横八会員投稿 No.454

投稿:伊藤 博 (6組)

その1.
題名:ウの目タカの目:墜ちた偶像
掲載:2010.08.16

ウノ目タカノ目

              墜ちた偶像

古い合唱仲間の一人の話である。

彼の小学校は、地方にしては珍しく音楽室にグランドピアノがあった。
下校時にその横を通る度に聞こえてくるのは、多分女生徒が習っているであろう(バイエルの)妙なる調べで、
知らぬ間にメロディーを覚えてしまうくらいの生来の音楽好きであった。

ある時、誰もいない音楽室に始めて立ち入る機会があった。恐る恐るピアノの蓋を開けて、生まれて初めて
押したキーのたった「一音の感動」を生涯忘れないと述懐している。


中学にはアップライトがある教室があった。
昔耳で聞き覚えたバイエルの2、3曲を我流で弾き、至福の一時を過ごした放課後であった。

高校に入ると1年の時から迷わず選択課目で「音楽」を取った。芸大出の優秀な女性のA先生はフルートを良くし、
コーリューブンゲンというものを始めて習った。

2年になり、引き続き音楽を希望したが、A先生曰く、希望者が少なく残念ながら講座が成り立たないという。
進学校でもありむべなるかなと、心ならずも断念した無念さを数十年を経た今以て忘れていない。

大学時代は音楽以外のクラブ活動に専念したが、学外で宗教音楽の研鑽を続けて、ある時は学内で「ハレルヤコーラス」
の指揮をしたこともあった。

社会人となるや企業戦士として多忙を極め、聴く以外は長らく音楽とは無縁の空白の時を過ごさざるを得なかったが、
幸いに時間がとれる身分になるにつれて、放送合唱団等で唱い、後に大学に招聘されるや、幾つかの合唱団で
積年の趣味を開花させて今日に至っている
ところがである、実に約半世紀ぶりに、優秀なでプロの声楽家となった
彼の高校同期生から思いもかけない話を聴いて思わず耳を疑った。

高校2年生の時、希望者が少なくて成り立たずとA先生から聴いて諦めた「音楽講座」が、実は何と!7〜8名の
少数ながら開講されていて、その同期生は受講していたというのである。

青春期に良き師に巡りあうことは生涯の幸いである。

然るに、半世紀に亘り信頼し尊敬してきた師の言動に、些かの疑念や不信が生じれば、師の偶像は地に落ちる。

もし、これが残念ながら真実ならば、A先生も人間、その誤りを許し、祈るほかはないと、その友人は静かに語っている。

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その2

題名:ウノ目タカの目、平和ぼけ
掲載:2010.08.22

                            平和ぼけ

敬愛するY先生(元内閣府副大臣、防衛副大臣)が、安部元首相と一緒にTVに出演されて、国防の実情を話された内容に関する拙い弊コメントをご笑覧までに。

              **************

 本日(16日)9:00PM・10チャンネルTVを拝見しました。国民が知らない数々の適切なY先生のご指摘は、国防の問題点を浮き彫りして、
信じ難い程のその限界が多くの視聴者に伝わったことと思います。

近隣の諸国の動向が不透明で領海の波高き昨今、平和ぼけの国民が真に覚醒する前に、何かのきっかけで万一の有事が起こらないことを祈るばかりです。

 それにしても、番組の中で紹介された過日発生した自衛艦への中国軍ヘリコプターの異常接近(挑発行動?)への対応の事例を観ても、
政府の首脳に情報が伝わるまでの時間の天文学的な遅延の実態は、今日の通信技術の発達した時代に呆れるばかりの実情です。

土日、休日が入れば、その間は緊急事態の伝達も平気で全てストップすることに何ら異常を感じない官僚機構に致命的な無責任さを痛感します。
見方によっては官僚の国防義務の放棄であり、直ちに一連の関係者が更迭される程の重大事と見なす事態かもしれません。

