2. これまでの記録と以降の計画  

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回数 講師
何人目
何回目
担当講師 卒業組 演題 内容
レポート
108 2010 6月 24日 4回目 今成伸二 8組 お江と閨閥

5月 15日 丑寅、レクの会共催見学会 能見台:野口英世記念館、
野島公園:伊藤博文公別邸
107 27日 3回目
吉沢達郎 8組 映画の話、その3
106 4月 22日 49 大塚勘治 7組 ペンネーム仁賀克雄、
海外ミステリ小説の翻訳の第一人者
「海外ミステリ小説の歴史」と題し話してくれました。

105 3月 25日 48 大川宗男 4組 シューベルトの生涯を辿るウイーンの旅*
104 2月 25日 3回目 梅澤加枝 1組 この頃思うこと
103 1月 28日 3回目 山口明雄 7組 なぜ「日本とユダヤが同祖」と
問われるのか?

102 2009 12月 24日 7回目 安藤 浩 6組 漢詩・心の叫び
101 11月 26日 3回目 倉田建司 7組 箱根・足柄の古道
100 10月 22日 2回目 八田羽栄一 7組 野外研修
城ケ島の植物観察
99 9月 24日 47 千葉恭義 6組 証券界は本当に進化したのか
98 8月 27日 2回目 吉沢達郎 8組 映画の話 Part-2
97 7月 23日 4回目 今成伸二 8組 千姫とその養女
96 6月 25日 4回目 赤池達也 4組 大恐慌(1929年)の再来はあるか?

6月 10日   野外丑寅   あさりほり、金沢八景駅9:30集合
95 5月 28日 46 吉本敏克 3組 題は「劣等生の河原乞食物語」と
見事な寸劇が披露されました。
94 4月 23日 3回目 三野勝義 6組 フランス近代詩を歌で聴く
93 3月 26日 3回目 伊藤義郎 8組 泣き笑い、海外駐在員
92 2月 26日 45 互井 稔 8組 東海道・自転車の旅
91 1月 22日 2回目 原田雄二 7組 英国古城カタコト英語一人旅

90 2008 12月 25日 44 小川泰弘 7組 我が拙劣なる4つの趣味・特技
89 11月 27日 2回目
梶川 諭
伊藤 博
1組
7組
三浦一族
@三浦一族の日本史の中での役割
A全国の三浦さんを訪ねて 
88 10月 23日 6回目 安藤浩 6組 第86回、「ヨーロッパの旅」の続編
87 9月 25日 43 小松秀洋 4組 証券関係について
86 8月 28日 5回目 安藤浩 6組
ヨーロッパ 鉄道の旅 1500km」
ー 母なるドナウ、父なるラインを下るー
  ウイーンからコブレンツ迄
85 7月 24日 3回目 飯田恵一郎 8組 旗琉(キリュウ)信号と海運よもやま話
84 6月 26日 2回目 山口明雄 7組 素人のオペラ観賞 Part 2
オペラ創世記から現代のミュージカルに
続く流れ。
83 5月 22日 3回目 今成伸二 8組 Woman Power 篤姫
82 4月 24日 5回目 寺西順一郎 8組 認知症はなぜ見過ごされるのか、
ー医療体制を問うー
81 3月 27日 42 保坂虎重 1組 牛のお灸、人間のお灸
80 2月 28日 3回目 赤池達也 4組 サブプライムの話、他
79 1月 24日 3回目 金塚彰夫 3組
ベース歴史ツアーのボランティアガイドで
参加して

78 2007 12月 27日 4回目 安藤浩 6組 唐の都 長安
77 11月 22日 3回目 村田弘顕 8組 ホームシテー・ピアレントとして過去23年間、
留学生の世話をしての体験から
76 10月 25日 41 太田博隆 6組 「趣味が本屋で、仕事も本屋。出版流通の出入口」
              =低空飛行の迷経営=

75 9月 27日 2回目 吉田隆司 8組 老人性白内障について
74 8月 23日 40 本間慎司氏 招聘
講師
我々の在学中、体操の本間さんとして記憶に残る
本間先生に登場をお願いし、現在のライフワーク「気功」
について話して頂きました。
73 7月 26日 39 下里一也 7組 指揮官
72 6月 27日 38 山口明雄 7組 素人のオペラ観賞
71 5月 24日 37 永橋為成 6組 我が師、「建築家・吉村順三の世界」
70 4月 26日 2回目 梅澤加枝 1組 生花について
前半は生花に関する諸々の知識、そして
後半は家元制度、免状、収入などの生臭い
話題も加わり大いに盛り上がりました。
69 3月 22日 36 堤箸 滋 7組 トン・ツーよもやま話
彼の船舶無線士としての経験や
様々な体験を話して呉れました。
68 2月 22日 3回目 大室隆生 7組 韓国情報 Part3 
今回の料理の話を含め多分野に亘る
生の韓国情報は、隣国を知る上にも
大変参考になりました。
67 1月 25日 2回目 大室隆生 7組 韓国情報 Part 2
生きた情報に教室はエキサイトし途中で
時間切れ。続きは次回へと持越しです。

