横八会員投稿 No.618

投稿者:伊藤 博
題名:歴史探訪、回想録から学ぶもの
掲載:2015年7月17日


歴史探訪

 

             回想録から学ぶもの

             

 横須賀米軍海軍基地には艦船修理のドライドックが6基ある。
それらは全て旧日本海軍鎮守府の海軍工廠で建設さしたものが現在もそのまま使用されている。(添付・産経新聞)

話は敗戦時の70前に遡る。全国の主要都市が米軍の空爆により壊滅的な被害を被った中で、
旧帝国海軍の中枢・鎮守府のあった横須賀が何故爆撃を免れて、現在までそのまま存続することが出来たのか。

人口に膾炙されている説では、日本の敗北を明らかに予測していた米軍は、占領後に海軍工廠の施設全てを
そのまま使用する意図があったので、敢えて爆撃の対象から外していたという。この風説を敗戦から今日までの
70年間の長きにわたり何ら疑わずに信じてきた。然し、真相は、時の流れの中で思いもかけない時にゆっくりと
浮かび上がってくる。

横須賀米海軍基地第4代司令官・ベントン・W・デッカーは回想録「黒船の再来」(横須賀学の会訳、
Kooインターナショナル出版部2011年8月刊)の中で、全くこれまでの知見を覆す事実を述べている。

それによると、当時の米軍太平洋司令部(パールハーバー)には横須賀に関する政策は何もなかった。
その高官の中には、「日本を放棄してロシア熊の餌食にせよ」という極論まであり、デッカーは前任司令官からは、
「基地を爆破して、米兵全員を帰還させよ」との提言まであり、また、米海軍極東司令部参謀長からは、
「ドライドックを何時爆破するのか」と何度も催促されたと述べている。
 

然し、これに対しデッカーは、近い将来ソ連に対抗する戦略上で、西太平洋に米軍基地の強力な橋頭堡を築く
必要性を強く感じていたので、もしこの上層部の命令通りにすれば、壊滅的な戦禍の被害が甚だしい日本人を一層貧困にし、
そこにつけ込むソ連の奴隷となることは必定と考えて、この目先ばかりを見た命令には従わず、基地の保存と充実に注力した。

彼のみが、横須賀こそが西太平洋における米海軍の理想的な基地であると見抜いていた。国中から集まる労働力、電力、
水が無限に供給され、外敵から身を守るに相応しい湾に

位置し、船台、クレーン、病院、倉庫、地下壕(1、200本)、その上に、米国最大の空母も容易に入梁できる
世界最大級のドライドックも完備。すべて建設済で使用可能なそれらの経済効果は、当時の金額で6億ドル相当の工場に
相当するものと評価していた。

 

案の定、まもなく始まった朝鮮動乱、それに続くベトナム戦争では、米海軍横須賀基地はそのもてる能力をフルに発揮して
米軍への貢献度は極めて大なるものとなり、今日の波乱高まる四海の抑止力に続いている。

歴史に「IF」は在り得ないが、もし、デッカーが上層部の命令の言うなりに旧日本海軍工廠のドライドックを全て爆破し
工廠を跡形もなく破壊し使用不可能にして米軍が本国に引き上げていたとしたら、日本をはじめ東アジアの情勢はいかなる
ものになっていたであろうか。

戦略の優劣の考察は、信頼できる証拠や当事者の証言を元に、長期的な視点からその正否を検証して客観的に判断すべきであろう。
もし、デッカー元司令官の回想録がなかったら、米軍横須賀基地存続の経緯の真相は時の流れに消されて、
誤解だけがそのまま伝承されてゆくことになったであろう。

旧日本海軍工廠が現在まで生き残った奇しき経緯を学ぶとき、職責を賭して信ずる道を選んだ、元横須賀米海軍基地第4代
(1946年4月
~1950年6月)司令官ベントン・W・デッカー大佐の知られざる英断に深い敬意を表せざるを得ない。



 主要項目へリンク   20150622版
表紙に戻る 勉強会丑エイトの頁 横八会員チャットの頁
八期会の頁 レクリエーションの頁 横八会員投稿の頁
八期会インホメーション 囲碁同好会の頁 横八会員自作のHp
行事カレンダーの頁 ゴルフ同好会の頁 母校、朋友会の頁