横八会員投稿 NO.72


投稿者 伊藤 博 (7組)
タイトル  歴史探訪 「善玉・飯岡助五郎に関する後日談」
掲載   2005.11.05
 

         善玉・飯岡助五郎に関する後日談

 

 本稿のNO.64,70を通して紹介してきた悪玉・助五郎の汚名挽回の努力の後日談に触れて、
この一連のお話の幕としたい。

 

 前述の通り、地元・飯岡では助五郎を本来は善玉となっているのに、三代目宝井馬琴による虚実を取り混ぜた脚色により、いつの間にか悪玉にすり替えられて、その仁侠話が江戸で大当たりをしたのを知り、地元としては憤懣やるかたないままに、やがて時代は明治に移った。 

 

 当時、飯岡にて「寄せ」や「人力車」等を手広く経営していた事業家・伊藤万兵衛氏[飯岡助五郎正伝の著者である伊藤実氏の祖父]は、いまだ情報伝達の手段の乏しい社会においては、講談がいかに庶民へ大きな影響力を与えることをよく承知していた。

 そこで、助五郎の汚名挽回のために、講釈師・松カ家大瑠に依頼して、改めて助五郎の実態を調べさせて、「改訂天保水滸伝」と称する新たな講談に纏め上げて、善玉の助五郎像を講じさせると共に、明治33年には、その聴き採り記録を自費出版までしている。その復刻版は、平成16年7月に崙書房より出版された。

 

 然しながら、その努力も甲斐無く、

 @最初に演じられた三代目宝井馬琴の講談で、すでに助五郎の悪玉説が   

  大当たりしたインパクトがあまりにも強く、それが広く大衆に膾炙されて、

  デファクト・スタンダードとなってしまっていたことや、

 A善玉説を唱えた「改訂天保水滸伝」の発刊は二番煎じであり、その文体も

  文語調で一見して取っつき難くかったこともあり、汚名挽回はさして世  

  に知られずに今日に至っているのである。

 

  以上、侠客・飯岡助五郎をめぐる誕生から生涯の虚実皮膜、悪貨が良貨を

 駆逐した一説、まずは、チョン!(扇子で見台を叩く音)これまで。

     
飯岡助五郎に関する面白いホームページを見付けました。
伊藤 博君の話に続いてお開き下さい。
 (近藤追加)

 面白いページへリンク

 トップへ戻る
一覧へ