66 2006 12月 28日 4回目 寺西順一郎 8組 医療制度改革の概要と病院患者の
対応方法について
65 11月 23日 2回目 八木長忠 8組 第27回「人間のルーツの考察」続編 
64 10月 26日 4回目 安藤浩 6組 ニュールンベルグ裁判
63 9月 28日 4回目 河崎清二 2組 東京裁判
62 8月 24日 3回目 安藤浩 6組 「漢詩の話」(詩人の魂 その時代と背景)
61 7月 27日 2回目 飯田恵一郎 8組 英米文学雑感
60 6月 22日 2回目 倉田建司 7組 丹沢の山々、その特異な山塊
59 5月 25日 2回目 赤池達也 4組 金融の大変革期を迎えて、
年金生活者の賢い貯蓄は
58 4月 27日 35 梅澤加枝 1組 歌舞伎について、雑談いろいろ
57 3月 23日 2回目 近藤礼三 6組 橋とセメント、コンクリートの知識
56 2月 23日 34 大室隆生 7組 韓国情報
55 1月 26日 33 吉沢達郎 8組 映画の話

54 2005 12月 22日 3回目 寺西順一郎 8組 倒産、汚職事件、調停
(自らの体験をお話します)
53 11月 24日 2回目 金塚彰夫 3組 Assasin(暗殺)とHashish(麻薬)
52 10月 28日 2回目 今成伸二 8組 JR時刻表駅名の旅
51 9月 22日 2回目 八代 紳 8組 日本酒の話
50 8月 25日 32 梶川 諭 1組 和菓子の話
49 7月 28日 4回目 河崎清二 2組 終戦60年、8月15日前後の微かな記憶
48 6月 23日 2回目 原 慶治 1組 口腔医療について
47 5月 26日
特別見学会
記念艦「三笠」見学会
46 4月 28日 31 伊藤義郎 8組 私の中国 Part-2
45 3月 24日 30 渋谷 伸 3組 酒を飲ませた奴が悪い。
交通事故の相談ノートから。
44 2月 24日 29 岩下 聆 8組 スポーツを楽しんでP・P・K、”スポーツとは
なんだ”
43 1月 27日 28 伊藤義郎 8組 私の中国 Part-1

42 2004 12月 23日 3回目 河崎清二 2組 プロ野球放談
41 11月 25日 27 梅田英子氏 招聘講師 ともに生きよう 男女共同参画社会
40 10月 28日 2回目 寺西順一郎 8組 脳卒中からの復帰
39 9月 30日 26 原 慶治 1組 歯と健康
38 8月 26日 2回目 安藤浩 6組 漢詩の話
37 7月 22日 25 小池俊雄 8組 競輪
36 6月 24日 24 小笠原
長武氏
招聘講師 学習院こぼれ話
35 5月 27日 23 足立政隆 4組 ヨットに関する話
講習会 5月 18日
山本智彦
゚ソコン講座第4回:デジカメソフト、
Photoshop Elements その2

講習会 4月 23日
山本智彦 8組 ゚ソコン講座第3回:デジカメソフト、
Photoshop Elements その1

34 4月 22日 22 原田雄二 7組 年金の話
「60歳、65歳を迎える奥様の年金受給、
これだけ知っていると、奥様に大きな顔が出来る。」
講習会 3月 25日
山本智彦 8組 パソコン講座第2回:デジカメ入門
33 3月 11日 21 下里力也 8組 「まぐろの話」あれこれ
講習会 2月 16日 20 山本智彦 8組 パソコン講座第1回:パソコン入門その1
32 2月 26日 2回目 村田弘顕 8組 第30回「日常良く見る整形
外科の疾患」が好評により
その続編。
31 1月 29日 19 松尾裕夫氏
26期
昭和初期の横須賀の状況
横須賀中学校
陸軍士官学校の思い出

30 2003 12月 25日 18 村田弘顕 8組 日常良く見る整形外科の疾患
29 11月 27日
須田宏
同  Part-2
28 10月 23日 17 須田宏 3組 Fuzzyの話 Part−1
27 9月 25日 16 八木長忠 8組 人間のルーツの考察
26 8月
15 鮎川幸司 3組 暗号システムとデジタル署名について
25 7月
14 八田羽栄一 7組 花のことあれこれ
24 6月

寺西順一郎
その2
23 5月
13 寺西順一郎 8組 水と暮らし、その1
22 4月
12 吉田隆司 8組 私立校の学校経理
21 3月
2回目 河崎清二
銀行不良債権に関する知識
20 2月
11 河崎清二 2組 私の思い出、神奈川新聞への投稿
19 1月

金塚彰夫
その2

18 2002 12月
10 金塚彰夫 3組 グライダーの知識、その1
17 11月
2回目 三野勝義
その2
16 10月
三野勝義 6組 宗教諸々の話、その1
15 9月

八代紳
その2
14 8月
八代紳 8組 遠野物語を尋ねて、その1
13 7月

今成伸二
その2
12 6月
今成伸二 8組 スリランカ・会津、その1
11 5月

岩崎孝
その2
10 4月
岩崎孝 6組 鉄道信号の知識、その1
3月

飯田恵一郎
その2
2月
飯田恵一郎 8組 海上輸送、その1
1月

近藤礼三
その2

2001 12月
近藤礼三 6組 私が仕事をした国、その状況と印象、その1
11月
赤池達也 4組 証券市場の機能と役割、資産運用、etc.
10月
倉田建司 7組 公務から解放されて、不良債権の知識
9月

安藤浩
その3
8月

安藤浩
その2
7月
安藤浩 6組 中国の知識とよもやま話、その1
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第88回  2008.10.23  
  (今回、近藤は欠席のため当日のレジメのみを以下に掲載します。)
講師  安藤 浩
題名  欧州鉄道の旅 1500Km  その2


