲制度への言及

   D天皇の神格化や愛国心の擁護

   E戦争における日本の立場や大東亜共栄圏や戦犯の擁護

   F原爆の残虐性や無差別爆撃による市民大量虐殺への批判

   G米兵と日本女性との交際への言及           

 ○「公職追放令」発布(1946年1月)により約25万人が公職から追放された。

   ○ コミンテルン史観(GHQが種を撒き、日教組が育てた国家自己崩壊システム)  

 「事前検閲やマスコミ向けの禁止条項」はポツダム宣言第10条の明白な違反

 因みに、日本国憲法(アメリカが原案起草)の第21条でも「集会、結社、言論、出版、集会の自由」があり
 「検閲の禁止」が謳われている。
 その源流である合衆国憲法修正第1条にも「信教、言論、出版、集会の自由」がありこれにも違反する。

  

  今日に至るまで脈々と、多くの日本人の精神の奥深くに気づかぬうちに根を張っている軍国主義者・カタ派や
  良心のない人と思われたくないという思惑から、公然たる批
判は慎むというスタンスが濃く、定説への批判や疑問が
  メディアで真剣に論じられるこ
とは稀である。
  これは属国に見られる典型的な卑屈マナーの一例と診ることができる。


  藤原正彦は前掲書の中で、言論の自由(特に権威や権力への批判)は、基本的に
すべての国で無条件に保障されるべきものとの
  信念で事実を解明している。

 では、ポツダム宣言を全面的無条件降伏とする意図的な読み違いがなぜ生じたのか?。

 敗戦の虚脱感、食糧事情の極度の悪化で飢餓状態から生き延びるのに懸命、その上にGHQの締め付けの厳しさがあいまって、
 最初は生存の ためにやむなく従っていたが、やがて疑いをはさまない姿勢が次第に日本人に定着して今日まで及んでいると
 解明している。

 過去の事実が今から見て何であったかの認識は歴史ではない。過去の事実を当時の人がどう考えていたかを知ることから歴史が始まる。

「戦争に負けても、外交で勝つ」を信条に、壊滅状態からの復興のためにGHQと真剣にわたりあった吉田茂元総理と、
 その意を受けて堂々と折衝の任にあたった白洲次郎の両者の功績は稀有のものと評価されているが、その吉田も無条件降伏説の
 真偽については敢えて異論を述べていないのは、絶大な権限を行使していたGHQとの力のバランスを考慮した上での国益を
 考慮して実利を優先した高度な苦渋の選択であったのかもしれない。
 

*参考*

ポツダム宣言 条文 (抜粋)

   第10条 
   われわれは、日本を人種として奴隷化するつもりもなければ国民として絶滅させるつもりもない。
   しかし、われわれの捕虜を虐待したものを含めて、すべての戦争犯罪人に対しては断固たる正義を付与するものである。
   日本政府は、日本の人民の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって障害となるものはこれを排除するものとする。      言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重はこれを確立するものとする


  第11条 
   日本はその産業の維持を許されるものとする。そして経済を持続するものとし、もって戦争賠償の取り立てにあてるべきものとする。      この目的のため、その支配とは区別する原材料の入手はこれを許される。
   世界貿易取引関係への日本の事実上の参加はこれを許すものとする。


  第13条 
   われわれは日本政府に対し日本軍隊の無条件降伏の宣言を要求し、
   かつその
様な行動が誠意を持ってなされる適切かつ十二分な保証を提出するように要求する。
   もししからざれば日本は即座にかつ徹底して撃滅される。



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ウノ目タカの目

五階の上に地下を創る

我が国諸島の領有権を巡り、中国・韓国が主張を露わにしているがその狙いは明らかである。

外交交渉は相手の国民性に基づく行動パターンを熟知した上で対処することが前提であり、その基本を無視すると双方の主張は平行線で交わらず、最悪の事態を招くことになるからである。

我が国は古来遣唐使・遣隋使以来中国から多くを学び、それを換骨脱退して我が国の固有の文化と融合させて独自の文化を創造してきた。その経緯を周知しているので、両国民の容姿が似ていることも相まって、かの国も同じ思考と行動をする民族であろうと思いがちであるがその期待は必ずしも当たらない。

中国は常に中華思想が底流にあり覇権意欲が強い。しかし、物欲を超越する文化はない。物である「食」・料理以外に神聖なものは存在しない。中でも漢民族は現世利益の強い民族で超越的な神を信じない。

論語や四書五経の教えは我が国では武士のみならず庶民にまで浸透していたが、中国では孔子が諸国を遊説したが受け入れられることなく理想論として終始し、現在の中国人の基本倫理になるまには至らなかった。

中華思想では征服・侵略を「徳化」と呼ぶが、庶民は儒教秩序(覇者が天に代わって「徳」を備えた者が民を導く)を権力に利用された人民の災難と解していたのが実態であった。

御茶ノ水には壮麗な「孔子廟」があるが、横浜・中華街にあるのは絢爛たる「関帝廟」で商売の神様である。

中国には「嘘も100回言えば真実になる」という諺がある。この延長で事実を無視して声高に主権を「半歩も譲らぬ」と主張。

放置し実効支配されていなかった島の隙に付け入られた愚は、隣国の国民性を正しく理解のせず、常にわが常識と善意は通じると勘違いして備えを疎かにした我が国の歴代の為政者の「油断」の責任は免れないところであろう。

相手が真実を承知の上で偽りを主張するごりの押しの相手への反論には、いくら正論の史実で論証しても糠に釘。いくらこちらが不条理を憤慨しても蛙の面に水。先方はそんなことは最初から想定内。こちらが疲れはてるまで何回でも自己主張の手を緩めない。5000年の歴史の物語る遊泳術である。このような輩には次元を変えた別の有効な方策で対処しなければ解決は程遠い。

また、武力を背景に威嚇で正義を独占する国に対しては、摩擦回避のために対症療法に終始するのみでは本質的な解決にはならない。

 

中華文明は清廉には関心が薄い。

中国と朝鮮にあって、我が国にない言葉がある。「清官」(中国)=「清吏」(朝鮮)と「官禍」(中国)=「官害」(朝鮮)である。

生き残るため自分のみが有利とする賄賂の横行、それに付け込んで役人・上司・取引先がうまい汁をすする(升官発財)が当たり前の社会では、その恒常的な「害禍」は大きな課題であった。

その反面でそれにあやかれない人々へのガス抜きとして、(誠に希少なりともあるかもしれない)建前上のあるべき姿・清廉潔白を意味する言葉が生まれたが、実際にそのような官吏がいかほど存在したかは疑わしい。

我が国では(実情はともかく)言うまでのなく建前上は役人は清くあるのが当然で、役人は庶民いじめをすべきではないことが通念になっていたので、あえてこれらの言葉は生まれなかったきらいがある。

水戸黄門が代官と越後屋の癒着による悪巧みを暴く勧善懲悪の物語が庶民に受けるのは、

一味に加わって儲けた方が得とする中国思想の通念とは倫理質に温度差がある。

韓国は長らく中国への冊封国であったので、客観的な真偽と無関係に自己主張する傾向は中国との共通点である。反面で、儒教が旧宗主国よりはむしろ浸透したので、礼を失する行為を受けたと感じたときはには敏感に反応する。激しやすい国民性が散見される。

以上に見る通り、国民性の違いは自国の常識・通念が他国に一切通じない。

物事の折衝はその根底、相互の考え方の差とその背景を正確に掌握して臨まなければならい。

まず柱を建てることなくして屋根を乗せることはできない。「五階」(誤解)の上に「地下」(基礎)を創ることはできない。

順序を取り違えた論議・折衝は不毛で、最悪の事態を招くことが必定だからである。

特に国益を賭けた外交折衝は、高度・広範な知見と忍耐、秀でた人格を要する高度な交渉であり、世界の世論の喚起も必要であり、恫喝にも屈せぬ毅然とした決断力も時には必要である。


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歴史探訪

            大仏のみが知ってい

幼少より親しんできた鎌倉長谷・高徳院の大仏殿は、明応7年(1498)の明応東海地震の津波により流失して露座になったと、これまで信じてきたがこれに異論が出されている。

都司義宣氏(建築研究所研究員)は、これまでの根拠となった古文書「鎌倉大日記」に記されている「鎌倉由由比浜海到千度壇」の原文中で意味不明の語とされてきた「千度壇」に着目。

美濃の禅僧・万里集九が文明18年(1486)に鎌倉を訪れた記録・漢詩文集「梅花無尽蔵」の中で、「千度壇とは、鶴岡八幡宮か由比ヶ浜に続く石積みの歩道」(現在の若宮大路)と書き留めてあるのを発見した。この由比ヶ浜に最も近い場所は「下馬」(標高3.7m)。これが明応東海地震の津波の到達点となる。

長谷の大仏は海岸から約1km、標高は13.8mで、大仏殿がこの津波で流失したとは考え難いとしている。

その裏付けとして、万里集九は高徳院にもの立ち寄っているが、その時点で大仏ついてはすでに「堂宇なし」と記している。

では大仏殿はいつ失われたのか?

南北朝時代の「太平記」に、建武元年(1334)大風で倒壊との記録があるが、確定的な結論はまだない。

いずれにせよ、明応東海地震の津波による倒壊説は間違いの可能性が高く、神奈川県や鎌倉・逗子市の防災計画が通説でゆがめられないようにと警告している。

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歴史探訪

             観音崎に佇む碑

東京湾の入り口、浦賀水道に臨む観音崎は、我が国最初の洋式灯台があることでも知られているが、少年時代の格好の遊び場であった。戦後も長らく旧帝国陸軍の要塞地帯そのままであったが、近年は整備が進み、房総半島を眼前に絶え間ない大型船舶の出入りを見ることができる臨海公園としてイメージチェンジ。首都圏の行楽地として人気が高い。

そこに静かに海を見守って佇む美しい彫像がある。それが「戦没船員の碑」(昭和46年建立。写真は産経新聞より)と気がつく観光客は少ない。

先の大戦において、わが国の海運・水産業が軍人の損耗率 を上回る6万余人の戦没船員と膨大な船舶の喪失という大きな犠牲を払った鎮魂碑である。

軍人の損耗率は陸軍20%、海軍16%にたいして、民間の船員は43%にもおよんだ。

大戦中の商船の被害は約800万総トン(約2,500隻)。開戦前、わが国は約600万総トンの船舶を保有し世界第3位の海運国であった。

大戦の犠牲となって喪失した船舶は、戦前に建造した世界に誇る優秀な船舶であった。戦争中に建造した約400万総トンは「戦時標準型船」と称された粗悪なもので、これが敗戦後に若干残された(約56万総トン)程度であったことからも、わが国商船隊は太平洋を墓場に壊滅したと言えよう。

現在の日本船籍の商船は約1,400万総トン、(約7,200隻)、総トン数では世界の約3%にまで復帰している。(ロイド協会資料)



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歴史探訪

           佐倉と会津をむすぶ糸

蘭学といえば、西の長崎・東の佐倉と称せられ、佐倉は順天堂発祥の地でもある。

その佐倉と会津をむすぶ糸が教育者・渡邉洪基の足跡である。

会津藩も代々教育を重視。藩校・「日新館」は規模・内容ともに全国一と謳われ、
現在も復元されて往時を偲ぶことができる。幕命により江戸湾防備のために三浦半島に駐留した
会津藩士の子弟のためにも2つの分校があった。

渡邉洪基は福井藩医師・渡邉静庵の長男として生まれ、幼名を孝一郎、号は浩堂。

福井・済世館を経て18歳で江戸に出て佐倉の佐藤海瞬に師事。その後福沢諭吉に師事して慶応義塾を卒業の後、会津で英学校を開き多くの人材を輩出した。

その渡邉が旧東京帝国大学の初代総長であったことはあまり知られていない。

正三位勲一等。衆議院、貴族院議員、元老院議官、元老院副議長、東京府知事、外務省、司法省、学習院次長、太政官法制部主事、駐オーストリア公使、日本建築学会会長等を歴任。「工手学校」を創立。死去するまで慶応義塾評議員を務めた。

福沢精神のルーツを同じくしてスタートした旧東京帝大が、その後現在の姿に変貌していった過程は研究に値するテーマであろう。

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ウノ目タカの目

          エネルギー政策をめぐり V

我が国のエネルギー戦略について、原子力発電の位置づけを含めてこれまで幾度か考察してきたが、このたび(8月31日)環境省より「再生エネルギー発電の新目標」が発表された。グリーン成長の基本線戦略となるものである。

洋上風力、地熱,バイオマス、海洋エネルギーを合計して、2010年の実績296万kwに対して、2030年の見込みは1,941万kw(約6倍、全発電量の1割、原発の19基分に相当

中でも、洋上風力が803万kw(270倍)、地熱388万kw(7倍)と大きく伸ばす計画である。

そのための研究開発費は年間900億円(2012年の455億円の約倍)。2013年度予算にて概算要求(エネルギー対特別会計)する予定。

競合発電方式のkw当たりの想定コストを、(地上)大型太陽光30.1〜45.8円、 水力10.6円、 洋上風力(着床式)9.4〜23.5円とみている。

以上は、いずれも既存の発電方式の延長線に見る解決策である。

しかし、これと並行して、現在官民学一体で開発中の最先端技術・「宇宙太陽発電衛星」に国の開発費をより重点的に投入すれば実現が加速して、2030年に新しい究極の大型クリーンエネルギーの世界を拓くことも決して夢ではない。

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歴史探訪

              松代大本営

太平洋戦争末期、本土決戦に備えて天皇や政府機関が避難する要塞として長野市に掘られた大規模(総延長約10km)地下壕・松代大本営が映画化された。(日経8月14日)

戦争は本来外交の破綻した極限状況であり、あくまで一時期の現象とせねばならないものを、当時の戦争指導者は初期においては電撃戦(三か月で大東亜全域を席巻)を称したが、太平洋の広さを忘れて長期化し、ついには本土決戦を怒号し一億玉砕にまで誘引した。

阿川弘之は著書「大人の見識」の中で、「これはもはや戦争とはいはず、原始人の闘争に過ぎない、ローマもカルタゴも滅びて歴史上でその武勇は謳われているが、その民は今一塊の土と化しているのみ」と評し、「もし、この地下壕が本当に使用されることになっていたら、2000年の歴史をもつ東洋の君主国は滅び去っていたことであろう」と結んでいる。


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ウノ目タカの目

              大学間の共同開発

経済活性化を目指して国際的な大学間の共同開発に拍車がかかるようになった。

その一例として、日本大学生産工学部(習志野市)はインド工科大学とインド産落花生のさや(産業廃棄物)を有効利用した成形品の開発を始めると報道されている。(8月15日日経)

日大同学部は、これまでに千葉県産業支援研究所と共同で住宅廃材砕いて接着圧縮して建材として利用する技術を開発してきた。その技術を県の名産である落花生のさやに応用して、さらに国産より強度の高いさやをもつインド産に着目、国の研究費を活用し大型成形機の開発を含めて2年間でメドをつけるという。

因みに、世界の落花生の生産量は3,767万トン(2010年・国連食糧農業機関)。

中国が42%を占め最大、インドは15%で第2位。日本は0.004%である。

実はこの発想は決して新しいものではない。

千葉商工会議所会員の中の某アイディア社長が、数年目から千葉の落花生の大量に廃棄されているさやの有効利用に直目・研究し、成形版のテストサンプルを披露して商品化を呼呼びかけていたものとまったく同一の構想である。

新商品として成功するためには、数々の超えねばならないバーある。

1、複合建材として、原材料が落花生のさやでなくてはならないほどの特性があるのか?(木材の廃材よりどこが優れているか? 価格に見合うより安価で優れた商品となりうるか?)

