横八会員投稿 No.457

投稿:伊藤 博(7組)
題名:その1.歴史探訪、朝の茶事から
掲載:2010.09.24


歴史探訪

              朝の茶事から

本年は暦の上では秋に入ったというのに、いつまでも猛暑が去らなかった。
今朝はようやく多少秋らしい風が立ち始めたので、茶事も夏の平茶碗から「織部」に変えて季節の一碗を喫した。

古田織部といえば千利休の後継者に擬されたほどの茶人として高名で、二代将軍秀忠の茶の湯指南でもあった。
大阪夏の陣の慶長20年(1915)4月、徳川家康への襲撃計画が発覚。首謀者は織部の家臣で大阪籠城中の
織部の子と通じたとされ、織部は連座して6月11日に切腹した。

秀吉の茶頭・千利休も太閤の逆鱗に触れて切腹したことを考え合わせると、茶道と治世に纏わる深淵さを覗く思いがする。

家康の謀臣・本田正信も、二代将軍秀忠の求めに応じて上申した仁政の要諦で、将軍を茶席の亭主に例えて、
「万人を客と請じ、その人の心に応じ申すように亭主ぶりをいたしたらば、天下第一の数寄物(風流人)たるべし」
と諭している。

戦国武将には茶の湯を愛する教養人が多かった。
織田信長の垂涎の的は、猛将・松永久秀の愛蔵する「平蜘蛛の茶釜」。
天正5年(1577)8月、久秀が信貴山にて信長に反旗を翻したので、織田信忠の率いる2万の大軍に囲まれて猛攻を受けた。
落城を目前にした久秀はこの名物茶釜を微塵に叩き毀し、頸に爆薬を仕掛けて火炎に飛び込み壮絶に爆死した。

最期の言葉は、
「平蜘蛛の釜と我が首の二つは、いかで信長に見せるものかわ」
茶道具によせる執着のかくも凄まじい一例である。

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