1) 旅行先各地の写真
(2) オーストリアについて
    1. 面積 8万3858Km2  人口 約770万人
    2. 国名の由来、国旗の由来
    3. ホーフブルグ(王宮)、ザンクト・ステフアン(教会)の建てられた時期は
    4. ペストについて
    5. ウイーン攻防
(3) ドイツについて
    1. 面積 35万7042Km2  人口 約7,800万人
    2. 木組みの家
    3. ミュンヘン市の紋章と旗
    4. 塩の町 ハル
    5. フランクフルトについて
       5.1 欧州金融の中心地とロスチャイルド
       5.2 金印勅書と7選帝侯
       5.3 ライン河についてーーーリーメンス、ローレライ
    6. ドイツの学区制と徴兵制度
(4) 旅の所感 

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27回の報告  9月25日(木)  午後2時〜4時    総員20名
      今回、我々の大先輩の下記の方が参加され、冒頭の約20分間と限られましたが
      先輩の得がたい話をして頂きました。
      氏名  松尾 裕夫氏  横中26期  現在82歳
      先輩は朋友会誌(平成15年9月1日 第59号)の5頁、「中学26期生文集発行」の
      記事の投稿者であります。先輩は横中から陸士へと進まれ太平洋戦争、そして
      戦後の日本を身をもって体験されました。
      そして何よりもご年齢には全く見えない、我々と同期と申しも過言ではないほど、
      心身共にかくしゃくとしておられ、我々が見習わなければならない方であります。
      1月例会には講師としてお招きし、その貴重な体験をじっくりとお聞きしたいと
      思います。  
     
  講師 八木 長忠 (8組) 題名「人間のルーツの考察」
      「全世界の人々」に「共通の祖先」が存在したであろうということは、学会でも
      認められ、考古人類学上、発掘された「石器と骨」から推定約100万年前とされ、
      その後「ジャワ原人」、「北京原人」、「ネアンデル タール人」等を経て現代人に進化したと
      いうのが最有力説であり我々の常識でもありました。
      ところが1887年1月、アメリカ、カリフルニア大学のバークレイ校のウイルソン研究所の
      遺伝子学者グループによりこの定説を覆す研究結果が発表されました。
    「要約」
       世界各地の人の「ミトコンドリア」の遺伝子を調べた結果、「全世界の人々」共通の
       「母方の祖先」である 「イヴ」と仮称する一人の女性が存在していたのは、わずか
       「約20万年前」のことでありました。
       そしてこの中の一集団に属していた「イヴ」は黒い髪、黒い肌、筋肉質で逞しく、
       そして子供の世話をしながら食べ物を探し「アフリカのサバンナ」を歩き回る多産で
       遺伝子の活力十分な女性であり多くの子を残しました。
       そしてその子孫が後世に増加し、9万年前から18万年前の間にその子孫の一部
       はアフリカを出て、各地の先住民族と入れ替わりながら全世界に広がった、
       と言う説です。
       そして現在の「全世界の人々」とは彼女の子孫であり、「イヴ」は約10,000代前の
       「母方の祖先」であり、これまでの常識とされていた「ジャワ原人」、「北京原人」、
       「ネアンデルタール人」等は我々人類の直接の先祖でない、という言わば人類学の
       「地動説」とも称される画期的な研究結果です。

       今回は八木君がナイジェリアに滞在中、車の渋滞中窓拭きのボーイから偶然
       に買った1988年1月11日付けのNewsweekの記事「The Search for Adam & Eve」
       をテキストに、「現代人のルーツ」を追うロマンの話でありました

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28回  10月23日  講師:須田 宏 (3組)   題名:Fuzzyのはなし その1
     講師は「フアジイ数学入門・ソフトサイエンスの基礎と応用」の著者である慶応大学教授。 
     「「皆さんは10数年前、家庭電化製品のキャッチフレーズとして、「フアジイ」という言葉が
     使われたのをご記憶でしょうか。」」という出だしから始まり、日頃大学生や専門
     技術者を相手とするフアジイ理論の考え方を、我々が怖気つかないように大変判り
     易く説明してくれました。
     内容:フアジイ理論の歴史、あいまいさ、フアジイ集合とメンバーシップ関数、フアジイ゙関係
     次回は後半に入ります

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第29回 11月27日 講師:須田 宏 (3組)  題名:Fuzzyのはなし その2
    今日はFuzzyの基本的な要素の話です。
    私も帰宅後復習のためテキストをめくり以下を書きました。
    Huzzyの命題とは
      数学では「XはPである。観客は1,234人である。」等、定量的にピタリと
      主語、述語でYes,Noが明確に定まる単細胞的論理。これを2値論理に
      おける命題という。
      一方、「観客は多い」、「体温は多少高い」等、抽象的な語句で修飾し
      ピタリと決め難い表現、これぞHuzzy命題という。
      後者のあいまいさを論理的、学問的に体系付け、分類、応用していく
      理論だ、と、私は単純に自己解釈した。
       (もっともっと奥が深いのですが、この程度が私の限界で須田君には
        申し訳ありません。)
     今回はさらに「Huzzy理論」「一般のHuzzy推論」「Fuzzy制御」と話を進め、
     最後に電気炊飯器、エアコン等が我々の周辺にHuzzy理論がどのように
     応用されているのかを話してくれました。
     本日須田君は病院から会場に到着、講義が終わり再び病院へ戻りました。
     彼の一日も早い回復を我々は待ってます。 
       
     追記:我らの仲間、須田宏君は4月26日、遂に帰らずの人となりました。
        八期会一同、彼のご冥福を心からお祈り申上げます。(合掌)