2.原材料は全体では潤沢にあるとしても、個々の加工現場では廃棄物はタダ同様でも、広く分散している加工現場からの大量な殻の回収費用はタダではない。

  企業化のためには、長期的に安定した安価な原材料の量の確保が不可欠である。

  天候に左右される農産物は常にリスクが伴う。

等々の理由で、いまだに企業化の日の目をみていないのが現状である。

一般的に、開発した当人はえてして思い込みが強いので、目が点になり企業化に伴う多角的な判断に欠けるケースが多々みられる。

今回の共同研究が、単に学者の研究に終わらずに、新たな総合的なアセスメントによる成功を祈るばかりである。

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ウノ目タカの目

                     今日という日

8月30日という日は、

1895年(明治29)、富士山頂に現在の気象庁富士山測候所の前身野中測候所(大日本気象学会の野中至が私財を投じ建設)が開設された。

1945年(昭和20)、連合国日本占領軍最高司令官・ダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に降り立った。

1965年(昭和40)、同志社大学南米アンデス・アマゾン遠征隊がアマゾン川の源流から130kmを世界で初めてボート下りに成功。

1970年(昭和45)、植村直巳がマッキンリーに単独登頂を達成。

1989年(平成元)、堀江謙一が小型ヨットで太平洋を横断に成功。


そして、2012年の本日未明、仙台地方でM5の地震があった。

振り返れば、記録に残るいろいろな出来事があった日である。にも拘わらず、昨日は永田町では首相の問責決議で本日の審議はストップ。今日とぃう一日は二度とない。前途多難の時節がら、時の流れに任すだけではすまされまい。

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ウノ目タカの目
            ノアの方舟

「シェルター」といえば、これまでは核爆発への備えか戦時中の防空壕が思い浮かぶ程度であったが、昨今は津波対策として真剣に考えられるようになった。

千葉の特に九十九里沿岸の広大な穀倉地帯は、太古の平坦な海底が隆起したもので高い山や丘陵はない。海抜はほんの僅かで大きな河川も何本か流れている。豊穣をもたらす恵みの川も津波となると一転して逆流し、濁流の牙を露わにして襲いかかる。近くに高い逃げ場所はどこにもない。

記録によるとこれまでに広範な大津波に何度か襲われている。今もところどころに残された「千人塚」と呼ぶ小丘は、多数の犠牲者の鎮魂碑である。

千葉沖トラフには震源があり動き出す可能性が高いと報道されている。「忘れていても」、「忘れていなくても」災害は来るときには来る。

産経紙に沿岸部の巨大津波から命を守る行政指導の津波シェルターの開発の事例が紹介されている。問題は、構想は良しとしても、突発的な災害時にこの緊急救命施設から離れたところにいる子供・高齢者・病人等の弱者が、短時間でそこまでたどり着く手段と方法はどうするか?、地域ごとにいかなる基準でシェルターをいくつ作ればよいのか?避難が集中して定員を超えた場合にあふれた人をどうするのか?等々の深刻な課題が残る。タイタニック号の救命ボートに我勝ちに殺到した悲劇の再来が予想されるからである。

人が集まる建物の屋上に、津波救命艇を常時備えるというアイデアは一見新規のように見えるが、全国的にみれば治水工事が不完全であった昔から、河川に近い農家では納屋に船をつるして万一の洪水に備えていた例は多々あり、古人の知恵には頭が下がる。

 

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ウノ目タカの目

            甦るEMクラブ

「EMクラブ」(元旧帝国海軍下士官兵集会場)といえば今はその面影もないが、戦後は米軍の集会所となって大いに賑わった。「どぶ板通り」と並び称せられ、戦後混乱期の基地の町・ヨコスカを代表する典型的な存在で、市井人が立ち入る機会のほとんどないところだったこともあり好印象を持てるところではなかった。

それが、「観光案内Bar」と称する新たな横須賀の情報発信基地として甦ったと知り、タイムカプセルで時代を遡る思いがする。

当時の雰囲気を忠実に再現するために、天井には同クラブで実際に使用されていた直径2メートルの真鍮製シャンでリヤ、床には赤と黒のタイルを敷き詰め、木製カウンターを前にしてバーテンダーに扮したスタッフが対面で観光案内をするという趣向で、名産品も販売するという。

今年は年間13万人の利用客を目指すと聴いて、戦後の混乱期を知る者の発想とは異質の世界を垣間見る思いがする。

戦後は日々遠きものとなり、混乱期の異色文化でさえも思いもつかない活用で商魂の種になる今日この頃である。

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歴史探訪

おふくろの味のふるさと

「おふくろの味」といえばカレーライス。近年は横須賀名物「海軍カレー」が全国区でも有名になった。もう一つのおふくろの味の代表は「肉じゃが」。その由来を訪ねると、何と両者は源を同じくし、「肉じゃが」も旧帝国海軍で誕生したことにこれまで気が付かなかった。

カレーライス一の起源には諸説がある。

一説では、東郷平八郎元帥が若き日、英国留学中に味わったビーフシチューの味を忘れられず艦上食に取り入れようとしたが、当時の日本にはワインがない上に料理長もシチュとーの味を知らない。悪戦苦闘の結果、醤油と砂糖で味付けしたのが始まりという。

贅沢品というよりも高栄養を評価したもの(8/19読売新聞)であった、とはあり得るお話である。

また他の説によると、日本に紹介されたのは明治初期。同盟国のイギリス海軍ではシチューに使う牛乳が日持ちがしないので、植民地のインド産の香辛料・カレーパウダーを入れたビーフシチューを艦上食に取り入れていた。

たまたまその頃の旧日本帝国海軍における最多の病死の原因が脚気。それは白米中心の栄養バランスの偏った食事であることを突き止めた軍医(高木兼寛)が、イギリス海軍を参考に食糧の改善としてカレー味のシチューに小麦粉でとろみ付けしたカレーを考案したものと言われている。

日露戦争では横須賀鎮守府が、調理が手軽で肉と野菜の両方がとれるバランスのよい食事としてこのカレーライスを採用。「海軍割烹術参考書」( 1908年発行)にレシピを掲載して普及を図り脚気の解消に成功。その後の第一次世界大戦を通じて海軍、陸軍ともにその普及につとめたという。

現在も海上自衛隊では毎週金曜日にカレーライスが出されているという。長い海上勤務であたりの景色が変わらず、交代勤務の曜日の感覚がなくなってしまのを呼び戻す効果がある。

以前は半ドンの土曜日に出されていた。調理要員も午後には業務を終えて上陸・外出等に対応するため、調理の準備や後片付けの時間を短縮することにもなり、また上陸しない人の加給食ともなっていたという。

ところで、カレーライスの材料はそのまま調味料を醤油と砂糖に代えると、そっくり「肉じゃが」となる。それが軍隊食から家庭の味として普及したものと言われてみれば納得できよう。「カレー」と「肉じゃが」は実はそのルーツを同一にする兄弟で、母なる豊かな海のもたらした「おふくろの味」であった。

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ウノ目タカの目

              限界に挑む             

日本百名山の一つ白馬(2,932m)の大雪渓は夏でも消えず、冷風を吹き降ろしている。

その頂きにある花崗岩の方向指示版(187kg)を、昭和16年(1941)に、なんとたった一人で担ぎ上げた強力がいたとの事実に驚いた。とても人間業とは思えない。

新田次郎著「強力伝」のモデル・富士山の強力、小宮山正氏の偉業である。

ロンドンオリンピックの重量挙げの日本選手の快挙にも大いに感動したが、この白馬の史実に鍛えた抜かられた人間の能力は予想をはるかに超える信じがたい限界を示すことを再認識した。

因みに、現在の物資輸送はヘリコプターであるが、3000m級の山岳での本格的なヘリ活用は白馬が嚆矢(62年)であったという。(8/18産経新聞)

小宮山氏の故郷箱根・金時山の「金時娘」は次女・妙子さん(79)で、今も健在である。



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歴史探訪

             巡り来た終戦記念日に

光陰矢のごとし。本年は67回目の終戦記念日を迎えた。

この日が来ると常に思い出すのは東京裁判。近年はこの裁判について、戦争責任を勝者である連合国が敗者である日本を「事後法」によって裁いた報復裁判であって無効である、との批判が高く論じられるようになった。

その半面で、日本の戦況がますます不利に展開していく中で、大本営が連戦連勝のニュースを意図的に流した欺瞞や、戦争終結の時期を誤った戦争指導者の責任の追及を日本人がはたして自ら究明しているかとの省察(平和安全保障研究所理事長・西原 正)もある。

さらに今夏は、大戦末期のヤルタ会談にてソ連が対日参戦の密約を締結したというストックホルム駐在武官からの大本営にあてた重大な公電が、内部の一握りの奥の院により握りつぶされていた事実も判明。その結果は、不可侵条約を破り満州侵攻が予測されていたその当のソ連に、なんと戦争終結の和平工作の斡旋を依頼するという信じがたい致命的判断の過ちを犯した責任の課題もある。

戦争は始めるのは易いが、終えるのは難しい。

連合国の戦略は、ヤルタ会談で事前に決めた路線に沿って粛々と進められた。だからこそ、ヤルタ密約情報の重大さを無視し反故にした不見識の罪は重い。

その最大の原因は、戦争指導者が歴史に暗かったことにあろう。

時は第一次世界大戦時に遡る。

パリ講和会議において、欧米列強は第一次大戦後の国際秩序構築という世界史的な戦略に立ち国益追求を目指した中で、日本は最初から目先の「戦果・報酬」獲りにのみ関心を払うのみであった。

日本を除く米英仏伊の四か国の戦争指導者は、第一次大戦中からすで講和問題を話しあっていたことは重要で、もって他山の石とすべきであった。

パリ講和会議は、大戦時におけるこれら四か国の事前協議の「延長として組織された」(重光外交回想録)からである。

以上を総括すると、太平洋戦争の戦争指導者は歴史から学ぶことなく、情報の秘匿・非共有、国体護持のみに固執し、存立の元たる国そのものの存亡や国民の安寧は二の次であったといえよう。

本年8月に放映されたNHK―TVの報道特集が物語る戦争指導者の録音証言を聴いても、正に大局観の欠落、視野狭窄、周囲に阿ねて自らの責任を回避していた当時を自らが認めている。すでに手遅れである。かかる事実を前にして、大戦で失われた多くの生命はいかに美化しても浮かばれまい。

壊滅的な敗戦があったからこそ今日の繁栄がある、とは言いえて詭弁であろう。

「一億総さんげ」とは一体何を意味するものであったか。国民にまで責任を転嫁する真意は何辺にあったのであろうか。今夏も暑さがひときは厳しい。

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ウノ目タカの目

           経済効果を超えるもの

オリンピックは、日頃の鍛錬に鍛錬を重ねて得た技と力を発揮する姿を見ることによって、どんな状況に
おいても負けない心、くじけない心、夢と希望と勇気と感動を与えるとは至言である。
暑さを忘れて、健闘している日本選手団に心からの声援ももってメダルの獲得を見守っている。

オリンピックは単なる経済効果を超えて、その意義が大きいことを再認識している今夏である。

スポーツを通じて世界が一つになる。
戦争という莫大な浪費と貴重な人命を失う悲劇の損失とを比べれば、はるかに優れた存在価値があろう。

それだけに、現在のオリンピックは個人より国を挙げての競争となり、
選手もその期待に応える重圧にも耐えなくてはならなくなった。

因みに、各国のオリンピック選手強化の年間予算の推計は、、

        韓国 597億円
        中国 480億円
         米国 165億円
        英国  48億円
        日本  40億円

今回のロンドン五輪については、開会式の総予算だけで、北京五輪の1/6に抑えたとはいえ、
34億円5000万円と報道されている。

招致計画段階では全体で約45億5000万ポンド(約2兆1200億円)だが、実際は計画の
4倍になろうとの見通しが公表されている。
内、49億3000万ポンドは政府、残りは宝くじ販売と税金で賄う予定という。

では、北京五輪の採算はどうであったか。
中国関係省庁の会計報告によると

総収入 約205億万元(約2870億円)、 
総支出 約197億万元(約2708億円)
で、差引は約10億万元(約140億円)の黒。

収入    TV中継収入       80億元(1120億円)
      スポンサー契約金     98億元(1382億円)
      入場料収入        12億元( 179億円)
      予算外収入(五輪宝くじ )27億元( 378億円)

支出    会場・環境整備費     40億元( 560億円)
       選手強化・関係者費    14億元( 476億円) 
      開・閉会式         8億3100万元(116億円)
      聖歌リレー費        3億1200万元( 44億円)

     その他
     関係施設新設・改築(102個所)  194億円(2728億円)
         内、メーンスタジアム(鳥の巣)  31億1131万元(434億円)   

 以上の通り、国力を競っている感が否めない。
 それだけに、勝敗の結果には厳しい目がある。


国によっては、入賞者は徴兵免除、他生涯最高の待遇が約束される反面で、期待に応えられなかった
選手には厳しい対応があると聴く。
それが、ハングリー精神となって、大義名分よりも自分のために死力を尽くし成果を勝ち取る言動力と
なっているかもしれない。


勝敗の世界には言い訳はない。
無念にしてそれまでの莫大な育成費が徒労となって、負けてもよくやったと称賛される国は少ないこと
を認識することも必要かもしれない。


巷の一部には、奨学金は貸与が多いのだから、もとを取れなければ、一部でも返済の義務を課せとの
極論もあるようである。
甘さを払しょくせよと言いたいのかもしれないが、小生は必ずしもこの論に組みするものではない。


世界のアスリートのレベルが年々上がっている中で、日本選手の快挙に心から声援をおくり。
有終の美を期待している。

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ウノ目タカの目

          囲碁をめぐるエピソード(U)

囲碁が江戸の昔からいかに広く親しまれていたかを知る面白い証がある。

庶民のエンタータイメント・伝統芸能である「歌舞伎18番」の一つ「毛抜」は、寛保2年(1742)に
2代目市川団十郎が創りあげた勧善懲悪の「荒事」。
その主役・粂寺弾正の衣装の柄が「碁盤」であるのをご覧下さい。

知恵と推理に長け、悪人たちの企みを見破るという役どころを囲碁の柄で象徴し、観衆はみなそれと
解って楽しんでいた訳である。

他の演目では囲碁を打つ場面を観たことがあるが、衣装の柄にまで取り入れて演出効果を狙っているのは珍しい。




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ノ目タカの目

何故だろう?

7月5日、物質の重さ(質量)をもたらす最小単位の素粒子「ヒックス粒子」発見のニュースが
世界中を大きく駆け回った。

報道による「ヒックス理論」のシナリオは、

1.            宇宙は約137億年前、ビッグバンと呼ばれる火の玉状態で誕生した。

2.            そのとき、すべての素粒子は質量がゼロで真空の中を高速で自由に動いていた。

3.            その10兆分の1秒後、宇宙が冷えて真空の状態ががらりと変わり、陰に潜んでいた
    ヒッグス粒子が真空を埋め尽くすように現れて、素粒子は粘り気のある「ヒッグス粒子の海」
    にどっぷりと漬かる状態となった。

4.            素粒子は、ヒッグス粒子の抵抗を受けて動きにくくなり、重さ(質量)をもつようになった。

5.            光が高速で移動するのは質量がゼロだからであり、「動きにくい」ということは質量がある
    ことを意味することになる。

6.            仮に、ヒッグス粒子が存在しなかった場合、素粒子は光速で飛び続けて静止できないので、
    今日の多様な宇宙は生まれなかった。

というものだが、専門外で不勉強の浅学菲才の輩には話の筋は分かるものの、その内容は深遠で理解を
はるかに超え戸惑うばかりである。

先ず、なぜヒックス粒子が現れてそれだけが急激に増えたのだろうか?

