横八会員投稿 No. 616

投稿:石川勝之助(1組)
題名:平成版「奥の細道」
掲載:2015.07.06

編集より:当文はチャットに寄稿されましたが、読み易くまた今後残したいため
     全文をコピーし投稿欄に重複し掲載します。


私は7月2日~5日の3泊4日で岩手・宮城両県下を旅行してきました。
東日本大震災の被災地である宮古と気仙沼、そして世界遺産の中尊寺と毛越寺を巡回してきました。
見聞した現地の状況と脳裏に深く刻まれたいくつかの感想をお伝えしようと思います。

『その1: 被災地』

まず東日本大震災の被災地につきましてはその状況は想像以上で筆舌に尽くしがたく、自然の猛威
の恐ろしさを改めて認識しました。

地震発生後いち早く高台へ避難して生命だけは救われた人、自宅へ戻り貴重品を身に着けた瞬間津波に
流された人などほんの一瞬の判断が生死を分けました。
建物も一メートルの高低の差で何ら被害のなかった民家と津波に巻揉まれた民家とに分かれました。
全て紙一重の喩えの通りだったとのことです。

4年経過した今でも地殻変動により海岸沿いに1メートル以上陥没した場所があり、地震の前の海岸線が
後退したとのことです。
最近はその後時間の経過とともに再び隆起しつつある場所がいくつかあるとのことで、その都度岸壁の
高さが変わるのでその調整も必要とのことです。

津波に負けず残った鉄筋ビルは残ったもの壁面が歪んだまま現在は仮の資材器材物置となっていますが、
ゆくゆくは解体することになるのでしょう。
防風林の灌木は横になったまま生き返るのか、枯れるのを待つのか放置されています。

旧商店街が流された跡地に仮設商店街が並んでいて、戦後の被爆地のヤミ市場を彷彿とさせます。
通常の店と比べ少し値段が高いかナと思いましたが、お土産などを買いました。旅行者がなるべく多く
の金を使うことが被災地の回復に役立つのかなと貧者の一灯を置いてきました。

津波の水は船舶・車輛の燃料(重油・ガソリン)を陸地に運んだため山火事が発生し、マツタケ林の
松の木を焼き尽したそうです。
漁船を失った漁師は再び漁に出ることはできません。
農地を失った農民は耕作ができません。
産業構造が変化して、若者は近隣の都市へ流出し被災地に残るのは老人と子供という人口構成が進行しています。

津波発生当時すぐには公的支援を受けられない状態がありましたが、近隣の人々は家族、親族のように
衣食住を分け合ったとの話を各所で聞きました。聞いている私も貰い泣きの涙が出てきました。
略奪、窃盗、家宅侵入はなかった(だろう)とのことで大変感動しました。

まだまだ記載したいことは沢山ありますがこの辺で止めときます。

『その2: 世界遺産』

次に世界遺産について述べます。平泉には中尊寺と毛越寺という2つの世界遺産がありますが私はこれまで
立ち寄ったことがありませんので少し駆け足気味でしたが両方訪れました。
この世界遺産はその規模、背景とも日本が世界に誇ることができるものだと思います。

両古刹とも12世紀に奥州藤原氏が建立、4代にわたり栄耀栄華を極めたのですが、最後は鎌倉幕府により
殲滅されました。松尾芭蕉の名句を口遊みつつ北上川の流れを見下ろし、300余年の時の流れに感銘しました。

金色堂は現在、近代技術の粋を組み込んだ鉄筋の建物の中に安置されています。その見学中、偶さか
ドイツの古都ケルンから訪問したという金髪碧眼の青年と日欧の宗教建築につき立ち話をしました。
ところどころドイツ語を入れたのでその青年は迷惑したでしょうが“Entschuldigung”(失礼します)で許してもらいました。

この境内では高齢ながら元気いっぱいの女性ガイドさんから90分間の説明を受けました。少し地元言葉が混じり
ましたがこれも貴重な東北の文化財です。本当はもっと純度の高い東北弁があるのですが、
観光客に配慮して手加減したのでしょう。

追記:
最後に大震災からの復興、過疎化の進む東北地方、それと同時に日本の農水産業の現場を直接見ることができました。
その結果、政治家の破廉恥行為の実態とその根源が少し見えてきましたが、この点は横八の皆さんから
甲論乙駁の議論が出てくるでしょうから今日は避けておきます。

 主要項目へリンク   20150622版
表紙に戻る 勉強会丑エイトの頁 横八会員チャットの頁
八期会の頁 レクリエーションの頁 横八会員投稿の頁
八期会インホメーション 囲碁同好会の頁 横八会員自作のHp
行事カレンダーの頁 ゴルフ同好会の頁 母校、朋友会の頁