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第30回  12月25日  講師:村田弘顕君 (8組) 
        題名:日常よく見る整形外科の疾患(腰痛、間接痛等)について
     我々が年齢的に是非聴きたい議題でもあり、今回は男性約20名、そして
     女性側約10名の合計約30名というこれまでの最大の生徒数。
     朋友会からも事務局の里見さんがお見えになりました。
     今回の講師は整形外科病院を営む現役パリパリの病院長。
     講義は整形外科とは、という話からスタートし腰痛、関節痛、骨そしょう症、
     間接リウマチ、五十肩等の症状を、自分で撮影した貴重なレントゲン写真のスライド
     を写しながら資料を加え、そしてユーモアを交え大変判り易く説明してくれました。
     生徒全員は大満足、急遽2月の例会に今回の続編を行うことが決まりました。                    

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第31回  平成16年1月29日 講師:松尾裕夫氏 (横中26期卒)
        題名:昭和初期の横須賀の状況、横須賀中学校、陸軍士官学校の思い出
                          聴講者 約20名
     松尾氏は大正9年(1920年)に誕生され現在83歳、横中26期の御卒業です。
     先ず驚くのは我々の同世代と見間違うほどに若々しく心身共にご健康であること
     でした。
     氏は長崎県下波見村(現在のハウステンポスの近傍)のご出身、父の職業の関係で韓国の
     南端、釜山に隣接する軍港鎮海を経て1926年横須賀に移住し、昭和8年(1933年)
     諏訪小学校から横中に入学されました。
     そして幼少の郷里や鎮海、大正から昭和へ移る横須賀の街並みや当時の帝国海軍
     横須賀基地内の状況、軍事色が次第に濃厚になり生々しさを増す政局、国民に
     隠されたノモンハン事件の惨敗、3,15から2,26事件へと移行する時代の流れ。
     この時代の横高の前身、横中の当時の学生や市中の生活、陸軍士官学校においても
     身近に感じる第二次世界大戦の敗色、悲惨な戦況は国民にベールで隠す世相などを
     2時間にわたり話して頂きました。
     陸士卆のご年配というと我々はあるイメージが浮びますが、全く正反対で非常に
     リベラルな考え方をされているのに感銘を受けました。

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第32回 2月26日 講師 村田弘顕君 (8組)
     題名:日常良く見る整形外科医としての疾患、その2
     昨年12月例会が好評につき、その続編です。  出席  23名
     
     本日の話してくれた病名は次の通りです。
     ねちがえ、こむらがえり、腱鞘炎、かん入爪(カンニュウソウ)、鶏眼(ウオノメ)、
     骨棘(コツキョク)、ガングリオン、テニス肘、外反拇指、ギックリ腰、挫創、肩こり、熱傷、異物。
     以上のように我々が身近に聞く病名、罹った病名、あるいは始めて聞いた病名
     などこれぞ勉強会の賜物です。
     私のメモと記憶から拾い出します。
     1.ねちがえ、こむらがえり
       治療:暖める、マッサージが効果がある。
          マッサージには俗に警察法(ケイサツホウ)といって覚える<さすり><しあつ>
          など6種類がある。
     2.かん入爪(カンニュウソウ):爪の左右の角端が伸びる病気。 
       注意:やたらに角端を切らない。綿を詰めると効果がある。
     3.骨棘(コツキョク):踵骨に棘様の骨が出来る病気で痛みで歩行に支障。
     4.カングリオン:手首に出来る。中に水が溜まる。むやみに皮を破り水を出さないこと。
     5.テニス肘:家事の多い女性が罹り肘の外側に出来る。シップ、包帯が効果がある。
     6.外反拇指:殆どが女性で原因の大半は靴にある。
     7.ギックリ腰:重いものを持った時、不自然な動作等にて生じ、突然に起きるので魔女の
            一撃とも言われる。
     8.肩こり:なで肩の美人が多いので美人は要注意。
           また肩こりの原因がガンであり手遅れだったことがる。異常な肩こりはバカに
           しないこと。
     9.切断:素人が動脈を圧迫し出血を抑えきることは難しく、断端を清潔な布等で押さ出血を
          少なくし皮膚を出来るだけ残すことが後処理を容易にさせる。
          一方切断された断片は捨て捨てずに直ちに清潔な布等で巻き廻りを冷やすこと。
          水や薬品に漬けたり軟膏を塗ったりキズドライ等を行いうと再接合を不可能にさせてしまう。
    10.座薬:患者には色々な人がいて
          座薬とは座ってつける薬だと思って座ってどうつけるのか尋ねられたり、
          剥いて食べてしまったり、と様々です。
    11.熱傷:熱傷部分が死致に至るのは昔は30%以上、最近では50%以上と言われ稀には
          80%の熱傷で助かった例もある。
          やけどをした時の処理は
          1.即水で冷やす。15分以上。
          2.洋服を着ている時には、やたらに脱がせず上から水で冷やせ。
          3.水泡を破るな。
            パンテーストッキングを履いた娘さんが出来立てのラーメンを足に落とした。
            直ちに水で冷やせば良いのに、パンテーストッキングを脱いでから冷やした。
            そのためにタイミングの遅れと水泡が破れ、熱傷のダメージを大きくした
            例がある。
    12.異物混入:実に様々な異物がありご注意を。
          身近な例としての要注意は<おしりの針>である。
          座布団に針が残っており、そこにドシンと座ってブスリ。針は奥深く進入し
          深く広範囲の切開が必要であった。
          <呼吸困難>呼吸停止3分で脳に支障を来たす。救急車到着は5分が限度。
          口からの異物の混入にご注意を。
    以上、私の記憶違いで違っておりましたらお許し下さい。  (近藤)