質量がゼロのものはいくら集まってもゼロ。ヒックス粒子も質量はゼロ。ゼロのものの動きが止まって
集まれば、そこに突然質量が生まれるというメカニズムの実感が湧かない。

また、真空の「無」の中で宇宙誕生のビッグバンはいかにして突然起きたのか。そのメカニズムが解らない。
素粒子はそれ以前からあったのか。素粒子が無いところでビッグバンは起こりうるのか。

等々の好奇心の流れは留まるところなく、大学時代に読んだ「零の発見」(吉田洋一著・岩波新書)を
思い出している。
昭和14年(1939)初版以来平成12年(2000)までに92版を重ねている名著である。

知恵のリンゴを食べた人類が天地創造の神の領域に挑戦するルネサンスは、古くて新しい永遠の
テーマなのであろう。




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ウノ目タカの目

                  オリンピック

 ロンドンオリンピックが間近になってきました。ゴールドメダルの数が期待されます。

そこで、田園の美術館のオリンピックのポスターコレクションをご紹介します。

往時の時代背景や日本勢の活躍を偲ぶご参考までに・・・・・。

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ウノ目タカの目 

             囲碁の伝来

囲碁を始めていまだ浅いにもかかわらず、その奥深さに魅せられている。

東京国立博物館・平成館で開催中の「ボストン美術館・日本の至宝」展(〜6月10日)に、
「吉備大臣入唐絵巻」という逸品がある。

その中で、吉備真備が唐で受けた試験課目に「文選」と「囲碁」があり、見事に合格した描写を
根拠にして、囲碁は遣唐使・吉備真備により伝来したものと解説されている。

然し、他の資料によれば、大宝律令の中にはすでに碁に関する項目があり、もっと以前から
伝来していたのではないかとの説もあり、はたしてどちらが事実かは不祥である。

正倉院御物の中に碁盤「木画紫檀棊局」が収められているので、奈良時代にはかなり打たれていたと推測され、
平安時代になると貴族の嗜みとなっていた様で、「枕草子」「源氏物語」にも碁が登場している。

囲碁の伝来をいくら調べても実戦の腕が上がるわけではないが、最古の「棋譜」となると、
鎌倉時代の日蓮と弟子吉祥丸(後の日朗)のもといわれるがその真偽も定かでない。

入り易いが深淵、無限に広がる宇宙。古来より囲碁の魅力が尽きない由縁であろう。


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季節の便り

              クルメツツジ

川村美術館(佐倉市)は、我が家から車ならば近い距離にある。
DIC社(総合化学)の創設。
収蔵品にレンブラントがあることで知られている。

山林の中の広い敷地、白鳥が遊ぶ池を囲み、中央研究所を対岸に臨む欧州風の佇まいである。
散策路が整備された庭園は一年中解放されているので、四季を通じて自然に親しむことができる。

研究所の前面に広がる見事なクルメツツジだけは、年に一度、五月の連休(3〜4日間)だけの
期間限定の公開である。
このツツジはその名の通り原産地は久留米。
房総の地で見事に開花させるために、実は影の工夫・努力があることを知る人はほとんどいない。
千葉の地に直接移植して、肥料を与えただけでは花は咲くものではない。

先ず、富士の北麓に移植して1〜2年間関東の環境になじませた後に、千葉に再移植している、
と園丁から教えられた。

何事も目的を達成するためには、時間というステップを着実に踏むことが不可欠であることを物語っている。
花を美しく咲かせることのできる人は、花の心を知る人のみである。

今年も若葉が燃え、風薫る季節になった。

   


            

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ウノ目タカの目

           宇宙太陽発電衛星の関連情報

東日本大震災による電力危機をきっかけにして、横八会の先の勉強会にて紹介した
宇宙太陽発電衛星(SPS)・究極の大型クリーンエネルギーの実現化への期待が、
マスメディアでもしばしば取り上げるようになり、この夢の技術の世の認識は富に
高まりつつあります。

その一環として、4月23日付日本経済新聞にガラスメーカーの全紙広告の形ですが、
発電衛星に不可欠な太陽電池に使用される特殊ガラスの薄膜化・軽量化について、
JAXA、京大、ガラスメーカーの研究者による鼎談が掲載されています。

ご参考までにご紹介いたしますので、ご関心のある方は、併せてご一読をお勧めします。

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ウノ目タカの目

             蜘蛛の糸

「蜘蛛の糸」といっても、芥川龍之介の短編の話ではない。

世界で初めて蜘蛛の糸で作ったバイオリンの弦というのには驚いた。

製作したのは、奈良県立医大の生体高分子学の先生。

直径約8マイクロメートル(千分の8ミリ)の蜘蛛の糸約1万本から1本の弦を作った。

音を分析した結果、ナイロンやガット弦と比べて「倍音」の数が多く豊かな音色。

プロが名器ストラトバリウスにこの弦を張って演奏したところ、今までにない音色で表現の幅が広がると絶賛。

柔らかく深みのある音が解明されたという。

近く米物理雑誌フィジカル・レヴューに掲載される予定であると、日本経済新聞(4月20)が報じている。

科学は好奇心こそが、新たなる発見を呼ぶ源泉となる好例であろう。

これから蜘蛛の巣を見るたびに、どんな音色かな?と想像するだけでも楽しくなる。

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ウノ目タカの目
            囲碁ソフトの未来は?

コンピューターの急速な進歩により、チェスや将棋では人と対決して勝っている。

囲碁も、世界最強といわれるソフト(Zen)と棋士のトップ(九段)との四子のハンデをつけた
対決で20目差でコンピューターが勝ったという。

囲碁は将棋やチェスに比べはるかに手数が多く(19の360乗?)形勢判断が難しいところから、
プロの棋士の実力とはかなりの開きがあるとされてきたが、その通説を覆す勢いである。


Zenのソフトはモンテカルロ法。交通渋滞の解消や集配経路の選択、発電の最適ミックス等々の
最適解を求める応用範囲が広い技法である。

Zenの開発者はハンデのない互先でもプロ棋士に勝つことを目指して更なる改良に挑んでいるが、
囲碁に詳しい筋の診るところによると、最終的にはやはり人に軍配が上がるであろうとの予測が消え
ないようである。

その根拠は、最強のプロ棋士の「直観力」のすごさで、コンピューターの計算でも及ばぬものがある
からというのである。

はたしてこの両者の互先の勝敗の行方は如何に?

遅ればせながらこの年になってから囲碁を始めて、その奥深さに魅せられている者としても、
あまりにもかけ離れた高度な世界の話とはいうものの、この成り行きが気になるところである。


 
  
         

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No. 51
ウノ目タカの目

              弦を止む

オペラを愛する引退した政治がいる。

彼は恵まれた政治環境にも甘えずに努力を怠らず、強い個性を武器として、民意を掴み政権を掌握して改革を
断行、旧弊を打破した。
深く敬愛するところであり、今後とも折に触れて大所高所から発言し、我が国の未来の方向づけに寄与して
欲しいものである。

政治家の鼎の軽重の正しい評価には時間を要する。世の木鐸を称しているマスメディアは近視眼的で、
良い時は持ちあげるが、風向きが変わるやいなや踵を返して厳しく書きくたきたてるのが世の常である。
人物の評価には、郷土の名誉を損なうことのないように心がけることが肝要であろう。

さて、今回は音楽のエピソードであり、政治の話ではない。

その元政治家は中学時代にバイオリンに親しんだことがあるという本人の言を何かで読み、一層親しみが増した。
しかし、その後弾くのを止めたという。

その理由は、名演奏家・ハイフェッツ(?)の演奏を聴き、とてもその域に達することは難しいと判断したから
であるとの記憶がある。

これも卓見であろうが、これだけが解けない謎のひとつである。

今日まで音楽のディレッタントとして合唱を続けて数十年の馬齢を重ねてきたが、巨匠の名演奏を聴けば聴くほど
感銘を新たにして、一歩でもそれに近づきたいとの念を失ったことはない。

あくまでもアマチュアの分を承知した上で、高い峰を目指し続けるプロセスこそが生きがいであり、そこに充実感がある。

単に音楽を聴く鑑賞と実際に演奏するのでは、その味わいの深さに雲泥の差があると実感している。
汲めども尽きない大海を飲みつくことは不可能ではあるが、漕ぎ出だす意欲は持ち続けたいと念じている。


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No.49
ウノ目タカの目

              師との邂逅

良き師との邂逅は、その時には謦咳に接する貴重な意義を自覚することすら稀なケースが多い。

中学時代のことである。鎌倉から遠路通われている八幡義生先生という教頭がおられた。

品のある穏やかな物腰で生徒に優しく接するところから敬愛されていた。

ある朝、いつもの通り(現在の京急)馬堀海岸駅から学校までの通学の途上で、たまたま先生の
お話を伺いながらご一緒に歩く機会があった。

その時に、当時は貴重であったリンゴを一つい頂いた。そのルビーのような輝きをリンゴを見るたびに思いだす。
後にも先にも、八幡先生と接したのはこれ限りである。

然し、一つのリンゴを通して示唆された教えはこれまで忘れることはない。

大学時代に、新聞紙上で先生が鎌倉で長らく市民を対象とする「大鏡」の連続講義をなされていることを知った。
懐かしい思い出がよみがえり、お名前から察するに坂東武者の子孫。正に「大鏡」を語るに相応しく、
是非聴講したいと念じつつ取り紛れたままで社会人となり、多忙でその機会を失っているうちに先生が
鬼籍に入られたと知った。無念の一言で尽きせぬ忸怩たる思いであった。

良き師との邂逅は時間の長さの問題ではない。

内村鑑三、新渡戸稲造等の数多の人材を生んだ旧札幌農学校(北大)の師、クラーク博士の在任期間は僅か八か月に過ぎなかった。

  近藤注釈 

  久々に漢和辞書を引き勉強をさせて頂きました。  
    
邂逅:読み「カイコウ」
       意味は「おもいがけなく出会う」
    忸怩:読み「ジクジ」
       意味は@きまり悪い様子
          A恥じ入って冷汗が出る様子  
      

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No.48
ウノ目タカの目

            若者の力

社会の変革は、過去のしがらみに縛られない若者を中心にしてきたことは事実です。

生者必滅は世の常ですから、次の時代を背負う若者を社会的に厚く遇して、彼らの築く未来に
大きな希望を託さざるを得ないのは理解できます。

しかし、彼らもいづれは老人になります。その時に、同じような支援の行動を継承、持続できるか否かは、
現在の高齢者はすでにいませんから確かめることができません。

可能性と夢を託すことになります。可能性を必然性と信じる、人類の歴史はこの繰り返しでした。
おそらく今後もそうでしょう。

社会も文明も揺籃期には愛・仁・孝・義・信の価値観や安定社会が持続しますが、爛熟するに従い怠惰と
ゆるみが社会を蝕み、退廃と混乱が不安定な環境を生むようになります。
そこで時にはイノベーションが生まれて、社会が激変・蘇することもあります。

人間は環境に左右される動物ですから、自分自身の生きてきた環境と異なることには無意識に敏感に反応します。

老人と若者との行動や判断の底流に流れている心理的な溝は、それぞれが生きてきた社会で後天的に
無意識に創り出された価値観(換言すれば、自己本位)に依存しています。

そこが、基本的には客観的な両者の悪しを軽々短絡に決めかねる、難しいところでしょう。

世の事例では、若者の軽挙妄動・勇み足で失敗した例は枚挙に暇がないので、老人が若者を嘆くのは
自然な現象でもあります。
他方では、結果良ければすべて良し。明治維新はその成功の好例です。

後付けで解説するのならば、いかようにも必然化できますが、事前に未来の成功・成就を正確に
予測できるのは神のみでしょうか。

未来が読めない人を頑迷固陋といいます。
しかし、人間は安全パイを切る保身の性は誰にでも多少は在る資質なのでしょう。

若者に過度に期待して、必要以上に厚遇することはいかがなものかとも思われますが、未来の発展に賭けて、
変革の芽は摘みたくないものです。

老人ならずとも脚下を照顧すると、「歴史から学べることは、人間は歴史から何も学んでいないということだけ」
ということになるのでしょうか。


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No.45
ウノ目タカの目

             一人歩き

芭蕉の句集に、

悲しまんや 墨子芹焼きをみてもなお

という難解といわれている句がある。

加藤楸邨は、「墨子」第一巻「所染編」に、染色は甕が変わると色が変わるとあり、
国を治める上でも、染めよう次第で国民は善にも悪にもなると、芭蕉の心を正しく読み取っている。
これは半藤一利著「墨子よみがえる」にある一説である。

芸術作品は、ひとたび作者の手をはなれると一人歩きして、作者の思いもかけない解釈をされてと
戸惑うことがある。
短詩形文学の極みである俳句にはよくあることである。

然し、マニフェストとなると、一人歩きの解釈の相違で済ますわけにもゆくまい。

国の浮沈は、言葉より重い。

                            寒山

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No.42
ウノ目タカの目

                  未来を拓く新宇宙時代

本年は新宇宙時代の幕開けです。
昨年10月、定例の「宇宙太陽発電シンポジウム 2011」が開催されました。現在事務局(JAXSA)で発表記録を
取りまとめ中ですので、その成果はまもなく公表される予定です。

原発に代替しうる、究極の大型クリーンエネルギーの実現であり、我が国から世界に発信しうる最先端技術の集積です。
世界に持続的な発展をもたらす明るい未来に向かって、着実に歩を進めています。

 ご参考までに、弊講演のレジメを添附します。

*Resume *                                                      

The Beginning of the New Space Age:  From Military Space Race to Peaceful Space Use   

This study is an approach to Japanese Energy Mix Optimization, focused on improving environmental
performance, achieving greater cost-effectiveness, and ensuring stable energy supply from a wide
and long-range point-of-view.  

Energy supply is an essential factor for sustainable economic growth.  Currently 62% of Japanese
energy depends on fossil fuels, and 30% has been made up with nuclear power.  If we continue the
status quo mainly depending on fossil fuels, the extinction of humankind will be unavoidable due to
early depletion of resources, air pollution, global warming, climate catastrophe and desertification,
rapid increase of CO2 and emissions of NOx and SOx, and other problems. 

As for nuclear energy, nobody worried about the dangers of radioactive contamination before the
explosion which occurred at Tokyo Electric's power plant in Fukushima  
The slogan for all of the nuclear plants in Japan was “Absolutely Safe”.

 This fabricated myth, however, is now completely shattered. 

No energy project is more innovative than Solar Power Satellites (SPS), which could bring sustainable
economic growth not only to Japan but also to all human beings in future, without any harmful
emissions (CO2, NOx and SOx etc).  Hence SPS is a key to promote energy and environmental conservation.  

However, in order to implement SPS, it is indispensable for us to find a New Philosophy that prevents
military space exploitation and quarreling over terrestrial resources, as has been occurring recently. 
 It is a matter of urgency that we should ensure alternative Clean Energy by making the most of SPS
on a global scale through international cooperation. After Fukushima the time is ripe for action.