 マスコミもこの問題点を正しく報道していないのは、自らの取材と報道の自由を放棄して、官のプレスレリースのみに過度に依存している安易なメディアと
官の癒着を顕著に示すものという誹りを免れないところでしょう。

官僚のプレス操作により、国民にはことの正否を判断する正確な情報も提供されず、いつ、何時じわじわと侵食の津波や濁流が押し寄せる可能性の
高まりに気が付かずに太平を謳歌しています。

 我が国の自衛隊の世界に誇る最新鋭の装備も、法律・諸規定により緊急時に適切な使用が出来ないので抑止力には成り得ず、張り子の虎に
過ぎないことを見透かされているのも否定できない事実かもしれません。

 平和と領海の諸島を含む国土保全を維持するために、これを如何に速やかに是正するかに我が国の命運がかかっているという世論は、
何時なったら高まるのでしょうか。

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その3.歴史探訪
掲載.2010.08.25


               歴史探訪
                 
    消えゆく文化遺産

大平洋戦争の敗戦直後の都心は一面の焼け野が原。日比谷公園が眼前に広がる外堀通りに面する残った
建物は極めて少なかった。

目に付くのは、旧大和生命(旧鹿鳴館跡)、旧帝国ホテル、「三信ビル」、それに第一生命ビル(接収されてGHQ)
くらいのものであった。

その中でも「三信ビル」(地下2階、地上8階)は、1929年(昭和4年)建設の鉄骨鉄筋コンクリート・「スパニッシュ風
のアールデコ様式」。
大型磨き板ガラス、化粧石材等々の主要な建材は米国他からの輸入品で、数々の特徴を有する建築史上特筆
すべき貴重なビルであった。

施主は三井信託、設計・松井貫太郎、建設・大林組、管理運営は三井不動産。地下1階〜地上1階は商店街。
2
階から8階はオフィス。
特筆すべきは、1階〜2階が吹き抜けで、そのアーチの天井には元は黄道十二宮の星座が描かれていた。

関東大震災の教訓を踏まえた耐震建築。30度傾いても倒壊しない構造で基礎も強固。各階にある金庫室は大銀行の
それに劣らない重厚な厚い扉でガードされていた。

後年、ビル周辺の地盤沈下にも耐えて、「三信ビル」のみは相対的にビルが浮き上がったので、道路からは階段を
数段上ってビルに出入するようになっていた。

戦後1945年9月からGHQ米軍に接収、1950年6月解除となり、その後は元のテナントを中心に新たな会社も入り、
爾来長年に亘り建設当時のままの姿で残る数少ない威厳あるオフィスビルとして親しまれてきた。

しかし、残念ながら老朽化には勝てない。2005年1月、テナント及び一般利用者の安全確保を理由に、所有社の
三井不動産はビル解体を発表。
これに反対する日本建築家協会をはじめ日本建築学会や市民による保存プロジェクトの保存運動が展開された。

建物自体の歴史的価値に加えて、日比谷・有楽町地域の景観上の意義も含めて強く訴えたのも空しく、
ついに20075月、本格的な躯体の解体工事が始まり、跡形もなく解体・撤去されて、現在は空地となって往時を偲ぶ縁
は全くない。

同じものは二度と建たない昭和初期の粋を尽くした名建築の消滅は、文化遺産の喪失でもあり誠に慚愧に堪えなかった。

その往時のビルの勇姿を、残された添付の写真で観ることが出来る。

全国各地で、多くの歴史的な建造物が主として経済性との比較で、知らぬ間に消滅しつつある現況を、
これ以上放置しておくのはいかがなものであろうか。

余談ながら、本社のあった「三信ビル」の写真を見るたびに、企業戦士としてこのビルで、30有余年間(多少の出入りは
あったが)を過ごした数々の思い出が甦ってくる。

昭和は遠くなりつつあるが、今日も変わらないのは、日比谷公園と皇居の緑、満々と水をたたえた壕のみである。

       

        

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