横八会員投稿 No.443

題名:鷹取山から神武寺へ
投稿:近藤礼三 (6組)
掲載:2010.06.03


京急の各駅の窓口に「観光ボランテイアが足で調べたきままに散歩・マップ付」という小冊の各駅周辺の
散歩案内が置いてあります。
前回は浦賀駅周辺を利用、なかなか面白かったので次はどの駅にしようかな、と狙っていました。

5月27日の丑寅エイトの帰りに中央駅で2,3駅周辺の散歩案内を持ち帰り、その中の追浜駅を広げると、
懐かしの鷹取山ー神武寺のコースが載っています。
しかも、追浜駅から鷹取山までは田浦側の踏切を渡る裏街道。
そこで晴天の6月2日(水)の午後、バイクで家を後にし井土ヶ谷駅前の駐輪場にバイクを預け、
京急追浜駅到着は14時45分。

さあ、久々に鷹取山へ行くぞ!
私は横高1,2年は三浦利彦、鈴木広義、佐藤幹夫、高田一郎、故福島靖之輔、故柳下昌弘君等と共に
山岳部に在籍、鷹取山が部活のホームグランドで土曜の放課後は、今の鷹取山公園辺りにテントを張り
キャンプ、(当然ウイスキーなど持参したようです)、翌日は岩場でロック・クライミングの練習を行った
半世紀前の懐かしい記憶が残る場所でもあります。

昭和30年代中頃から鷹取山周辺は宅地化が進みすっかり変わったようですが、とにかく当時の思い出を
辿りたくなりました。

我々の時代は、追浜駅から山頂へ向かうルートは、田浦側の踏切を渡り山頂へ向かうのが一般的
かつ最短ルートで、追浜駅下車後、山頂まで何分で行くか競ったものでした。

京急のマップもこのルートになっており、追浜駅を下車し田浦側の踏切を渡り当時の記憶を辿り出発進行。
案内には踏切を渡った直後に「首斬観音」の文字、初耳だし、見つからないので先へ進みます。
そして山頂方向らしき狭い小道を登ったところが、程なく人家で行き止まり。
引き返して道端で出会った若い学生に聞くと、こちらから鷹取山へ行くのは判り難いので八景側の踏切
を渡り行けば簡単ですとの答。
昔は踏切を渡った直後の小道の急坂を登り後は畑を抜け山頂までは一本道で行けたのに、宅地化で
このルートは消えてしまったようです。
そのあと、我々と同年輩の方に鷹取山への道を聞くと、川沿い行けるよ、との返事で気軽な独り歩き、
先へと進みました。

小公園の脇を通り坂を登るとそこは住宅街、そして道路脇に貯水池と磨崖仏への標識に石段あり。
とにかく行こうと高低差約30mの石段を登り、貯水池の脇を抜けると、やっと岩場の一つに到着、
そのあと磨崖仏という石切り場に刻まれた大きな仏像のところに来ました。
我が時代、こんなのは無かったぞ、なるほど表示板を見ると昭和40年頃の作と書かれています。
でも位置関係がどうもピンと来ません。

 

あとは鷹取山への標識に従い先へ進むと直ぐに岩場の一つに出会いました。
そこでは初老のグループがロッククライミングの練習中。
難関のオーバーハングに挑んでいますが、高齢のため握力が足りずに何度もやり直し。
我が時代と違うのは、用具の差、それに補助ロープで安全にキープされているので、一歩間違えれば転落や死の恐怖とは
程遠いレクレーションの感じで、時代の差を感じました。

 

 

そのあと、鷹取山公園に出ると、我らの縄張りだった懐かしの大岩壁(名前は忘れました)に出ましたが、
現在はロッククライミングは写真の看板が立っており、往年のハーケンの痕跡ばかりが目立ちます。

岩場を後に神武寺へのコースを進みますが、昔は走ったのに今は途中の鎖に頼りマイペースでのんびりと。
やがて神武寺に着きました。

神武寺は昔ながらで変わらず。
神武寺を後にし、神武寺駅方面に下る池子参道と言われる道程は、近郊にまだこんな一角が残っていたとは、
信じられないような静寂な谷間の趣がありました。


 

        

京急神武寺駅から帰路へ。
気になったのは、車内で隣に座っている20代後半の男女の会話、二人とも社内教育の帰りか、デジカメ
画面を見せあいながらの会話です。
女性の容姿はレベルA、しかし幻滅なのは「とか言葉」が混じる幼稚な言葉使い、またそれに迎合する男性は
おべんちゃらの連発、聞いていて歯がゆい程でした。

そして金沢八景駅から乗った10代の女性の二人連れ。
化粧、服装とも、我らの時代なら場末のストリップ小屋の裏手から出てきたストリップ嬢を連想させました。

今朝の鳩山首相の辞任、帰路の車中の風景、これから日本はどうなるのかな、と感じた次第です。

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