                 Hiroshi William Itoh 

                                           International Business Consultant

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No.41
ウノ目タカの目

              先入観

新春のお喜びを申しあげます。

近年の科学技術による未知の解明は目覚ましく、素粒子から大宇宙、はたまた生命の起源に迫る
神の領域にまで踏み込んで未来の光と影を見る思いがします。

新春早々から趣味の音楽の世界にも思いもかけなかった研究成果が報道(15日付日本経済新聞)
されました。

ストラディバリウスといえば、バイオリン最高峰として音楽好きならずとも多くの人が知るところです。
300年前にイタリアで製作されたこの名器の秘密、神話にまでなっている名工の技を解明して再現
しようと多くの人が挑戦しましたが、これまで成功した人はいませんでした。
我が国でもペンシルロケットで有名な故糸川教授(東大)もその挑戦者の一人でした。

然し、最新(1月5日電子版)の「米国科学アカデミーの紀要」に発表されたところでは、米仏
(パリ大学を含む)研究チームの実験で判明した事実から、この名器の音質の差の本質は歴史的
評価や超高価格による「先入観」に過ぎないと結論づけているのには驚きました。

実験は2010年に開催された「インディアナポリス国際バイオリンコンクール」。

プロの演奏者21人に目隠しをして、この名器3丁と現代バイオリン3丁を弾き比べた結果は、
13人が現代バイオリンの方が好ましいと評価したのがその根拠です。

ストラディバリウスの一つ(銘・ディユランティー)を貸与されて演奏活動を続けている千住真理子は、
「演奏者の思いの通りに鳴ってくれる類稀なる名器」と高く評価しています。

世界の音響効果で定評ある音楽ホールは、いづれも建築学と音響学の科学的な知見の粋を根拠に
設計されているのも事実です。

芸術家には、はたして楽器にまつわる「先入観」に左右されない客観的・絶対的な評価の世界があるか否か、
科学的分析が芸術の聖域に踏み入る意義は何か。

芸術と科学の狭間に横たわる古くて新しいテーマに開眼させられた新春の幕開けとなりました。

「先入観」といえば、本年のNHK大河ドラマ(大河ドラマ50周年の節目)は「平清盛」。
平治物語の影響の濃いこれまでの清盛のイメージは、強引・驕慢が相場でした。

今回は神戸を拠点に日宋貿易を展開した史実に注目して、進取の気性に富む力強い英雄という史観から
描かれるので、これまでの「先入観」を覆す新清盛像として新鮮味が出ることになることでしょう。

蛇足ながら、鬼が呵呵大笑する話になりますが、来年の大河ドラマは山本八重子」と漏れ聴いています。
会津藩砲術師範山本権兵衛の娘で、鶴ヶ城籠城戦では銃を担いで籠城し、最期まで戦った女丈夫。

後に同志社大創立者の新島譲と結婚し、明治時代に女性の地位向上に尽くした人物です。

東北復興の端緒にしたいとの願いが込められているのでしょう。
これも、東北人に関する「先入観」を新たにするものとなることでしょう。

因みに、大河ドラマの地域活性化の経済効果は大なるものがあります。推計によると、

2009年 「天地人」   新潟県       200億円

2010年 「竜馬伝」   高知・長崎県    600億円

2012年 「平 清盛」  兵庫県      約150億円(日銀神戸支店の試算)

大河ドラマは終焉後の関心の持続が課題です。「先入観」の否定を一過性のものにしないためにも、
先を見据えた努力が期待されます。

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No.40
ウノ目タカの目

             巨木の叫び

今年の紅葉狩りは浜名湖・湖北五山を巡った。

奥山半僧坊、臨済宗方広寺派・大本山はその名刹の一つである。
鎌倉建長寺の半僧坊はここから1890年に勧請されと聴くが、その守護神の象徴は烏天狗である。


清流に沿って、紅葉に彩られた参道のいたるところに佇む石仏の五百羅漢が、様々な表情で参詣者に
語りかける。
登り詰めると聳え立つ大伽藍である。禅寺ではあるが、杉林に包まれた庶民信仰の親しみやすさを感じる。


そこで、偶然にも杉の巨木が切り倒される現場に遭遇した。

数百年を経た杉の太い根基に、無情な機械鋸の刃が深く飲み込まれてゆく。そして、ゆっくりと長い
断末魔の叫びをあげて倒れ、その地響きは全山を揺るがした。大自然の終焉を想像するに相応しい
荘厳な光景であった。

切り口を見て驚いた。外見からはまたく判らないが、中はほとんど朽ちていた。

専門家は叩いて音で判別するという。参道が危険なので切ることになったものである。

外見から測るなかれ。禅寺はいつも何かを教えてくれる。

<浜名湖 湖北五山>参照

<静岡県のお寺>クリック参照

(1)寺名:方広寺(ほうこうじ)<通称:奥山半僧坊>
(2)住所:静岡県浜松市北区引佐町奥山1677−1
(3)山号:深奥山 (4)宗派:臨済宗方広寺派大本山
(5)開山:無文元選禅師 (6)開基:奥山六郎
(7)開創:1371年 (8)本尊:釈迦牟尼
(9)その他
1)主な伽藍
  本堂:1918年再建
  半僧坊真殿:1881年
  三重塔:1923年
  七尊菩薩堂:重要文化財 1401年
  など多くの伽藍
2)五百羅漢:古いものは1700年代中頃
3)半僧杉:市指定天然記念物 推定樹齢600年といわれる

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No.39
新刊紹介

先般の勉強会でお話しをしたSPSに関する新刊を下記の通りご紹介します。

著者は、我がSPS研究会のメンバー(京都大学総長・松本紘先生)です。

是非、ご一読をお薦めします。

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エネルギー問題解決へ、宇宙に目を向けよう

宇宙太陽光発電所、松本紘著、1,260

宇宙太陽光発電所、松本紘著、1,260円(税込)、新書、254ページ、ディスカヴァー・トゥエンティワン、
20116

東日本大震災によって発生した福島第一原子力発電所の事故から、すでに9カ月が経過しようとしている。
しかし、現在も、まだ収束の見通しがたっていない。
それまで原発は地球温暖化対策に最も適したクリーンなエネルギーとして扱われていたが、一転して災厄を
もたらしかねない危険な施設と見なされるようになってしまった。

 その一方で、風力発電や太陽光発電がにわかに脚光を浴びている。
しかし、発電容量が小さいこと、曇りで無風の日には発電できないことなどから、原子力に代わる基幹エネルギー
となることは難しそうだ。
では、どうするのか。このまま残り少ない化石エネルギーを燃やし続けなければならないのか。

 いや大丈夫。
地球だけでは問題が解決しないなら、宇宙に目を向ければいい。――そう主張するのが本書だ。

 「地球がダメなら宇宙って、そんなあなた、SFじゃないんだから」というツッコミは不要である。
本書の著者松本紘氏は宇宙研究一筋
50年の泰斗(たいと)であり、現在は京都大学の総長を務めている。
本書は決してトンデモ本ではなく、大真面目に宇宙に発電所を作ることを主張している啓蒙書なのである。

 啓蒙書なので、科学の夢物語を延々と書き連ねたりしない。
本書は、人口問題、資源問題、エネルギー問題を概説した第
1章「どうなる? 現代文明」に始まり、
世界の宇宙開発の歴史、著者本人の研究の紹介、宇宙科学の現状を説明する第
2章「わが国の宇宙開発の現状」を
経た後、いよいよ真打ち登場、第
3章「宇宙太陽光発電所(SPS)構想とは」に到る、という構成を採っている。

 そもそも、宇宙太陽光発電所(Solar Power Satellite/StationSPS)研究の歴史は古い。東日本大震災の後、
大急ぎでデッチ上げられた構想と思う読者もいるかもしれないが、実は
1968年に米国のピーター・グレーザー氏に
よって提案されている。
その名の通り、宇宙空間で太陽エネルギーを電気に変える発電所である。発電した直流電力はマイクロ波に
変換されて地球上の受電アンテナに向けて伝送され、受電アンテナで受けた後に再び直流電力に戻される。

 原理は至って簡単だが、果たして実用に耐えるほどの電力を得られるのだろうか。
本書に沿って、具体的な数値を追ってみよう。

 まずSPSの位置は、上空36000kmの静止衛星軌道上である。国際宇宙ステーションが地上から約400km
地球と月の距離が約
38kmだから、国際宇宙ステーションより90倍遠く、月との距離の1/10の位置である。

 発電を担う太陽電池パネルは広大な面積になる。米国航空宇宙局(NASA)や米国エネルギー省(DOE)が
1980
年にまとめた概念設計では5km×10kmに達する。
その重量も約
5万トンというから驚きだ。
スペースシャトルの打ち上げ能力が
30トン、国際宇宙ステーションの総重量が500トン級だから、概念設計はできても、
そのとおり実現するのは難しい。

 しかし、最新の日本のSPS設計では、重さ1トン以下で発電電力が200kW、地上の受電電力が100kW
なっているという。
発電した電力は、上述のようにマイクロ波に乗せて伝送する。
我々がよく知っている電波は通信用電波なので微弱電力しか送れないが、マイクロ波なら大きな電力を送ることができる。
宇宙空間から電子レンジで使われている電波を地上に向けて発射すると思えば良い。

 ただし、電力を電波で送るとは穏やかではない。
もし仮に、マイクロ波ビームを飛行機や鳥が横切ったらどうなるのだろう。
アニメに出てくる殺人光線のように黒こげになってしまうのだろうか。
結論だけいうと、
SPSのマイクロ波ビームの強度は家庭用電子レンジの1/100以下なので、「数時間その中にいたとしても、
生体への影響はありません」とのことだ。
気になるのは建設費だが、宇宙航空研究開発機構(
JAXA)版SPS構想では建設費用の総額が13000億円。
寿命
40年とした場合の発電単価8/kWhは、石油火力発電の11/kWhを下回っている。

 最終的な発電単価は安くなりそうだが、1兆円超というのは国民的コンセンサスなしに出せる金額ではない。
だが、こんなご時世だからこそ、「宇宙大国、いや宇宙立国こそ、日本の進むべき道なのです」と松本氏は提言している。

 少なくとも、東日本大震災後の便乗本でないことは確かだ。著者の50年の研究成果を、ぜひ手にとって確かめていただきたい。

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No.38
ウノ目タカの目

           福島第1原発の現状から  

福島第1原発の報道は、その都度断片的なのでその全体像が掴みにくいようです。

そこでご参考までに、第1〜4号炉の最新現状を判りやすくイラストで示した資料(12月4日中日新聞)を
ご紹介しますのでご覧下さい。

また、使用されている専門用語も実態が判りにくい表現で、「危険性を隠したがる原子力界の潜在意識の表れ」
とも評されているようです。

「事故」を「事象」、「老朽化」を「高経年化」、「汚染水」を「滞留水」、「高濃度の放射性汚泥」を
「廃スラッジ」、「ウランに毒性の強いウルトニウムを混合した核燃料」を「MOX燃料」等々で、判りやすい
一般表現との違いを示す一覧表を添付しましたのでご覧下さい。

これらは、大戦中に「退却」を「後進」、「撤退」を「転進」、「敗戦」を「終戦」、「全滅」を「玉砕」、
「特攻の自爆死」を「昇華」と言い換えて、現実を直視しなかった自己欺瞞のDNAが尾を引いているようです。

日本の原子力政策の中核を担うと目されて1980年稼働を目標に1兆円もの巨額を投じた「核燃料リサイクル
(MOX燃料)」・高速増殖原型炉「もんじゅ」は、相次ぐトラブルや情報隠しで実用化のメドが立たず。
フランスや各国は、技術・コスト面で既に開発から撤退しています。

日本の原発の使用済み核燃料の貯蔵量、2010年9月末現在ですでに13,530トンで、
保管容量20,420トンの66.3%に達しています。

我が国の原子力発電の今後の存続・廃止の論議は、諸般の状況と代替エネルギーの実用化の時期を勘案して
慎重に精査し、軽々に判断を下すべきではありません。

然し、半減期の長い使用済み核燃料の処分と廃炉に要する期間と莫大な費用の問題は、将来に大きな禍根を
投げかけているようです。

米軍の空母や潜水艦の多数が原子力で航行していますがこれまでに事故は聴いていません。

今回の福島原発事故は安全管理意識が欠落していた人災であったことは明白ですが、立地・設計・稼働の全てを
想定して米軍並の緊張した管理体制で臨んでいたら、安全は保たれていたこのかもしれません。

然し、如何なるケースにせよ、使用済み燃料の処理問題は共通の課題として残ることになりましょう。



   

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No.37
ウノ目タカの目

                  中国に吹く風は?

ギリシャを発端とするヨロッパの経済危機の成り行きに目を奪われている間に、身近の中国で広範に
不動産価格の暴落が始まっているのを見逃してはならない。

最大の原因は中国政府のインフレ抑制の金融引き締め政策で、不動産投機資金が急速に枯渇[住宅購入者
向け融資(1〜9月)が前年同期比43%減少]して、価格の暴落が起きる事態となった。囁かれている
年内40%以上の大暴落説の予兆か?。


新規分譲住宅の平均価格の下落が突出しているのは経済の中心地・上海で10.5%(中には40%。
販売途中で1/3も値下げし、購入者が販売センターに押しよせて打ち壊し騒動に発展)。
北京
でも
1週間で12・4%(中には古い物件よりも20%値下げ)。

杭州では10〜20%。成都では5〜10%。南京では10%、天津では5〜15%の値下げ。

住宅以外でも、高級ホテルの建設ラッシュだが、半面で万博以降は供給が需要を大幅に上回り、稼働率・
客室単価に陰りが出ている。

客室稼働率は60.9%と低迷(アジア主要15ヶ国中で14位)し、先行きが懸念される。

はたして、史上最大の崩壊劇の始まりとなるや否や?予断を許さない。


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ノ目タカの目 

    日本・ロシア小児がん交流シンポジウム千葉2011

本年6月、「モスクワ小児癌センター」が新装オープンした。250床の病棟と研究棟からなるこの種の
専門施設としては世界最大(それまでの世界最大・米国の100床を上回る)。

この専門病院の開設には感動的なエピソードがある。

チェルノブイリ事故で約3000名の小児癌が発病しているが、その中からこの病院に収容された少年がいた。
彼の夢は大統領と共に食事をすることであり、その旨の手紙を書いた。

それを読んだ当時のプーチン大統領は早速これに応じて、往訪し食事を共にして夢を叶えたときに、
少年がこの病院の老朽化を訴えた。

それがきっかけとなって世界一の施設が落成を迎えたが、その時はすでにその少年は亡くなっていた。

開所の式典で挨拶したプーチン首相は、少年の純粋な願いが政治家を大きく動かしたことを紹介し、
少年の母親の感謝のスピーチも列席者に感銘を与えた。

その式典に千葉県がんセンターの川原 章所長が招待されて講演をしたが、それを契機としてプーチン首相の
指示によりチェルノブイリの全てのデータが提供されることになり、この度の掲題のシンポジウムの開催の
運びとなったものである。

講師はロシア、ドイツ、日本のこの分野の世界的な権威。これまでのマスメディアを通じた情報と異なる実態を
学び得た実り多き一日であった。

チェルノブイリ事故以降の追跡調査によると、従来は極めて少なかった小児の甲状腺がんの発症率が異状に
高くなっているのは明確な事実である。

それは、体内に蓄積したセシウムの放射線によるものであることが判明している。

セシウムはカリウムと同等の機能を果たすものだが、カリウムと全く同一ではなく、何かの機能が欠けているのが
起因となっていることは突き止められているが、それが何かは現在の段階では判明してはいないとの研究報告であった。

参考までに、講演の中から一部のレジメを添付して紹介する次第である。




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ウノ目タカの目

進展する中国の宇宙・サイバー戦略

米中経済保安調査委員会(米国議会諮問機関)は、1116日発表の「2011年度年次報告書
」において、中国が米国を目標に宇宙での妨害作戦と電子戦強化を積極的に実施し始めたことを
明らかにし、宇宙の軍事利用に警鐘を鳴らしている。

