横八会員投稿 No.200

題名 会津藩校「日新館」
投稿 伊藤 博 (7組)
掲載 2007,10,30

歴史探訪・三浦半島に縁の深い会津藩校「日新館」を、季節の写真を伴に添えて寄稿します。

   
歴史探訪

                会津藩校・「日新館」 

幕命により江戸湾防備のために三浦半島に派遣された諸藩の中で、「藩校の分校」まで新設して、
腰を据えて駐留したのは会津藩のみであった。

その(会津の本校)「日新館」は戊辰戦争で残念ながら焼失したが、幸い原図が焼け残ったので、
昭和63年に会津の精神文化を後世に伝えようと、
場所を移して完全復元され、正確に当時の
ままの勇姿が見事に甦っている。(写真参照)

その規模・内容ともに江戸時代の全国三百藩校中随一で追従をゆるさず、多くの訪れる人に深い
感銘を与え、一見に値する史跡である。

五代藩主松平容頌(かたのぶ)の時代に、家老田中玄宰(はるなか)の進言、

        「教育は百年の大計にして、藩の興隆は人材の養成にあり」 

により、5年の歳月をかけ享和3年(1803)に、鶴ケ城の西側に一大学問の聖堂として完成したものである。

その規模は、面積実に8,000坪余と広大。(東西240メートル、南北160メートルの白壁を巡らす)
大成殿(孔子廟)を中心に、多数の学塾、武道場が整然と並ぶ。

教育内容は、6才(素読)から入学。大学まで完備。書学、礼式、医学、弓術、砲術、向井流甲冑付き
水練(練習池・日本最古のプール完備)、天文学(天文台付き)。

大学を卒業後は選ばれて、江戸昌平坂学問所(湯島の聖堂・東大の前身)に進学する者あり。
更に驚くことは、当時から学校給食が行われていたのである。

更に感銘するのは、これだけ立派な旧跡の復元を実現したのは、何と市ではなくて、民間のガス会社の
社長が私財を投じたものであることを知り、歴史の培った会津精神の発露の麗しい事例を目の当たりにした。

因みに日新館の幼年者教育の基本である「什の掟」を紹介し、参考に供したい。

                 什の掟

    1.年長者の言うことに背いてはなりませぬ。
         2.年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。
         3.虚言を言うことはなりませぬ。

    4.卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
    5.弱い者をいじめてはなりませぬ。
    6.戸外でものを食べてはなりませぬ。
       7.戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。

      ならぬことは、ならぬものです。

       会津・日新館 その1                   会津・日新館 その2
 
                    
                   紅葉の磐梯、中津川渓谷 
             

トップに戻る
寄稿の目次へ