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第33回 年3月11日 講師 :下里力也(8組) 
          議題 :「まぐろの話」あれこれ    出席 24名
   
   下里君は根っからの海好きな男。社会人になりまずはまぐろの調査船の一員としてに乗り
   込んだので最初だそうです。
   当時、南氷洋捕鯨が盛況を呈していましたが、捕鯨から戻った船は次の出番まで約半年は眠って
   おり、これらの端境期の有効活用も調査目的の一つとしで世界の海を隈なくまわり船乗りの醍醐味
   を覚え、27歳の時にまぐろ船の漁労長になったそうです。
   日本人のまぐろに拘る昔の話から、彼が船乗りになってから以降今日に至るまでのまぐろ漁業の
   技術の進展、まぐろに関する社会的環境の諸変遷を話してくれました。
   その主な項目を書いてみます。
    1.昔々、寿司と言えば、上方の押し寿司が幅を利かせていたが、江戸時代の後期に醤油の登場
      と共に、まぐろの刺身を醤油につけてぱっと食べる、というきっかけから日本人とまぐろ
      の相愛が始まったようです。
    2.昭和30年に入り、外貨獲得のためににまぐろを輸出しようという国策から世界的な漁場の開拓、
      それに伴う大型船化、冷凍設備の進歩、保冷温度ー60℃となり鮮度保持の技術的な進歩等で
      まぐろ漁業は飛躍的に躍進した。
    3.昭和50年に入り、世界中の海洋国から日本船の締め出し、200海里の領海主張等で規制が
      強くなり漁獲量の低減から大手水産会社がまぐろ商売からの撤収、代わりに日本の商社は
      韓国、台湾に資本と技術を与えまぐろを捕らせて輸入する流れを通常化するにつれ、日本の
      まぐろ漁業の衰退が顕著になった。
    4.以下私のメモの断片より。
       1.まぐろは100kgぐらいのものが一番うまいと言われる。 
       2.昭和30年頃、近畿大学の先生がまぐろの養殖技術を開発、養殖ものは30kgぐらいで締めて
         出荷する。また最近では市買の大トロの大半は養殖物だと言われている。
       3.延縄(投げ縄との言われる)の長さは130〜150km、作業は時には13時間から15時間の
         連続となる。
       4.まぐろ漁船の大きさは500トン以下に規制されており、現在は499トンの標準船が普通であり
         乗組員は23名程度、積荷の積載量は480トン、船内設備は昔とは雲泥の差で完備されている。
         船の価格は3隻一括注文で10億円程度、実用的な寿命は12〜18年程度のようだ。
    5.今回は最近のまぐろ船の状況、延縄漁場の実際のビデオや延縄に使うロープ、釣り針などの
      実物を持参し、我々に見せてくれました。

    さすがはその道一筋のまぐろ・プロ、持ち時間の2時間はあっと言う間に来てしまい、大変楽しく
    我々同期の二十数名だけで聴くのは勿体無いくらいの授業でした。
    二次会はその感激を引きずり参加の総勢17名。下里君ご持参のまぐろを肴に午後8時過ぎまでカラオケを
    交え楽しく有意義な1日でした。                   (文責近藤)

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第34回 4月22日  講師:原田雄二君 (7組)
          題材:年金の話 「60歳、65歳を迎える奥様の年金受給について。これだけ知って
                   おくと奥様に大きな顔が出来る」
    今回は現在最も我々が身近に感じ、かつ日本の大きな課題となっている年金ニ関する話です。
    講師は千葉県流山市在住、社会保険労務士として地元の市及び郵便局の相談員を経て、現在米国人経営の会社の
    顧問として活躍中の現役。
    今回の講義の項目は
      1.年金制度3階建ての仕組み、我等の年金はどうなるのであろうか?
      2.我等の年代の奥さんは65歳を迎える年代。そこで60歳、65歳を迎える奥さんの年金受給は?
      3.現在話題の共済年金、国会議員互助年金法、年金積立金の見通し。
    等々、数値や表計算資料をまじえて詳しい説明を受けました。
    
    その中で私が印象に残ったのは次の点です。
      1.我等の年金は、この6月の受給分から物価スライドにより0.3%ダウンする。
      2.妻が65歳になると加給手当(配偶者手当:年間263,100円、月割21,925円)が無くなり、
        老齢基礎年金(国民年金)が受給できる。
        更に誕生年に応じて振替加算が受給できる。
        ーーーーーー離婚は65歳から、年金は長生きがお得です。−−−−−
      3.奥様が65歳を迎える2〜3ヶ月前になったら、最寄の社会保険事務所に2人揃って、年金相談に行くこと
        である。最近の事務所は以前と違い懇切丁寧に説明してくれる。是非ご利用願うことを薦めます。
  
                                      (文責近藤))

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第35回 5月27日  講師 足立 政隆 (4組)   題目 「ヨットに関する話」
     
     講師は大学時代ヨット部に所属し、主に横浜本牧港を足場に練習に励みました。
     切出しは、「皆さんヨットというとカッコいい、一度乗せてくれよ。」と言われますが、ヨットは危険な
     スポーツ、初心者などとても怖くて乗せられるものではありません。」からスタート、そして諸々のルール説明、
     ヨットの種類、ヨットはなぜ走るのか、基本的な紐の結び方、etc。
      後半はヨット練習初歩の46分間のビデオを観賞しました。

