横八会員寄稿 No.126 


題名:風船爆弾余話
寄稿:伊藤 博(7組)
掲載:060719

北朝鮮のテボドンに関連し、私近藤の風船爆弾を連想させた書込みの一件は、風船爆弾の発想が
科学的日本人の象徴として、我が世代に鮮やかな記憶を残したからでしょう。

風船爆弾に関し、数人の方々からの反響を頂き、本日伊藤君から風船爆弾に関する記事が届きましたので
以下に掲載させていただきます。


              風船爆弾

「文藝春秋」臨時増刊 「昭和の瞬間」(1988年8月号)より抽出要約

 

1.陸軍第九技術研究所付きの草場季喜大佐が。昭和19年5月に開発した新気球爆弾。
  直径10メートルの気球によって、冬季の偏西風の最も強い1万メートルの高度を飛  
  ばし、太平洋を約72時間で超え、30キロ程度の爆弾または焼夷弾をアメリカ本土 
  に投下する設計。
   気球は良質の紙で作られ、コンニャク糊で塗り固め、等高度を保つ装置が付けられて 
   いた。(「富号試験」と称した)

2.昭和19年9月、参謀総長の機密直属部隊として、米本土攻撃を任務とする気球部隊
  が編成され、11月3日明治節の早朝をもって攻撃開始、翌20年4月にかけて約
  
9300個が放球され、その内の1割が北米大陸に到着したと考えられる。

3.当時の金で1000万円をつぎ込んだこの作戦の成果は、ボヤ程度の森林火災2件と、
   ワシントン州ハンフォードにあった原子爆弾製造工場の電線に落ち、電流が一時的に
   中断した。

4.満州第731部隊(石井中将)にて、すでに完成し準備完了していた陶器製の細菌爆
   弾(ペスト菌感染に感染させたのみをばらまく)の搭載は、天皇が国際信義に反する
   ことと、米国の報復攻撃を恐れて裁可せず。

  米国は、致死性持久ガスのマスタード(イペリット)ほかルイサイトを主体とした糜
   爛ガス18種を大量に準備していて、もし、日本が細菌兵器を使用したら、ほぼ
  7週
間後に、液状にしたマスタードガスを雨のように降らす数十機の攻撃機が、
  戦闘機の
護衛のもとに基地から飛び立つ、さらに、100ポンドのガス爆弾をつんだ
  爆撃機が
本格的なガス攻撃のため出撃するという米軍の意図を掴んでいた。 

                                  以上

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