中国は、米軍の宇宙からの偵察や通信機能を妨害する試験のために、

2007年10月と7月の2回、地球観測衛星ランドサットに、

2008年6月と10月の2回、同種衛星テラに、

サイバー攻撃をしたことが判明。

2007年1月には、米国の衛星破壊ミサイルの試射も行われた。

同時に、米軍の地上の各種施設・基地の指令・通信システムを標的にした、人民解放軍による
組織的サイバー攻撃があったと明言。

また、中国の(呼称)「地域支配戦略」の狙いは、アジアの有事に際し、米国の介入を阻止
することにあり、主要目標は下記の通りとされる。

@    米国の技術的に優位な中枢を破壊する先制攻撃を重視

A    第一列島線内(南シナ海から東シナ海に及ぶ広大な地域)の制圧・海域支配

以上は、すでに拙稿(115日、No.32)で指摘した通りに推移していることを如実に物語っている。

なお、同報告書は経済面では、

@    国有企業に対する不当な優遇策により、中国内の市場競争で米国企業が不利を蒙っている点を批判

A    知的所有権違反(模造品・海賊版商品は国内生産の約20%、GDPの8%を占める)による
  米国の被害は、国内雇用減210万人分の機会損失に匹敵する

と指摘している。

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ウノ目タカ目 

           「拉致」を考える 

「北朝鮮人権委員会拉致報告書」(米国の調査機関、「北朝鮮人権委員会」編・日本語版)出版記念シンポジウムが、
11月11日衆議院第1議員会館にて開催された。

拉致議連会長の平沼赳夫衆議院議員、安倍晋三元首相、松原仁国土交通副大臣など国政の要人(19名)、
家族会より横田滋・早紀江夫妻他、150ケ国の駐日外国公館の外交団長・サンマリノ共和国のマンリオ・カデロ
駐日大使をはじめとして300余名が参加した。

人権委員会の事務局長(チャック・ダウンズ氏)がこの日のために来日し、北朝鮮の実情を報告。

日米中韓の4カ国の資料や聞き取り調査から、北の悲惨な生活ぶり、拉致問題の歴史から被害実態と北朝鮮の
実行組織を詳細に分析。
拉致被害者の居住区を衛星写真を駆使して明らかにし、北朝鮮に対する新たな対処方を提起した。

報告書によると、拉致被害国は実に14ヶ国(日本、韓国、中国、フランス、イタリア、オランダ、ルーマニア、
ギニヤ、ヨルダン、レバノン、マカオ、タイ、マレーシア、シンガポール)に及ぶ。

国家政策として、情報要員養成の手段として多くの無辜の外国人市民を拉致することは国連憲章による基本的人権を
踏みにじる戦慄すべき犯罪として厳しく指弾。

我が国の実態は、帰還運動の在日朝鮮人で日本人妻を含めた10万3千人が日本に戻ることができずに苦しみ、
併せて18万人もの拉致被害者がいることになるという。

『北朝鮮による拉致問題は、単に一国の問題でなく世界全体の問題である。国際的に一致結束して取り組み、
北朝鮮に圧力をかけ続けなければ解決できない』との結論をもってシンポジウムの幕を閉じた。説得力に富む
多くの示唆を得た一日であった。

                                  以 上
PS

拉致被害者は米国にのいるので、それを加えれば15ヶ国になる。

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歴史探訪

              里見氏を偲ぶ  

温暖の地・南房総と、遙か隔てた山陰は神話の里・鳥取を結ぶエピソードである。

東京・本郷の由緒ある武家寺、深光寺で親戚の法事があった。
滝沢(曲亭)馬琴の墓があり、通称「馬琴寺」で知られる都の史跡の一つである。
法事の施主の実家が鳥取の旧家の関係で、その折に聴いた史実である。

馬琴といえば日本の長編伝記小説の古典・「南総里見八犬伝」。江戸時代後期に28年をかけて完成した
読本・戯作の代表作で、南総・安房の城主、里見義実の娘・伏姫の生んだ八犬士が苦難を乗り越えて
忠義を尽くして君主を守る物語である。

鳥取県倉吉市の関金町は湧き出る名湯「白銀の湯」で知られる山紫水明の山里。
そこにひっそりと眠る祠と六人塚がある。

安房の国館山藩主・里見忠義は勢力争いに巻き込まれ、21歳にして現在の倉吉市に流されて不遇の内に
29歳の若さで病死。
関金町は終焉の地であり、殉死した家臣と共に大岳院に埋葬された。
「南総里見八犬伝」はこの里見主従がモデルとなった。

関金町では1986年より毎年、里見忠義を偲び「せきがね里見まつり」を開催している。

恒例の子供歌舞伎(小5,6)の演ずる「八犬士」の熱演は、殺陣あり、蜘蛛の糸あり、紙吹雪あり、
衣装の早変わりありで好評。全国から訪れる里見氏の縁者は、悲運の「忠義公が帰ってきた」と涙を流すという。

今秋も子供歌舞伎が幕を開けた。
子供たちの澄んだ良く通る声と、真っ直ぐな心が人の心を打つのであろう。

奇しくも、横高(旧制中学)初代校長の吉田庫三先生も曾て旧制鳥取県立第一中学で教鞭を執られたことがある。

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ウノ目タカの目

          *  「神舟8号」成功の意味するもの *

海上自衛隊のイージス艦「きりしま」のミサイル迎撃訓練で、全ての目標弾道ミサイルの撃破に成功したとの
朗報に接し、この快挙は我が国の国防力を実証するものとして抑止力の効果は大なるものがあります。

米国でも大きく報道・評価されたこのニュースが日本で何故報道されないのか、その理由が判りません。
マスメディアをコントロールしている何らかの意志があるように思わざるを得ません。

この成功に最も関心を寄せているのは中国でしょう。

中国は今月3日、同国上空343キロの軌道上で、9月に打ち上げた無人実験機「天宮1号」と1日に
発射した無人宇宙船「神舟8号」のドッキングに初めて成功しました。これは遠隔操作で宇宙船の位置
を正確に合わせる技術を確立したことを意味し、米、露に続き、宇宙でのドッキング技術を持つ3番目の
国となったことを意味します。

これにより、2020年完成予定の中国独自の宇宙ステーション建設に向けて加速がついたことになります。

 この真の狙いは、宇宙を制して覇権を握ることにあり、地上(海上)から発射されたミサイルを地上(海上)の迎撃
ミサイルで打ち落とすのではなく、宇宙から短時間で阻止・迎撃しうることにあります。

宇宙開発は偵察・通信衛星の軍事利用から始まり、今や宇宙資源の争奪戦に向かっています。

アジアの大国・中国は宇宙開発への参画こそ後発でしたが、軍事利用については早くも1950年代
中葉(前近代的な軍隊から近代的な軍隊に転換する黎明期)から着目し、宇宙ステーションを
軍事拠点とすることを前提にした宇宙軍創設による高度な「国防発展戦略」をすでに検討していました。

何とこの構想が今回のドッキング実験にまで脈々と繋がっていて、中国の戦略と我が国のそれとの時間軸が違うところに
計り知れないものを感じます。

1956年 「科学技術発展長期計画綱要」でロケット技術の自主開発を表明

  60年代「長征ロケット」の」開発を開始

  62年代「有人宇宙飛行プロジェクト」を決定

2003年  中国初の有人宇宙船「神船5号」打ち上げ

2007年 月周回衛星「嫦娥1号」打ち上げ

2008年 「神船7号」で船外活動成功

2010年 月周回衛星「嫦娥2号」打ち上げ

2013年 月周回衛星「嫦娥3号」打ち上げ予定。無人探査車両の月面着陸を目指す

将来の戦争は「地上での争奪を目的とした平面戦争」から、「空間の争奪を目的とした立体戦争」
へと発展し、その焦点が宇宙空間です。
そこで優位になったものが空間争奪を優位に展開することができます。

近未来の軍隊の構成は大気圏外の独立した「宇宙軍」と、大気圏内の統合された「陸・海・空軍」
に二分され、宇宙基地から全地球を偵察して得た情報をもとに、両者は連動して有機的・
ダイナミックに運用されるようになります。

宇宙で、レーザー兵器等を使用して敵国の軍事衛星を無力化・機能不全にすることも想定内。

もしそうなれば、アジア・太平洋地域の安全保障を支えている現在の米国の存在も、長期的・
相対的な位置づけが変わり、宇宙を巻き込んだ覇権欲は果てしなく広がって行くことでしょう。
その延長線にあるものは無秩序な宇宙資源の乱獲争奪戦となりましょう。

これを等閑視する訳には行かず、今こそ我が国の政治力が問われています。


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ウノ目タカの目

温故知新

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」(ビスマルク)

制度疲労とは、新しい時代に即応できなくなった組織や意識、認識をいう。

江戸幕府は武家には武家諸法度。公家には公家諸法度を定め、その第一条に、
「天皇は諸芸に勤しみ、第一に学問である」として、「政治や経済、外交に関する諸事は
幕府の専権事項」とした。

然し、二百年を経るうちに睨みがきかなくなり、孝明天皇が践祚した弘化3年(1846)閏5月、
通商を求めて米国軍艦2隻(使節ビッテレー)が来た時分になると、朝廷は外国船に対する
備えにつき勅諭を出して幕府に影響力を示し始めた。天皇みずから意志を伝える行為は後醍醐天皇
以来500年ぶりの異例であった。

その後、嘉永六年(1853)ペリーが持参したフィルモア大統領の国書に、開国か攘夷かで
揺れた幕府は専権事項を放棄して最終判断を朝廷に求めた。武家諸法度は制度疲労で完全に機能を
失っていた。桜田門外の変に至る底流である。

太平洋戦争の終結の時も内閣の意見がまとまらず、天皇への輔弼の使命を放棄して、最終判断を
天皇の聖断にゆだねた。

以上に見る通り、一国の運命を託す岐路に臨んで、為政者(当事者)が責任を放棄してやぶさかで
ないのは歴史が示すところである。

今、我が国は内外の諸問題を抱えている。原発問題の対処もその例外ではない。

電力会社は事故の当事者として、政府はそれを支えてきた為政者としての経緯を鑑みて、
それぞれの責任を免れることはできまい。

電力不足はさしせまった事態であるが、節電キャンペーンの裏に隠れた実態と本質を見失ってはならない。
未来に禍根を残さぬためにも。


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ウノ目タカの目

         

             放射線をめぐり(U)

放射線被曝に関し、「世に違見あり」(No.28、10月4日、)で寄稿しましたが、
それを補足する参考資料をご紹介します。

『放射線ホルミシス(I,II)』(翻訳監修・放射線医学総合研究所長松平寛通博士、
ソフトサイエンス社刊)という本があります。

通常有毒物と言われている(例えばヒ素などの)物質を微量摂取すると、逆に体に有益な作用を
もたらすという現象が広く存在することに着目。
これをラッキ博士(ミズリー大学)はホルミシス効果と名付けました。今回紹介する上記の書物は、
放射能にもその現象があることを証明する膨大な文献と自らの実験結果をもとにしてまとめた研究書です。

放射線ホルミシスは生物体が持っている基本的な「防御能力」のもたらすもの一つであることを解明しています。

オックスフォード大学のアリソン教授の『放射能と理性』によると、強いストレスがかかったときに、
それに対応する機能が働くが、それ以前よりも強い防御力が生まれます。

体のトレーニングをする場合にも、負荷をかけ組織を一部を痛めますが、それが単に修復されるだけではなく、
より強い体になるというのがトレーニング効果です。

放射線ホルミシスもこれと同じで、放射線というDNAを破壊するものに当ると、DNA修復作用が
強力に働いてDNAを直します。
これが続くと、単に元通り修復するだけではなくより強い修復能力を獲得する。
これがホルミシス効果にほかなりません。


今やDNA修復能力の仕組みとその程度が急速に解明されてきました。

放射線発ガン研究の世界的な権威者・チュビアーナ博士が2001年に、人間の胎盤と胎児の細胞を使って、
放射線が人間の細胞に与える効果を調べた結果を発表しています。

それによると、自然放射線の何と10万倍に当たる10ミリシーベルト/時(単純計算すると、
8万ミリシーベルト/年)までなら、どんなに放射線が細胞を傷つけても完全に修復させてしまうと述べています。

1年間毎時ずっとこのストレスに耐え続けるというのは非現実的なので、ラッキー博士の線量応答曲線に
示すところによると、1万ミリシーベルト/年までは害のない範囲(修復が完全に行われる範囲)
というのが妥当な線という事になるそうです。

このレベル以下だと次第にホルミシス効果がみられ、100ミリシーベルト/年というあたりが体にもっともよく、
免疫力の増加、白血球の増加、感染の減少、ガン化の低下などもたらされるというのがラッキー博士の主張です。

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ウノ目タカの目

            日本テニス80年史に想う

合唱仲間で学生・社会人時代を通じてテニスで活躍した人から、財団法人日本テニス協会の作成した
「日本テニス協会80年史」のCDがあると聴いて、早速借りて拝見しました。

年表・記録はもとより、既刊の「70年史」を継ぐ今日までの発展を、ウィンブルドンにおける
日本選手の飛躍ハイライトの動画を交えて紹介している貴重な記録です。

今や我が国では青少年から高齢者に至るまで幅ひろく約910万人の人々が、リクリエーション、
健康増進、競技そして生涯学習の一環等の目的でテニスを楽しんでいます。

この普及の背景には、協会関係者のたゆまぬ努力があるのは言を待たないところであります。

かえり見れば、我が国からのウインブルドン出場の嚆矢は、熊谷一弥氏、清水善造氏をはじめとする
名選手の輩出でした。その折のフェヤープレーの精神は教科書でも学び、青少年の涵養に資するところ
大なるもがありました。

偶々学生時代に、熊谷一弥師からテニスの手ほどきをしていただきました。

ある時はダブルスで組ませて頂いた試合の直後に、ある時はクラブの新年会等で謦咳に接し、
頂いた数々のお言葉と師の風格が醸し出す威厳を、人生の師との邂逅として今日まで忘れたことはありません。

熊谷師は今上陛下(当時は皇太子殿下)のテニスの師でもありましたので、葉山でご静養の折には
しばしば鎌倉のクラブにお見えになりました。

クラブハウスの壁に、清水善造氏の愛用のラケットが記念に架けられていましたが、多分今もあると思います。

80年史のCDでは、この日本テニス黎明期に世界に雄飛した往年の名選手についての記載はありますが、
その先達の写真も載せて頂けたら画竜点睛となったことでしょう。

                           伊藤 博      

                           国際経営コンサルタント

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ウノ目タカの目

              世に違見あり

福島原発事故は、広範囲に及ぶ住民の避難や被曝レベルによる食品の出荷規制により
大きな波紋を投げかけています。

その判断の基準とされている単位(シーベルト等)は一般国民がこれまでに殆ど耳にした
ことが無く、判然としないまま社会不安のみが先行しているようです。

そこで、我が国の所謂「専門家」の発言を注意して見聴きすると、彼らの主張の科学的な
根拠は必ずしも絶対的なものではないことが透けて見えます。

それは、あたかも地震発生日時を正確に予知が出来ないのと同レベルで説得力に劣り、
不安を助長する風説と大差はないようです。

世の学会の「権威」の根拠の薄い推定見解を基に霞ヶ関が「暫定基準」を作成し、それが恰も
「暫定」を超えて信頼性が高いもののように流布し、国民は引きずられている点に根本的
な問題があるようです。

世界で唯一の原爆被爆国でありながら、放射線被曝レベルの本格的な研究を真摯に続けて
いる真の専門家は極めて少ないのが現状で、学会の体制派は海外の優れた研究諸説への
正確な検証もせず、正論が無視・抹殺されるのは日本という村社会の致命的な社会的欠陥です。

この機会こそ、全ての実態を明らかにして姿勢を正す啓蒙の好機でしょう。

この分野の泰斗・『放射能と理性』(翻訳版は徳間書店)の著者であるオックスフォード
大学名誉教授、並びにアイダホ大学の核工学技術の徳弘明教授の講演会(10月3日、

於:外国人特派員協会)がありました。

医学界の現状にふれて、現在1回2グレイ、週5回、10グレイ(=10,000ミリ
シーベルト)の放射線照射の治療が行われていますが、これはガンのみに照射しているのではなく、
その周辺の正常細胞にも照射されています。週10グレイ=を正常細胞に照射していながら、
年20ミリシーベルトが限度と言っているのはどう見ても正常ではないとして、下記の6つの
論点を強調しています。

