横八会員投稿 No.216

題名   試練の年の幕開けに
投稿者  伊藤 博 (7組)
掲載   2008.01.01 

 試練の年の幕開けに

 大晦日の日本経済新聞のシリーズ「試練の2008年・日本の進路」にて、大勲位殿が2007年の与野党が逆転した「ねじれ国会」に触れて所信を述べている。曰く、

「そのまま放置することは良くない。社会の不安を招き国際的に日本の力が非常に衰えて見える」と。

確かにこのような現象は近年になかったことである。

 然るに、これは二院制の本質に触れる問題でもある。その原点に立ち返って参議院の存在意義を考える時、良識の府として政党色に捕らわれずに高度な広い視野から国益を考えて法案を判断するためにある。衆議院から廻ってきた法案を常に党利党略で自動的に承認するのであれば参議院の存在価値はない。この視点から見れば、「ねじれ国会」はシステムとしてはむしろ正常であり、だからこそ両院が緊張感を保ち、衆議院も参議院で法案を通すために真剣に一層の努力を傾注することになる。

 IBMの役員会では、全員一致の議案は決して採用しないと言われている。各自の意見はまちまちが当然で反対意見がまるで無い全員一致はどこか可笑しい、という見識である。

 更に、元首相は日本の国際競争力に触れて、

「日本には戦後60年の政治からくる金属疲労がたっまっている。教育改革や道徳論を強化しろと言う人もいるが、そういうことをやっても凶悪な殺人とか食品の偽ブランド販売といった問題がすぐ消えるものでない。焦らず、ひとつひとつきちんと改革を積み上げるしかない。政治が先行して道を切り開く責任がある」とし、更に、

「20世紀の終わり頃に日本はあらゆる点で世界的な水準に達し、安心してしまった。21世紀に入ってからは、20世紀の恩恵を享受するだけで、新しい価値をつくっていく点が欠けている。今の政治は改革を叫んではいるが、議会や政治の在り方、官僚体制、政治と経済の関係といった基本問題にさわってはいない。改革という言葉はもう疲れてしまっている。国のかたちの改造に、政治家自身が打って出て行かなければならない」

と政治の停滞に警鐘を鳴らしてさすがに慧眼である。

 だとすると、この論を更に一歩深めて、この60年間で蓄積した金属疲労の遠因は「ねじれ無き国会」にあったのかもしれないという事実にメスを入れる必要があるのではなかろうか。「ねじれ国会」を異常と見なす自己矛盾から脱して、「議会や政治のありかた」の基本問題から改革に着手しない限り、正解に至る門は狭いのかもしれない。

 民主主義は多数決が原則だが、多数必ずしも真ならず。愚衆政治に陥る危険性は片時も忘れてはならないからである。

トップに戻る
寄稿の目次へ