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第36回 6月24日  講師 小笠原 長武氏 (客員講師) 題目 「学習院こぼれ話」
     
     小笠原氏は丑寅エイト開設以来始めての横中、横高出身以外の講師で安藤浩君(6組)が就職した時の
     会社の10年先輩。と言いますとそれなりの年齢ですが実にお若い。
     我々と同年輩とも言っても過言ではありません。
     安藤(以下君を略)とはなぜか気が合い以降お付合いが続いており、6月5日の同好会レク「横須賀の近代史を学ぼう」
     にも参加なさいました。
     さて、姓の「小笠原」からお判りの通り小笠原家と繋がりのある九州小倉の高貴のご出身で昭和9年学習院
     初等科に入学、同15年卒業、中等科を同20年に卒業、高等科の学生を経て学習院大学を同24年に卒業されました。
     つまり戦前、戦後の変遷する学習院の教育と生活を体験された貴重な方であります。
     さてこのように書きますと、さぞや浮世に疎い雲上人と思いますが正反対。
     安藤との長い間の男の付合いが続いているのでお判りの通り、博識で健全な意志とユーモアを兼ね備えた
     素晴らしい人物です。
     今回は学習時代の体験から話がはじまりました。
     以下、私のメモから要点を記します。

     1.当時の学習院の校長は伝統的に海軍大将が勤め、華族の子弟を軍人に育てる教育を基本としました。
       そして皇族は必ず軍人にならなければならない制度があり、華族という名前から世間で想像すると
       優雅な教育と想像されますが、正反対のスパルタ教育が基本でした。
       しかし生徒は本来はお坊ちゃま。なかにはどうみても軍人には不向きな方もそれなりにおりました。
     2.初等科の時から「教學聖訓」なるバイブルを必携とし常時カバンに入れていました。 
        (今回その実物を回覧、古文、漢文混じりで、私が内容出来るのは1/4程度です)
     3.グループに宮様がいると、周囲は宮様に「威を駆る」感も無きにしもあらずでありましたが、
       院内では全て平等、身分による差別は一切ありませんでした。
     4.教育には軍事教練がありました。
       指導教官の中にはたたきあげの特務尉官もおり、学生の気風として兵学校出身者に比べなんとなく
       疎んじる気持ちも否定出来ませんが、昨今の教師を軽んじ舐めてかかる気持ちとは違います。
       傑作なのは野外演習の夜間訓練の時、指導教官の伝令を大勢の訓練生が耳から耳え伝達する
       訓練がありました。その時の特務教官の渾名はクソまじめなので「バカ特」。
       伝令を伝えているうちに途中の誰かがいたずらをしたのか、以降の伝令がそのまま最後の実直過ぎる
       学生に伝わり、彼が教官に伝令を報告する時に、「バカ特殿に申し上げます。」と大声で言ったので
       一同大笑い。こんないたずらもありました。
     5.印象に残るのは戦争末期に赴任した山梨院長の偉大さでした。
       この方は学生の名前を全て記憶する才能の持ち主で、個々の学生の人格を重んじ、学生を呼ぶ時には
       必ず「さん」付けで呼びます。
       院長は海軍大将の身分、ある時、徴兵を受け二等水兵の身分の岡本という学生(後年東大教授になった人)
       に対面、「岡本さん、海軍の生活はどうだろう」と静かに問い掛けた話は有名です。
     6.戦後直後
       進駐軍の兵隊がジープで学習院に乗り込んで来ました。
       皆萎縮しているなか、下りて来たのは若いインテリの尉官。
       その控えめな態度に一同すっかり感心、見事に4時間で洗脳されたそうです。
       アメリカという国はこのような対応にも素晴らしいノウハウを持っているのですね。
     7.昭和22年、分科甲類を卒業する時に書いた「卒業に当りて」の原稿用紙約6〜7枚の作文を
       朗読してくれました。
       内容は多岐に渉る素晴らしい作文で、特にその中の戦後の学習院の生徒の変りようを憂いる下記の
       項目です。
        1.学習院学生の学校を思う気持ちばかりか外見も薄くなっている。
        2.帽子を被らない学生が多くなっている。つまり学習院の学生たるプライドを失いつつある。
        3.学生の礼を重んじる心が薄くなっている。
          つまり目上の人、教師や親に対する尊敬心を失いつつある。
       そしてスポーツの振興に務め、学生の関心を呼び戻して欲しい、と結んでいます。

    昭和24年、学習院大学を卒業後、当時の闇屋まがいの仕事をしている時、母親が当時の学習院院長の
    安部能成に相談、ボート部の先輩である秋本氏(当時埼玉銀行頭取)の世話でデーゼル機器に入社。
    そして10年後に安藤が入社して来たそうです。
    デーゼル機器を60歳で退社、一時期SECOMの役員を経験しSECOM企業のドライな人事に世の様変わりを
    感じたとのことでした。
    そしてつい最近の2年間、宮中参殿として新年の聖典に従事、その様子を語ってくれました。

