横八会員投稿  No.50

タイトル:慶応元年、これからの日本を決めた勤皇の志士
投稿:梶川諭(1組)
掲載:2005.08.09



今この写真が骨董市場に出回っています。
慶応元年二月から三月十八日までの間に、
長崎へ終結をかけられた各藩の勤王党は、
西郷南州翁及び勝海舟等と共に

日本の統一をどのようにしたらよいか王政復興後は
どうなって行くかを議論した時の記念写真と云われております。


皆さんどう思いますか。もし本物でしたら、
歴史上の貴重な資料に成るのですが。
     

        ご意見ご感想をチャットにお書込み下さい


 トップへ戻る
一覧へ


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
上の写真に関して伊藤博君(7組)より下記のメッセージが寄せられましたのでご参考までに。
                                       
                                                       
さて、今回はまた同時に懐かしい写真を拝見しました。
お送り頂いた勤王の志士の集合写真につきましては、以前に学問的に歴史的見地から調査をしましたので、
これにを含めてこれ以外の周辺の多数の写真と文献を所有しています。
いずれ機会を見て上梓しようと思っています。
従って、この集合写真に関しては、巷ではお説の通りに云われて流布しておりますが、この写真が初めて世に
紹介された事情から全て承知しております。

上野彦馬(わが国の写真の祖)が撮影したものとされています。
中心の外人は、フルベッキ(宣教師)と息子のウイリアムです。
お雇い外国人で、長崎他で当時の多数の志士(大隈重信他)を教育したことは事実です。
最終的には枢密院の顧問となり、なくなった時は
儀仗兵が礼砲を撃ち純国葬扱、現在青山墓地に眠っています。
 
しかしながら、一緒に写っている人々の名前の特定に関しては、よく似ている人もいますが真偽に問題があります。
その根拠は、端的に結論のみをお話しすれば、

@ この志士の名前を特定した人は、明治・大正・昭和を生き抜いた有名なさる右翼の大物とされています。
   その人は元勲の一部の人とは同時代でしたが、幼すぎて元勲を識別できたとは思えないという事実があります。

A これは長崎で撮したとされていますが、志士の個々の年表をみると、一緒であった事実は薄くなります。そこで、
  合成写真であると解するのが一般的です。

B 特に、明治天皇と称する少年が写っていますね。これこそ、明治天皇入れ替わり説という、大変不敬なるお話の
  一つの根拠にも繋がるエピソードがあるのです。これについては、幾つか本が出でいます。
 
この写真が、世に出て以来、真偽の程は度外視して、もっとらしく売買されて今日まで来ています。
従って、何年かに毎に、いつも話題になっています。