> 1、低レベルの放射線および放射性物質に害はない。
>
2、放射線への「恐怖」が人々にストレスと社会的な被害を与えことに害がある。
>
3、現在の食品に対する規制値は科学的に全く根拠がなく、チェルノブイリと同じく
>
  人々に苦痛をもたらしている。
>
4、現在行われている避難規制は科学的に全く根拠がなく、チェルノブイリと同じく
>
  人々を苦しめている。
>
5、国際的な安全基準は、可能な限り最低値をという趣旨のものであるが、これは
>
  緩和してより高い数値に変えるべきである。
>
6、こうした放射能に対する誤解は、人々が冷戦時に植えつけられた放射能恐怖症が
>
  原因となっている。

また、アメリカ ミズーリ大学のラッキー博士の「原爆の健康効果」(Atomic Bomb Health Benefits
という研究論文があります。

広島、長崎の被爆者の追跡調査のデータをもとに書かれたさまざまな論文をもとに、
あるレベル(閾値)内の低線量放射線を浴びた人々は、健康障害ではなく、遺伝子異常、ガン、
寿命などにおいて通常の人々よりもよい数値、すなわちより健康であるという事を実証しています。

日本でも、低放射線は免疫機能を刺激することによって健康に良い効果をもたらすという稲博士
の論文があり、基本的に同じことをいっています。


放射能被害(LNTLinear No Threshold)は高水準のものからゼロまで連続的に害があると言うドグマは
間違いであり、
Threshould閾値)を境に害から逆の「益」を与えることがあると言うのが「事実」
であると結論づけています。


因みに、通常の妊娠異常が起こる割合は5%ほどであるが、広島長崎の胎児50,689のうち、卵子に
対して
100グレイ以下の被ばくの場合には、5%以下、1-9ベクレルの場合は3%に低下しています。
長崎の生存者の白血病死亡率(年10万人当り)をみると、0-10グレイの被曝者は4ほど、
150
グレイの人は16ほどですが、31-69グレイの人の死亡は0となっていて閾値は80と推測されると
報告されています。

ラッキー博士はNASAで宇宙飛行士の健康検査を10年以上にわたって研究し、「健康に良い放射線
レベルは年間100ミリシーベルト」と公表しています。

だとすると、年間20ミリシーベルトを超えると予想されると避難させるというる我が国の現状を
どう考えればよいのでしょうか?。


「ホルミシス効果」(細胞レベル・分子レベルも含めた広範な「適応応答」)の細胞DNA修復効果
の構造についての解明が近年目覚ましく進んでいます。

「ホルミシス臨床研究会」の講演会(7月24日、於:に東京理科大学)では、服部禎男博士の
「放射線パラダイムの変革」他多数の最新の実証研究成果が紹介されています。


メリカのコーエン博士の70万世帯を対象とした長期にわたる研究でも、ラドン濃度を上げて
いくに従い肺ガン死亡率は低下し、40ミリシーベルトになると約半分くらいに低下していると
報告されています。

これらの実証研究成果を無視してホルミシス効果を今だに否定している学会の「権威」がもしいると
すれば、他意があるとしか思われず、医学の進歩発展に棹さすものして社会から厳しく問われる
ところでありましょう。



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ウノ目タカの目

               早とちり

千葉インターナショナル・シンガーズ(CIS)の定例リーハーサルの休息時間に、
「どぜうパイ」なる美味なる菓子をいただきました。浜松の「うなぎパイ」は有名ですが、
それより小振りで口当たりの良いものです。

メンバーの中に習志野市の「どぜう総理大臣」のご近所に住む人がいて、持て来てくれたものでした。

それにしても、新首相として就任してからいまだ僅か二日も経ぬ内に、恰もあらかじめ用意
していたと思われるほど早いタイミングで、「どぜう」を冠した名物の商品が現れるとは・・・・・!。

誰もが、商魂の逞しさに呆れると同時に脱帽しました。

そう言えば、曾て、横須賀市の繁華街の食堂に、郷土からの首相誕生を記念して「純ちゃん丼」が
現れて、町を挙げての慶祝の盛り上がりを微笑ましく思ったことがありました。

ですから、今回「どぜうパイ」が発売されても決して不自然ではありません。
だだ、あまりにもその発売のタイミングが早いので一同驚いた訳です。

然し、実は、これは一同の早とちりでした。

真相は、習志野市から来ているメンバーの親の実家が島根県の「やすき」の近郊で、
「やすき節」にちなんだお土産でした。

聴いてみればもっともで、今回はあまりにもタイミングが合っていたので、かの有名な「どぜう掬い」
に因んだ名物土産であろうとは誰も夢にも気がつきませんでしたので、大いに笑い誘いました。

「早とちり」は誰にでもあり、他人を笑うことは出来ませんが、首相の早とちりは許されない
ところでしょう。
松の木の下で育った「どぜう」は「ちり鍋」には不適だからしょうか。


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歴史探訪

              幻の小学校

横須賀市立八幡山小学校をご存知でしょうか?。

「君よ わが妻よ」(文芸春秋、2010年8月刊)という本があります。
著者は横須賀育ちの石原慎太郎夫人。招集されて戦地に赴いた父と母が交わした愛情溢れる書翰集。
当時の世相が色濃く描かれた貴重な記録であり、一読をお薦めする一冊です。

その中で父上の顕彰碑に、「横須賀生まれ、八幡山小学校から逗子開成、横浜高等商業に学ぶ」と刻まれています。
はて? この小学校は寡聞にしていまだに聴いたことがないが、どこのことかと調べてみましたら、確かに在りました!。

今は幻の学校となってしまいましたが、旧鎮守府を眼下に眺望抜群の地にあったようです。

往時の郷土を偲ぶ参考までに、横須賀市政策推進部文化振興課のHPより転載許可を頂きましたので、
写真と説明文を添付してご紹介します。


八幡山小学校

 八幡山小学校

松の多い平屋建校舎で、明治35年高等第一横須賀小学校として発足し、同41年高等八幡山小学校と改称。
大正13年諏訪小学校に併合され、高等科の校舎となった。
昭和9年諏訪小学校が小川町に移った後は、女子技芸学校、市立工業学校、戦後は緑ケ丘学院の校舎となった。
写真は大正3年頃の高等科女性徒の遊戯。

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歴史探訪

               風 化

歴史認識は国内のみならず、今後の国際関係の友好推進にとっても重要である。

戦後60数年。当時を膚で知る生証人が櫛の歯が欠けるようにいなくなるにつれて史実の風化が益々進む。
難航している北方四島やシベリヤ抑留による塗炭の苦しみの起源もその例外ではない。

過日、永田町にて、ロシア外交アカデミー露日センター長・コンスタンチン・サルキソフ氏の話を聴く
機会があった。

1942年ソ連邦アルメニア共和国生まれ。サンクトペテルブルグ大学卒。元駐日ソ連大使館一等書記官。
ロシアアカデミー東洋研究所日本研究センター所長、慶應義塾大学特別招聘教授、一ツ橋大学客員教授、
法政大学客員教授、山梨学院大学教授等を歴任した日本通の第一人者である。

極めて流暢な日本語で、日露交流の歴史から説き起こして現状を分析して、アジアにおける両国の重要性と
今後の在り方につき有益な示唆を得ることが出来た。

その中で、必然的に先の大戦にも触れざるを得なかった。旧ソ連が日ソ中立(不可侵)条約を反故にして満州
(及び千島列島・朝鮮半島北部)に侵攻したことにつき、現在のロシアの学校教育ではその正当化をどのように
教えているか?との質問にたいしては、(意外にも)「何も教育していない」との回答であった。

ソ連は1945年88日突如として日ソ中立条約を一方的に破棄を宣言。日本のポツダム宣言拒否により
連合国からの参戦の要請ありとして、満州国、千島列島、朝鮮半島北部等へ侵攻した。この時、
駐ソ日本大使館からの日本本土への電話回線は全て切断されたので完全な奇襲攻撃となった。

日本国内では国際法上または外交信義に鑑み、ソ連の一方的な条約破棄とて非難し、正当化できる根拠は
ないとする主張が多数を占めている。

他方でソ連の当時の主張は、1941年7月、関東軍が70万人を集中動員した「関東軍特別演習」は重大な
軍事的挑発であり、ソ連への背信行為として条約を破棄する根拠とした。極東に配備されていたソ連軍部隊を
対独戦に投入するのを阻止するのが目的であり、もしドイツが勝利していれば、直ちに日本軍はソ連領内に
侵攻する意図をも含んでいたと予測・解釈したのである。

このソ連の見方についての日本側の主張は、関特演はあくまでも「演習」であり、その後でも中立条約体制を
維持を厳守していた事実をもって、条約を破棄し侵攻したのはソ連に非があるとの批判が今もって根強い。

その背景には、ヤルタ会談(1945年2月)でソ連が対日参戦を秘密裏に決めた後に、ソ連の外相は
駐ソ日本大使に日ソ中立条約の不延長を通告(1945年4月5日)したが、その際に日本はこの条約が
1946年4月までは有効であることが確認されていた」ことを重視しているからである。

また、ソ連は日ソ中立条約を破棄する以前に、日本政府に対して日本が中立条約に違反しているとの抗議すら
一度もしたことがなかった事実も挙げている。

戦後の極東国際軍事裁判の判決では、「日ソ不可侵条約は、ソビエト連邦に対する日本の侵略的な企図を進める
手段として誠意なく結ばれたものであることは今や確実に立証されるに至った」とソ連側の行為が合法的
なものとして規定された。

然し、この判決は、判事団の中に当事国であり戦勝国としてのソ連の判事が加わっていたので、
公平性・中立性の観点から問題があるとの批判が絶えない。

また、この国際軍事裁判の審決を受諾したサンフランシスコ条約にソビエトはなぜか署名をしていない。

歴史を振り返ることは過去を断罪することではない。史観を超えて、二度と同じ過ちを犯さない
ように過去から学ぶためである。

中立条約の破棄は両国にとっても大きな出来事であった。国情やイデオロギーの違いがあるとはいえ、
その経緯を全く教えていないのは考えさせられるところである。

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ウノ目タカの目

              不思議なこと

「事実は小説より奇なり」 世の中には不思議な話が尽きないが、福島原発事故の周辺の事象にも
それがあり誠に理解に苦しむ。

その1衛星写真

TVや報道で多数の人が見たであろう水素爆発直後の衛星写真は、実は米国の商業衛星が撮影した
映像を何と実に3
,600万円もの大金で購入したものであったという。(NHK)

だが、我が国はすでに8,000億円もの巨費を投じた情報収集・偵察衛星が稼働していて、
その撮影画像は信頼に足るものであるにも拘わらず、それを敢えて活用しなかったのは何故か?

その理由は性能の機密保持にあったと聴いて耳を疑った。

今や衛星写真はグーグルで誰でも自由に見ることが出来る時代であり、世界の偵察衛星の高度な
解像度は広知の事実である。
従って機密にする理由などはさらさら無く納得できない。

非常時に国民に公開出来ずで役に立たない情報衛星では画竜点睛を欠き、無用の長物、血税の浪費である。

その2空白の時間

東電は3月12日午後2時50分過ぎに原子炉への海水注入を決めた。直ちに首相官邸内の危機管理
センターにその了解をえるためにFAXを入れたが、信じ難いことに「書類に埋もれて」首相の手元
には届かなかった。(8月26日産経)

首相が対策室でその報告を受けたのは同日午後6時前。そして首相がその許可をすることに逡巡
して更に時が流れ、イライラした東電は指示を待たずに海水注入を続行して、結果として当面の
更なる危機を回避した。

ここで明らかなことは、首相の指示なしでは身動きできなくなっていた東電の体質に問題があることは
言を待たないが、更に重大なことは、首相官邸内における緊急時の情報伝達に関する杜撰な管理が
原因となった異常な遅延(約3時の空白)の命的な欠陥である。

この種の前例は多々あった。
その典型は、先の日米開戦に当たり外務省から駐在米国大使に発信されたハル国務長官宛の最後通牒が、
現地での翻訳が遅延し、米国への通達時刻が真珠湾攻撃の後になったために、史上で「奇襲」の誹り
を受けることになった。

その原因が正にこれと類を同じくする大使館内の「情報処理体制の緩み」であったことは知られている
事実である。

戦後60数年を経た今もって、我が国の中枢・首相官邸ですらこの過去に学ぶことをしていないのは誠に
不思議である。

「奇」とは、少なく珍しいことをいう。「奇」も続出すれば「頻」となる。誠にややこしい時代となった
ことに戸惑いを感じている今日このごろである。

温故知新を無視することから生じた「奇」の「頻」への転化は、多くの場合「人災」であり、断じて
許し難いところであろう。

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  志村嘉一郎著 「東電帝国 その失敗の本質」(文春新書、2011年6月)


水は淀むと腐敗する。権力が腐敗を生み衰亡を導くように、独占は停滞を招き滅亡の道に至る。

本書は、東日本大災害により衆目に晒された東京電力の虚像の崩壊の経緯、即ち地域独占に安住した
村社会体質の制度疲労の事態を明らかすると共に、大戦後の9電力体制誕生に至る電力産業の集中統合
にまつわる生々しい攻防戦のルポルタージュとしても一読の価値がある。

著者は全国紙の経済記者として、30数年間一貫して電力産業の取材に関わり、その人脈と表裏の
事情を熟知しているだけに、「想定外という言葉は、想定内で人事を尽くした場合だけに言える」と、
その筆法は鋭い。

東電は年間電力料金収入5兆円(我が国のGDPの約1%)を独占し、その潤沢なる活動資金
をもとに、政・官・財界はもとより関連学会、マスメディアまで深く抱きこんで強大な電力帝国を
築き上げた。
その結果として得たものは「驕りとプライド、組織の硬直化」のもたらす「脆さ」であった。

「原発安全神話」を創造してその世論創りにより建設の正当化を大々的に喧伝している内に、
自らその「罠」にはまったメカニズムは他山の石とすべきであろう。

組織が硬直化した東電の企業風土は、原発の危険性を正視した意見を異論として無視し、真剣に安全性に
取り組んで社会の付託に応える道を完全に閉ざしていた。

この事実が物語るものはコスト中心で危機管理の軽視であり、福島原発事故は起こるべくして起こった
人災との誹りを免れない所以である。
その経営者の社会的責任は大きい。

この世の中に「絶対安全なもの」など決してない。
力を過信してそれを標榜した唯一の産業が原子力発電であった。

また、最も安いとPRされてきた原発コストも、事実は裏に各種の助成金に加えて、核燃料の最終処理費、
廃炉処理費、更に地震・津波災害による放射能汚染被害の莫大な補償費用を計算に入れると、遥かに
高額となり、原発安全神話は捏造であったことが今や明白になっている。

本書が示唆するものは、東電が社会から受けたバッシングの事実をどう真摯に受け止めるかにある。
このままでは形骸化と面従腹背の体質は変わらず、必要とするエネルギー供給の義務を全うすることは
難しいと予想されるからである。

失敗には許されるものと、許されざるものの二通りがある。前者は未知に挑戦した結果として生じたものであり、
後者は同じ愚の繰り返しである。

地震・津波の想定の甘さ、非常電源の不作動、非常時の東北電力からの補助電源の未活用等々を総括し
これらの危機管理の欠如の根底に流れるものは、典型的な縦割りの日本的村社会。
過去の事例から学ぶことを疎んじ、それで是としていた企業風土の犯す愚といえよう。