第37回 7月22日  講師 小池俊雄  8組  題:競輪
    これまではどちらかと言うと真面目なお堅い話が続きましたが、今回はがらりと議題を変え「競輪」。
    小池君は根っからの競輪フアン。
    そこで是非一度競輪について語って欲しいとの我々の願いに答えてくれました。
    先ずは彼が競輪のとりこになったきっかけ、そして競輪がかっては世間から「バクチ」という色眼鏡で
    見られる異端な世界から平成8年のアトランタ五輪大会では柔道に次ぎ日本が生んだ二つ目のオリンピック競技種目に
    加えれる地位にまで高められるようになった歴史、国内の諸施設、競技の種類、競争方法、戦法、違反行為、
    車券の種類、必勝法、レースの駆け引き、競輪の醍醐味、車券の買い方等々、競輪を愛する彼ならでの話を
    してくれました。
    最後にこの数年間の彼の投資実績を説明し、競輪フアンには破滅する仲間もいることは否定できないが、
    彼は決して家計には危害を及ぼさない範囲で勝負を行い、勝負の醍醐味を味合わしてくれる競輪は、
    自分の生甲斐の一つであると結びました。
    

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第38回  8月26日  講師 安藤浩  6組  演題:漢詩の話

    今回は例会の翌日、講師から出席者に送られた補講を掲載します。

    お早う御座います。
     昨日は講聴有難う御座いました。昨日の話で若干話が散漫に成った点があるので、
     項羽の 「垓下の歌」に続く話をします。
 
         垓 下 歌    項    羽(BC232−BC202)
       力   抜   山   兮   気   蓋   世  力山を抜き気は世を蓋う(おおう) 
       時   不   利   兮   騅   不   逝  時に利あらず騅逝かず (ゆかず)
       騅   不   逝   兮   可   奈   何  騅の逝かざる奈何すべき(いかん)
       虞   兮   虞   兮   奈   若   何  虞や虞や若を奈何せん(なんじ)
 
     O 垓下     安徽省霊壁県の東南。
     O 抜山     山を引き抜く程の強力な力がある。
     O 蓋世     世の中を蓋う程意気高い事のたとえ。
     O 騅       白に青がまじった、項羽の愛馬。
     O 逝く    往と同じ。
     O 可奈何  どうしたら良いであろうか。どうしようもない。
     O 虞    項羽の愛人。項羽は独身であった。
 
    垓下城を取り巻く漢兵に流石の項羽も如何ともし難く、虞を携えて包囲
    の一角を切り開き、江南へと逃げる。遂に虞と共に逃げるのは無理と思い
    垓下の歌を歌う、これは、虞に共に逃げられない事を分からす為の歌で、
    この歌に合わせて虞は何回も何回も舞を舞った後、これに答えてこう歌う。
       
                                                 虞 美 人
 
     漢   兵   已   略   地     四   方   楚   歌    聲 
     大   王   意   気   盡     賎   妾   何   聊    生(なんぞ生を願はん)
 
    漢兵は已に地を攻略し、楚軍の兵士までが城を取り巻き楚歌を歌っている。
   大王も遂に此処まで来てしまった、最早なんで私めが生を望みましょうか。
 
    項羽は太刀を引き抜き愛妾虞の頚を刎る。周囲には真赤な鮮血が飛散りあたりの草原を染める。
 
     項羽は直ちに馬に乗り更に南へと敗走し烏江亭迄来ると、烏江亭の亭長が川岸で舟を繋いで待っていて、
    「大王舟にのれ、江南に逃れん」と叫ぶ。
     これを聞いた項羽は「故郷をいでし日八千の兵を連れ出て、何ぞ一人舟に乗られようか、
     子弟の親に何ぞ面目が立たん哉」と言うやいなや自分の首を刎て自刎する。
     遂にBC202年垓下の戦いに敗れる。ここで勝利した劉邦の漢が成立する。
 
     後に、中唐の杜牧(803年ー852年)が題烏江亭で、もし、項羽が川を渡り逃げ伸びれば、
     江東は優秀な子弟が多いから、再び勢いを盛り返し再期を果さなかったのか、
     その結果はどうなったかわからなかったのに、と歌っている。
 
      題 烏 江 亭    中 唐   杜 牧(803年−852年)
      勝  敗  兵  家  事  不  期     勝敗は兵家も事を期せず
     包  羞  忍  恥  是  男  兒   羞を包み恥を忍ぶは是れ男兒 
      江  東  子  弟  多  才  俊   江東の子弟才俊多し
     巻  土  重  来  未  可  知   捲土重来いまだ知る可からず題す、とあるが、
                              題すとは壁に書くの意味。
 
    更に後の北宋の曽鞏が漢楚の興亡と、項羽とその愛人虞美人とを偲んで詠んだ
    七言古詩「虞美人草」がある。
 
    虞 美 人 草   北 宋  曽   鞏 (そうきょう)(1019年ー1083年)
 
    鴻 門 玉 斗 紛 如 雪     鴻門の玉斗紛として雪の如し
    十 万 降 兵 夜 流 血   十万の降兵夜血をながす
    咸 陽 宮 殿 三 月 紅   咸陽の宮殿三月紅なり
    覇 業 已 随 煙 燼 滅       覇業已に煙燼に随って滅ぶ
    剛 強 必 死 仁 義 王   剛強なる者は必ず死し仁義なる者は王たり
    陰 陵 失 道 非 天 亡   陰陵に道を失いしは天の亡ぼすに非ず
    英 雄 本 學 萬 人 敵   英雄本より学ぶ万人の敵
    何 用 屑 屑 悲 紅 粧   何ぞ用いんせつせつとして紅粧を悲しまん
    三 軍 散 燼 旌 旗 倒   三軍散じ尽き旌旗倒れ
    玉 帳 佳 人 座 中 老   玉帳の佳人座中に老ゆ
    香 魂 夜 逐 釼 光 飛   香魂夜剣光をおうて飛び
    青 血 化 為 原 上 草   青血化して原上の草となる
    芳 心 寂 寞 寄 寒 枝   芳心寂寞寒枝に寄る
    舊 曲 聞 来 似 斂 眉   旧曲聞来りて眉をおさむるに
    哀 怨 徘  ? 愁 不 語   哀怨徘徊愁えてかたらず
    恰 如 初 聴 楚 歌 時   恰も初めて楚歌を聴ける時の如し
    滔 滔 逝 水 流 今 古   滔々たる逝水古今にながれる
    漢 楚 興 亡 両 丘 土   漢楚の興亡ふたつながら丘土
    当 年 遺 事 久 成 空   当年の遺事久しく空となる
    慷 慨 樽 前 為 誰 舞   樽前に慷慨して誰がためにか舞わん
 