ここで重要なことは、責任追及と原因究明は別のものであり、両者を混同してはならない。

人は驕慢になると注意深さを見失う。背後にある失敗や経験の真の意味を理解できず、不勉強と保身で
予測せぬ事態に対処する能力も低下し、やがて大きな失敗を誘引して衰退してゆくことになる。

正に、殷鑑遠からずといえよう。

                               蓼科の緑陰にて

                         伊藤 博

国際経営コンサルタント


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ウノ目タカの目

               中国の風    

グライダーは風が吹かなければ墜落する。

大国中国のバブルが何時破綻するか?は、世界中が注目している関心事である。

1923年、第一次大戦の好景気に湧いていたシカゴの超高級ホテルに、当時の米国の経済界を
代表する大富豪の9人が集まった。

最大の鉄鋼会社のオーナー社長を筆頭に、世界最大のガス会社の社長、世界最大のマッチ会社の社長、
ニューヨーク証券取引所の理事長、有力銀行の頭取、株式投機の巨頭二人、それに政権の閣僚二名等
の飛ぶ鳥を落とす勢いの面々であった。

それから25年後、この九人の運命はどうなったか?。

鉄鋼会社のオーナーは借金に追われて無一文の果てに死亡。残った八人は、破産、自殺、獄死、
そして精神に変調をきたしての死であった。

90年代の我が国でも同じことが起こった。

バブルの絶頂期、土地と株の値上がりで栄耀栄華を極めていたのは、大銀行の頭取、商社の社長、
不動産会社のオーナー、リゾート開発に奔走した信用組合の理事長、大規模に貸しビル業を展開した
医者、そして高級官僚であった。

バブル崩壊後の彼らを待ち受けていた運命は、破産、刑事訴追、一家離散であった。

中国鉄道事業は2兆元(約24兆円)を越える債務を抱えて投資家の不安が高まっているにもかかわらず、
公正であるべき中国の格付け会社(「大公国際資信評価」)は、事故で批判を浴びている中国鉄道省の
最近の短期債権発行にあたり、最高の「トリプルA」を付けた。

中国の一党独裁で創り上げられた経済成長の虚構は、制度疲労による崩壊がいつ顕在化するか?。
無論絶対にそうなって欲しくはないと節に願うだけに、予断を許さない。

折しも、中国初の航空母の試運転航海が報道されている。旧ソ連の崩壊により製造が途中で中止
されていたものを、カジノにするという名目で買い取って自前で改造したものと聴く。

カジノも空母もバブルの投機も、大きな「賭」であることに変わりはない。


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歴史探訪

             祇園囃子の語るもの

盛夏の京都の風物詩は祇園囃子のコンチキチン。

その起源を訪ねれば、貞観11年(869)朝廷が疫病の流行を封じ、無病息災を祈念して神輿3基を賜い、
神泉苑に薬師如来の化身・牛頭天王を祀り、全国の国の数を表す
66本の矛を立て、その矛に諸国の悪霊を
移し宿らせることで諸国の穢れ祓いの御霊会を執り行ったことに始まる。

その背景は、高温多湿の平安京。そこに建都のために集中した人口の増加、上下水道の不備
(汚水と飲料水の混合)よるマラリア、天然痘、インフルエンザ、赤痢、麻疹などの大流行。

陰陽師の卜占によると、その主原因は長岡京遷都工事(大水害により挫折)中に起きた藤原種継暗殺事件で
無実を訴えながら亡くなった早良親王他
6人の怨霊の仕業とされ。その鎮魂の御霊会と、これまでは理解していた。

ところが、近日、主因は少し異なるとする説を目にした。

日本漢字能力検定協会・高坂節三氏によると、実はその本旨は貞観11年に襲った東北大地震。
その未曾有な被災状況に朝廷は心を痛め、東北地方のみならず平安京を含めて全国66ケ国の安穏を神に
祈ったのがその始まりという。

神に祈らざるを得なかった1200年前の人々の切なる思いが詰まっている鉾と囃子の音を、「本来の姿」
で未来に伝えていくことが今に生きる人の使命であり義務であろう。

                               御室御所にて

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ウノ目タカの目

            中国高速鉄道の行方は?


妻と息子がロサンゼルスに三軒の豪邸を持ち、米国とスイスに28億ドル(約2,160億円)
の巨額な蓄財ありと聞けば、亡命したどこかの国の大統領か?成功した実業家か?はたまたマフィアか?
と想像されるが、実は、なんと中国鉄道省の前運輸局長。
汚職容疑で更迭され、同省幹部6名とともに逮捕されたと「紅網」(湖南省政府と共産党委員会が
運営するニュースサイト)が報じている。

7月の高速鉄道・寧波―温州線の重大衝突事故に引き続き、8月初にも上海の信号故障や長時間遅延等
のトラブルが続出。
その原因は手抜き工事や運行システムの不備にあり、その裏に潜んでいた鉄道建設の巨大利権をめぐる
積年の汚職腐敗が明るみに出て、鉄道省の中枢にメスを入れざるを得なくなったと目されている。
認可・割り振りのペイバックや手抜きの目こぼし料等の裏金が累積したもの推測されている。


中国の高速鉄道の営業キロ総数は、2011年末で約4,175km。
日本の新幹線の営業距離2,620kmを大幅に超え、2012年末で8、358km(世界最長)、
2015年末では25,000kmを目標にして突貫工事で建設が進められている。

短期間で建設・運行開始を急ぐ至上命令のもとで、安全運行・維持管理の教育が間に合わず、
必要な技術やノウ・ハウを習得した人材が不足している状況下では何が起こっても不思議はない。

日本の新幹線の無事故を支えているのは、優れた車両・制御システムに加えて、安全第一の意識が
末端の一人一人にまで浸透し、絶えざる保守点検があるからである。

例えば、架線は10日に一度は検測し、すり減り具合が一定の基準を超えると交換。

パンタグラフと架線で接する「すり板」は、ほぼ2日に一度は目視検査をして、損傷の激しい
部分を交換している。
これらの保線工事は深夜から早朝にかけて行われている。
(8月3日産経新聞コラム「オピニオン」曽野綾子)

中国の新幹線は営業距離も遥かに長く、しかも夜は寝台車が走るので深夜作業ができなので、
日本と同等レベルの維持管理体制を守ることはまず不可能に近い。
安全面で基本的に無理がある。

中国にとってインフラ建設は経済成長の原動力である。
従って、その柱となっている高速鉄道を見捨てることはできない。

しかし、その財務状況にも懸念が出てきている。

中国鉄道省の2011年上期(1〜6月)の財務報告によると、高速鉄道の建設(増加債務の
大半は中国の金融機関からの借入金)により総額は2兆907億元(約25兆円と大きく膨らんでいる。

これは、高速鉄道の整備がスタートする前(2005年末)の4倍強。

2010年末と比べて1割、同年6月とは4割増である。

総資産に占める負債比率も2011年6月末で58%から、2005年末の38%から大幅に上昇している。

負債は増えるが収入は厳しい。
2011年上期の営業収入は、新路線開通が寄与して3,525億元
(過去最高)に達したが、税引前利益は42億元にとどまった。
税引前で100億元の利益がなければ、最終損益は赤字になると予測されている。

現在計画中の高速鉄道網が完成するには、さらに8,500元(約10兆円)が必要で、
これまでの投資額5,900億元の1・4倍に相当すると予想されるので、中国政府が支援に
乗りだす可能性が高い。

鉄道省は「独立王国」と呼ばれ独自の警察部門を持ち、人民解放軍の影響が強い。
中国指導部の今後の想定されるシナリオは、政府が財務支援をするにあたり、徹底した改革を条件として、
交通運輸省との統合や鉄道行政と鉄道運行部門の分離などの行政改革案につき、水面下で政治の
駆け引きが激しくなっていると報じられている。(8月7日日本経済新聞)

日本の新幹線のコピー現象の背景に潜む一コマである。


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歴史探訪

               想定外

『想定外』という表現は、『想定内』で人事を尽くした場合だけ言える言葉である。

「日本三代実録」を紐解くと、清和天皇の御世、貞観11年5月26日(869年7月13日)に、
岩手・宮城・福島・茨城沖の大平洋を震源とする大地震が発生。
その大津波の被害の生々しい記録がある。漢文で書かれている原文を今風に読み下すと、

『陸奥の国で大地震が起きた。稲妻が昼のように光り、人々は立っていることができなかった。
あるものは地割れに飲み込まれた。驚いた馬や牛が暴れて走り回り出し、城郭、倉、門櫓や牆壁が無数に崩れた。

雷鳴のような海鳴りが聞こえて海嘯が押し寄せ、たちまち海から遠くにあった城下まで達した。
見渡す限り水となり、野原も道も大海原となった。舟で逃げたり山に避難することができずに、
,000人ほどがおぼれ死に、後にはなにもなくなった』

当時の日本の人口は約500万人(現在の1/25)。多賀城下で1,000人が亡くなったということは、
現在の人口に換算すると25
,000人になる。

東日本大震災の死者・行方不明者は約25,000人で、正しく今回の地震に匹敵する。

東北電力の調査(1990年)によると、この貞観地震の(推定)震度はM8.4以上。

ところが、東京電力が福島原発建設で想定していた震度はM7.9(貞観大地震の1/6)にすぎなかった。

津波の高さの想定も東京電力福島原発は5.7m。これに対して、東北電力・女川原発は、歴史の教訓を
活かして9.1mを想定。その結果として、女川原発は体育館が住民(1
,900人)の避難所となり、内、
360人が原発構内に避難することができた。

確かに、東日本大震災では東電の想定した高さの3倍近い津波が襲ったのは事実である。

東電は、「建物や器機・配管の設計は、過去の地震歴を古文書まで遡って調査し、起きると考えられる
最大規模の地震を想定している。
然し、貞観地震の被害は学会で定説となっていなっかった」と弁明しているが、東北電力が想定出来た
津波の高さよりも、東電は低く見ていた事実を前にして、「想定の甘さ」による責任逃れの誹りを免れない。

この東北電力と東電の想定の大きな差はどこから生じたのか。

以上は、このナゾを解明した「東電帝国―その失敗の本質」(志村嘉一郎著、文春新書)からその一部を
概略紹介したものである。

戦後60年間、潤沢な資金により永田町・霞ヶ関、マスメディアを意のままに動かして、地域独占を享受
してきた東電の制度疲労による虚像の崩壊を物語る貴重な事例と読み取ることができよう。

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ウノ目タカの目

            エネルギー未来予測について

エネルギー問題は、地球温暖化に伴うCO2削減はもとより、最近発生した原発事故により
関心が一層高まっている。

経済産業省はかねてよりHPで我が国の「長期エネルギー需給見通し」を公表している。

その平成21年8月改訂版の電力供給量をみると、2007年の実績が10,239億kwhで
あったものが2020年までは10
,460億kwhまで伸びるが、2030年には9,646億kwhに
低減すると推計されている。

他方で、同省の実質GDPの長期予測を見ると、2010年実績539兆円であったものが、
2020年は656兆円、2030年までに739兆円と大きく増加する見通しである。

そこでこの両者を見比べると明かなことは、2030年の時点がなぜか電力消費と実質GDPの伸びが
相反する結果となり、両者の動向に整合性を欠く結果となっている。

我が国の1955年以降今日までのエネルギー消費並びに実質GDPを見ても、この両者は併行した
動向を示し、エネルギー消費が低減して実質GDPが伸びたことはない。

むしろ実態は、必要とする電力の供給があったからこそ、実質GDPの伸びが可能になったと言える。
電力が産業発展、経済成長の大きな原動力である由縁である。

エネルギー予測改訂版から読み取る2030年の未来像は、大幅な実質GDPの伸びにもかかわらず、
極めて少ないエネルギーで賄うという不可能とも思われる難題を示していることになる。

そこで、エネルギー庁にこの2030年の両推計の整合性を問うたところ、「民生部門の節電を見込んで
あるが、その計算基礎は公表出来ない」とのことであった。

この回答は不可思議である。すでに同省はHPで「日本の最終エネルギー消費をGDPの推移」(実績)
を公表しており、その2006年度実績の部門別内訳は、産業部門44.8%、民生部門31.7%、
運輸部門23.5%と公表されている。

従って、今回の推計に限って民生部門をはじめその他の「構成比率」をどう見たかを秘匿する理由が
考えられない。その内容を明らかにせずして、この推計の信頼性を判断することが出来ないからである。

直面する省エネには全面的に協力する必要があるが、その内訳の計算根拠が不明な丼勘定だとしたらい
かがなものであろうか。

推計は未来予測なのでその後の環境変化により条件が変われば実績も変わりうる。従って、予測数値の
厳密な当たり外れを問題にしているのではない。

重要な点は、予測した時点で「どういう考え方」をしたのかという問題であり、今回は特に実質GDPと
の相関関係が判断の要である。

すでに公表している同一資料の計算基礎について、ある時は公開しある時は非公開にすること自体が
不自然であり、資料そのものの信頼性に及ぶ問題になりかねない。

行政は省益を守るためにあるのではない。情報公開法もそのためにある。

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ウノ目タカの目

             気の抜けたビール

熱い季節にきりりと冷えたビールの一口の喉ごしはなんとも言えない。
枝豆でも添えてあれば申し分なし。
只それだけで幸せである。

だが、肴が天下の珍味でも、グラスの中身が温くて泡も立たない代物だったらどうだろう?

昨年(平成22)9月中国漁船が我が国の海上保安庁の巡視船に衝突する事件が発生。

海上保安庁が公務執行妨害容疑で逮捕した船長を、那覇地検がなぜか処分保留のまま釈放し
帰国させた判断には首をかしげた人が多かった。
11月に神戸海保の保安官が衝突時の一部始終の映像(いまだに公式には未公開)を動画サイトに
投稿して大きな反響を呼んだ事件である。

本年(平成23)4月那覇検察審査会はこれを起訴相当と決議したが、6月那覇地検は再び不起訴とした。
これに対して7月21日那覇検察審査会が「強制起訴」の決議をしたことが報道されている。

那覇検察審議会の指摘で、「動機、犯行の悪質さに加え、謝罪も弁償も全くしていないので、
不起訴処分は正しくない」としている点には、「我が国の国民目線からみて当然。
中国に捜査共助の要請をすべし」との識者からの多数の反響があるようである。

検察審議会による強制起訴は、刑事事件の捜査に国民感覚を反映させる目的で導入されたのだが、
良い制度も実効がなければ画竜点睛を欠く。

公判に至る手続きとしては、

1.指定弁護士(検察官役)は、2ヶ月以内に起訴状の謄本を被告人に送達しなくてはならない。

2.被告人である船長を拘束中ならいざ知らず、釈放・帰国させた後では「後の祭り」。
  中
国側の協力が無ければ控訴棄却となる。帰国後に英雄視された船長を中国が我が国に手渡す
  可能性がはたして期待出来るであろうか。


自国の常識が常に他国に通じると思うことが間違っている。
正義の感情や謝罪感覚も国より基本的に異なることを認識せずに、安易な期待をしているだけでは
対外的な攻勢に耐えられない。

直面する対外課題の折衝で実力行使の威圧に屈していては大きな代償を払うことになろう。

ビールは冷えた内に飲むから美味い。
気の抜けたビールは単に色の付いた苦い水にすぎない。
そう言えば、北京の大運河の畔で飲んだビールもやや温かった。

                             涼風戻る日に

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歴史探訪

               あじあ号          

NHKー総合TV(7月16日9:00PM〜)にて、山田洋二監督のルポルタージュ・「復活」が
放映されましたのでご覧になった方も多いと思います。

 蒸気機関車D51を1年余の期間をかけて復活させるお話しです。

 山田洋二監督は 岳父が満鉄技師で少年時代は「大連」育ち。住まいは旧ロシア街の洋館の2階で
大連駅のすぐ近く、毎日蒸気機関車を見ていたのでことのほか愛着が深かったそうです。
小2の時に機関区で憧れの「あじあ号」に直に触れた感動を忘れていませんでした。