    O 虞美人草 ひなげしのこと。
    O 鴻門 黄河が陝西省内で大きく曲がるがそこえ渭水が合流する地点にある。
    O 玉斗 玉で作った杯
    O 流血 殺された。
    O 咸陽宮殿  秦の始皇帝の阿房宮
    O 覇業 武力で天下を取ること
    O 陰陵 山の名前
    O 本学 昔学んだ
    O 旧曲 垓下の歌の事
 
     それでは、今日の勉強は終わりです。お疲れ様でした。   (2004.8.27)


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第39回  2004.09.30  講師:原 慶治君(1組) 演題:歯と健康  聴講者:29名
  
  昨年12月及び今年2月、ニ度の例会に整形外科医の村田君の登板、そして今回は
  歯科医師の原君の登板による歯の勉強です。
  彼は神奈川県歯科医師連盟の理事長、歯学博士で現役バリバリの歯科医です。
  私達の年代は、歯の急速な衰えを感じ、歯に関して知りたい事が山ほどあります。
  今回は私達の健康と密接な関係のある歯の話を、じっくりと聴きました。
  しかし、あら不思議、講師が医師の出番になると、なぜか女性の出席者が増えます。
  講師が持てるのか?、演題が呼ぶのでしょうか。
  今回も大勢の仲間と共に充実した一時を過ごすことが出来ました。

  まず、話の冒頭は彼の趣味「散歩」に纏わる次のエピソードから始まりました。
  彼は健康のために日常散歩を心掛けており、先日朝、葉山の近くの「暮らしの里」を散歩の途中、
  天皇ご夫妻のご一行に御会い、美智子皇后と次の会話を交わしたそうです。
    皇后 「この先の道の先はどうなっているのでしょうか?」
    原君 「勿論この先へまだ行けますけど、皇后の今お履きのお靴ではご無理と思います。」
    そして、しばらく辺りの風景に関して会話を交わし、彼の生涯二度と無いだろう貴重な
    経験を味合うことが出来たとの報告です。

 そして本日の演題「口腔と全身の関わり」という本題に入りました。
  以下私のメモに記した事項を記載します。

 1.口の中は体中で最も不潔で栄養に富む場所であり、物凄い数の各種の細菌の温床である。
 2.8020.この数字は80歳で自分の歯が20本。これぞ高齢者の健康の条件である。
   この条件の達成者の痴呆の割合は、そうでない人より俄然少ない。
 3.入れ歯に関して
   イ.老人が入れ歯を外した場合、
      * 噛むという意欲を減退させ、痴呆度を加速する。
      * 口内が不衛生となり、様々な合併症の要因となる。
   ロ.痴呆がかなり進行している老人にぴったりした入れ歯を与えたところ、
      * 時計が読め時間の認知が出来るようになった。
      * 身辺の世話を自分でする意欲が急増した。
   ハ.入れ歯は金をケチるな、合わない入れ歯は諸々の病気の要因である。
 4.歯と糖尿病との関係
   糖尿病の合併症の一つは血液障害は毛細血管の多い場所に表われる。
   目に来れば失明、足に来れば下肢切断、口内に来れば歯根障害。
   その結果、歯の障害となる様々な病気を引き起こす。
 5.痴呆、惚けと歯の関係
   噛むことによりアドレナリンの分泌が増し、脳内の海馬を経て通常は約2時間で記憶力に働く。
   また軟らかい物より硬い物を噛むことがより効果がある。
   この到達時間が行動の速さや記憶力に影響し、惚けの度合いの尺度になる。
   「8020」はこのためにも、達成することに心掛けて頂きたい。
 6.いびき、睡眠時無呼吸症と口内との関係
   顎の位置を矯正し気道を広める等の治療が実施されつつある。
   疑いのある人は是非相談されれば、専門医師を紹介出来ます。
 7.その他
   * 歯の健康のための食べる順番は、ネバッ気の多いものを先に野菜を最後に。
   * 歯磨きの効果は食後3分以内、毎回実施に務めること。
   * モーター式歯ブラシは歯磨き時間の短縮に効果がある。
   * 最新レザー治療について
     彼の息子さんの治療室では、治療にレザーを使用しており、本日親父の応援に
     同行の本人より、次の説明がありました。
      従来のガリガリ削る方式に較べると、治療の痛みの軽減には画期的な効果がある。
      但し、現段階ではレザーにより患部を完全に除去するまでには至っていない。
まだまだ沢山ありましたが、記載を省略します。
最後に。本日の講義は、原歯科医院の総スタッフ5人が応援。中味の濃い講義でした。
尚、来年1月に今回の続編を考えており、確定次第ホームページ上に記載します。

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