それが大連に保存されていると聴き、往訪して70年ぶりに再会したエピソードが挿入されていました。

 暁の超特急「あじあ」は、戦前の満鉄が1934年(昭和9)から1943年(昭和18)にかけて大連―
ハルピン間の約
950kmを運行していた流線形のパシナ形蒸気機関車と専用固定編成の豪華客車。
広軌を活かし
最高速度130km/hを誇る日本の鉄道技術水準を世界に示すものでした。
少年小説・「亜細亜の曙」とともに懐かしい響きがあります。

最前面の前照灯下に「アジア757」というプレートが光る威容を観ると、保存状態は案外良いようでした。

広大な満州の大地を疾走するフィルムも流れ、その勇姿を伺い知ることができました。

昔を知る貴重な記録でした。

            Supper Express Asia                                        

    

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ウノ目タカの目

               ボケの極み

東日本大震災の大船渡市の復旧工事で、河口から200M先に打ち上げられた「津波記念石」と
刻まれた巨大な石が出てきた。
それが何と!昭和8年の三陸大津波の記念碑で、道路工事(昭和50年代)で無造作に埋められて
しまっていたものと判明した。

今回の復旧工事でその存在がはじめて明かになったが、大船渡市自体もその存在を知らなかった?と言う。
何のための記念碑か?。
地元ですら過去の教訓を全く活かしていない。

災害は忘れたころに来る。当時の災害犠牲者、死者行方不明約300名余、負傷者1万2千名の魂は救われまい。

昭和三陸津波

本震

発生日

1933昭和8年)33

発生時刻

23048秒(JST

震央

日本の旗日本 岩手県釜石町(現・釜石市)東方沖約200km
北緯397.7
東経1447分(地図

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歴史探訪

         「台湾と韓国」への反響より

寄稿をご覧になったT先生からお便りを頂きました。
そのお返事も添えてご笑覧までに。

(T先生からの来状)

台湾と韓国についての貴稿は目からうろこでした。
個人的な体験を記します。

アメリカ・ペンシルバニア州のバックネル大学で、数か月滞在していたことがありました。

同大学には日本研究所があり、所長は台湾出身のD・ルー博士でした。
博士は日本統治下の台湾の旧制高校で、犬飼孝博士に万葉集を教わったと,懐かしそうに話していました。

韓国に出張したおり、ソウルで韓国棋院に行って囲碁の対局を見学しました。
年配の男性が来て、私が日本から来たということで、
わざわざ外のレストランへ連れていってくれ、
焼肉をご馳走してくれました。

日本人が好きだと言っていました。
わずかな例にすぎませんが、日本の統治を体験している年配の方々の対日感情の一端を知ることができました。


(T先生への出状)

T先生

拝復 良いお話しを有り難うございます。

韓国の壮年層で日本に好印象を持っている方がおられるとは貴重な嬉しいお話です。

今後ともそのような方々との草の根の交流を大切にすべきだと思います。

日本統治下での日本人の日常行動で、(日本国内も含めて)韓国人に対する尊大な見下すような態度で
接した輩がいて、感情的に不要な刺激を与えたことが多かったのでないでしょうか。

この成り上がり者にありがちな尊大不遜の態度は深く反省しなくてはなりません。
他で幾ら善政を行っても帳消しになるからです。

併合後、朝鮮人は「日本人」になりました。天皇陛下の赤子となって従軍し、日本兵として立派に戦って
多くの戦死者が出ました。

それにも拘わらず差別が止まなかったのは、おらが村の島国根性で、日本人の国際性の欠如でしょう。
そのDNAを引きずっている今日、不用意に外国人の参政権賛成や移民者社会の奨励を論じている一部の
人々の不勉強さを憂います。

韓国では儒教の精神(中国では既に失われていますが)が生きています。
年長者に対する礼は重要な日常生活のたしなみです。
そのような国民に、礼を失する態度で臨むことは大きなマイナス効果を呼ぶことは明かです。

韓国の反日感情の一因は、実はこの事に起因していたのでは無いでしょうか。

江戸の仇は長崎で。表面的に韓国人の反発を見ているだけではその真因は判らず、平行線が続くでしょう。

日本の若者(もしかしたら大人も?)は、韓国と比して遙かに不勉強で自分本意のノー天気。
「惻隠」という言葉を知りません。行く先に濃い霧が立ちこめているようですが・・・・・。

                                                             

                                     伊藤

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歴史探訪

              台湾と韓国          

台湾はユネスコにまだ未加盟なので世界遺産に登録の実績はないが、日本統治下の台湾の南部に建設された
遺産・「烏山頭ダム」と用水路「嘉南大州」(しゅうの正字は土扁に川)を世界遺産にしようという現地の
熱心な署名が約9万名近くに達したと報道されている。

1930年完成、貯水量約1億5千万トンで当時アジアで最大級。不毛の地であっ嘉南平野を台湾最大の
穀倉地帯に変えた。
今なお日台の農業技術が世界に貢献する象徴として評価されている。

この建設をした旧台湾総督府の技官・八田興一氏は、台湾農業の恩人として中学の教科書に載り、
本年5月記念公園が完成。

その他日本統治下における教育制度の導入を始めとする台湾近代化の施策を懐かしむ親日家が多い。

これに対して韓国は、史実の見方や解釈で台湾とは多少の温度差がある。

先ず、日本統治下で「不平等条約」に苦しめられたとの根強い説がある。そこで、歴史を正確にたどると、
それとは異なる史実が浮かび上がってくる。

1878年(明治9)締結した日朝修好条約(江華島条約)に遡って見ても、日本は朝鮮を独立国(第1条)と
明確に認識し、治外法権(第10条)と関税自主権を認めた「平等条約」であった。

しかし、当時の清国の認識は、朝鮮半島に纏わる日清戦争の対日宣戦布告文に見る通り、

「朝鮮は大清国の「藩属」であること200年」とあり、朝鮮をあくまで册封国にすぎないという伝統的な
位置づけでしかなかった。

日清戦争で日本の勝利の結果、1895年(明治28)日本と清国と間で締結した「下関条約」にて、
「清国は、朝鮮国の完全無欠なる独立自主の国であること、並びに、清国に対する貢献典礼等は将来ともに
全くこれを廃す」
と清国もこれを認め、朝鮮半島に初めて独立国・大韓帝国が誕生した。

史実が語る「光復」は、正確には宗主国からの長年の呪縛から解き放されたこの時点であると言えよう。
日本がこれを手助けした形となっている。

次ぎに、日露戦争を経て日韓併合にいたる約36年間、日本は朝鮮を「植民地」として搾取してきた、
との説が声高に流布されている。

史実は、我が国は朝鮮に国家予算の実に20%を投下し続け、不平等な身分制度(両班、中人、常人、奴婢)を廃止し、
全土に小学校を建設し国民教育体制を整え、同時にハングルの普及に努力して文盲撲滅に乗りだし、
インフラを整備(ダム、道路、水道、鉄道敷設他)、産業振興により朝鮮の近代化を進めている。

オンドルの使用により、6000年前は全土を覆っていた深い森が荒廃し赤松と禿山と化していた。
そこに植林して今日の緑の森を回復させたのも日本の統治の遺産の一つである。

それらの成果として、1910年(明治43)併合当時の朝鮮人の平均寿命は24歳、人口は980万人で
あったものが、1945年(昭和20)には平均寿命は48歳(日本人と同じ)、人口は2600万人と
大幅に増加している。

以上を総括して、日本が「搾取」に専念していたとの結論を導くにはやや無理があるようである。

大平洋戦争が終結してから20年後の1965年(昭和40)、日韓基本条約を締結。国交正常化に伴い
我が国は韓国内の日本資産1兆円余の請求権を放棄。
(これは現在に換算すると、我が国の国家予算を80兆円として約1.4倍の実に120兆円に当たる)

過日、NHK―TV特集でアジアの留学生による先の大戦に関する討論会があった。

韓国の学生の見解は、
「全ての日本の施策はあくまで日本の支配統治のためだけを目的にしたもので、決して韓国人ためではなかった」
との主張であった。

日帝時代の悪行という教育ですり込まれた単眼思考の結果として、ものごとを是々非々で客観視するゆとりを
失っているようにも読み取れた。

当時の西欧列強が統治した世界中の植民地のどこを見渡しても、(オペラハウスは建てたにせよ)現地のインフラ
整備に日本ほど本格的に注力した事例は他に例を見ない。
長期的に見ればその恩恵を享受するのは現地の人々に他ならない。
それは今日現実に立証されていることなのだが、それを既存の当然のこととして受け止めて気が付いていない国が
あるところに大きな課題が残されているように思われる。この意識の乖離は大きい。

折から日本は韓流ブームである。観光旅行を始めとしてTVでは毎日韓国の秀作やスターに接する幸せを享受している。
文化の交流は政治の軋轢を埋めるのに大いに役立つ。


多くの人々の交流により相互理解が芽生え、解決の光を見いだすことに繋がるからである。

台湾も韓国も日本とは共通の関連を持つ一衣帯水の国である。友好関係を一層深めて、ともに持続的な発展を
するように祈る今日このごろである。

                                       緑陰にて

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ウノ目タカの目

         「じわじわと知らぬ間に」への反響から  

掲題につき、先頃中国の教壇から戻られたA先生からコメントを頂戴しました。
その返礼を添えてご笑覧までに。

[A先生からの来状]

ご無沙汰しています。
相変わらずのご健筆に感銘を受けております。

さる3月から6月末まで、中国・H省・H市のH大学で教壇に立っていました。
現地で見聞したことと玉稿を合わせると、そら恐ろしい気分になります。

中國はものすごい勢いで発展していますが、人々は必ずしも幸福そうには写りません。
学生たちは日本に強いあこがれを持っています。
日本には美しい自然があり、人情があり、

文化があります。夢の国なのです。

いずれ近々にお会いしたおりに詳しくご報告いたします。

                            A

[A先生への出状]

A先生

拝復 早速のお便りを有り難うございます。

H大學のお話しや最新の現地事情を伺うのを楽しみにしております。

私も上海のF大學(ドイツ系。建築ではNo.1の名門)で話をし、その後も何度か中国を視察する
機会がありましたので、現地の事情を多少は理解しています。

中国の厖大な人口をベースとした潜在的なマーケットの大きさ(?)に引かれて、多くの企業が
ムードに乗って進出していますがその先は見えています。
もはや中国の企業ですら人件費の高騰にネオ上げて、すでに他国に脱出しているのが実情です。
地方と都市部の格差は埋めようがなく、職を求めて都市部に流れて来た人々は困窮し、
首都でさえ物乞いを見受けます。
旅行客の治安も悪化して気が許せません。

中国の経済の現状は、基本的には今もって他国からの技術移転による加工・生産がメインで、
その流れはいまだに変わりません。

現在のバブル景気は(貴族)「太子党」と組んだ異常な不動産投機と金融のもたらす結果で、
独自の先端技術開発力は希薄です。
本来ならば、有り余る外貨を先端技術開発にむけるべきでしょうが、党はその見識は皆無です。

利権を巡る汚職・収賄等の蔓延は粛正しても後を絶たず、為政と庶民は完全に遊離して戦前の支那時代に
逆戻りしているかのような錯覚に陥ります。
昔から実利主義の前に孔子が遊説せるも報いられず、その教えは現在も謦咳化しています。

インターネットの普及は如何に規制を強くしても、網の目から他国の情報が漏れ入るのを止めることは
出来ないでしょうから、目覚めた民衆と対峙して、矛盾を抱えた体制の維持はますます難しい
局面を迎えることでしょう。

とは言え中国は偉大な大国です。我が国のマスコミの片寄った報道に踊らされることなく、
刮目して冷静に事実を見る必要があるでしょう。
世界の期待に応えて共に持続的な発展をするように心から祈っています。

5000年の歴史を有する国と人々、そして優れた文化をこよなく畏敬する一人として、
空海が学んだ往時の中国に思いを馳せております。

                           伊藤 拝

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 ウノ目タカの目 

          じわりわりと知らぬ間に

東関東大震災の翌日、千葉入国管理事務所は入りきれない夥しい数の出国者がビルの外まで溢れた。
殆どが中国人であった。

因みに、近県の在住中国人は、千葉県4万5千人、神奈川県5万5千人、埼玉県4万3千人。
(東京都は後述)

東京都の港区、江戸川区、江東区の高層マンション、札幌に近いニセコ別荘地を買い占めている中国の
投機集団。その触手は横須賀基地を見下ろす高台や対馬の自衛隊基地付近にまで及んでいる。

他方で、中国ファンドは技術の蓄積のある日本企業、マスコミの株式、森林資源の民有地を日本企業名義で
買い占めが進展している。

SONY440億円(2010年7月現在、第8位の株主)、オリックス179億円(第6位)、
みずほ317億円(第4位)、帝人39億円(第10位)、三菱IFJ889億円(第8位)、
その他NTTドコモ、の野村證券、武田製薬、日立、関西電力、NTTデータ、等々の大株主となった。

在日外国人総数(2008年現在)は215万3千人(不法滞在を含まず)。
最多数は中国人で60万7千人。
東京都の人口1、300万人(2010年現在)の内、外国人は41万900千人。
中国人が15万9千人で38%の最多を占めている。不法滞在を含めて、ざっと都民の約100人中
1人が中国人、これが5年後には50人に1人となると目されている。

日本国憲法第25条に基づく「生活保護の適用」(1954年厚生省社会局長通知第382号)により、
「残留孤児」を名乗り永住許可証明があれば、就職・住宅の斡旋があり、職が無い場合は生活保護の適用を
受けることが出来る。

大阪市の例では、この申請(2010年6月)をした中国人は48人(来日したばかりで同一住所に居住)。
深慮遠謀で日本のカネを当てにした貧者の日本への輸出と見る厳しい見方もある。

北池袋(北口)にニュー・チャイナタウンが出現。数年を経ずしてニューヨークのそれを凌駕する勢いである。
中国人の日本国籍取得も10年後は100万人を越えるとの予測もある。

外国人の参政権所得を鮮明にして仕訳で名を馳せた某議員は今やヒロインである。

先の参議院選挙で落選した別の元某議員は現職時代にインタービューで、

「日本は西洋料理、中華料理を好むように、海外からの新鮮な文化を取り入れる才能に恵まれている。
現在のペースで更に外国人が増えれば、日本はもっと刺激を受ける。

移民社会を建設して外国人の差別を無くし、開かれた社会とするために外国人の永住者に地方参政権
与えるべきである」と主張している。

移民社会が抱える数々の弊害や問題点を無視した一眼思考と言えよう。

「Discover Japan」・外人観光客の誘致は国是である。
2010年の外人旅行者の日本国内支出額の総額は約1兆1千5百億円。
内、中国人は約2千500億円でトップである。

中国人観光誘致措置の緩和の経緯を見ると、

2009年7月 富裕層限定に個人旅行が可能になった。

2010年7月 中間所得層(年収6万元[約75万円]でゴールド・カード所有者)に拡大。
        一回の滞在期間を15日から90日に大幅延長。

        団体旅行ビザ解禁。

2011年7月 数次(3年間)査証発給(初回は沖縄に最低1泊が条件)。

中国の日本国債保有高は、2005年現在2千500億円であったが、2010年1〜7月累計では
1兆7千億円と大幅に増加したが、我が国の累積赤字800兆円の0.02%に満たない。

国際化は深く静かに浸透してくる。国益を守りながらグローバル化を進めるには長期的なビジョンに
基づいたぶれない強かな政策が不可欠であろう。