横八会員投稿 No.604

投稿者:成瀬哲郎 (5組)
題名:大先輩、位野花・靖雄氏のイエーメン風土記
掲載:20150412

大先輩、位野花・靖雄氏の中東に関する論文が送られてき来ましたのでご参考に。
今回は前2回のように堅苦しいものではなく、今財政とテロで国家の存亡の危機にあるイエーメンに
ついて、政治から離れた紀行文を紹介します。

付記  近藤礼三

イエーメンで我が40年前の記憶を想いだしましたので付け加えさせて頂きます。

1073年5月から1年10ヶ月、サウジアラビアの紅海側の最大都市ジェッダにて既設セメント工場の拡張工事で
駐在しました。
サウジアラビアといえば中近東最大の石油産出国として有名ですが、石油が出るのはペルシャ湾側の沿岸の
限られた一帯だけで、紅海側は石油は皆無の換わりに、ジェッダを中心に回教の聖都メッカ詣と商業都市として
の歴史も長く繁栄しています。

住民は産油で手厚い保護を受けている自国民、出稼ぎの諸外国人、そして国境越えの貧しいイエーメン労働者と
の混合で、イエーメン人は「ヤーマーニー」となかば半ば軽蔑的に呼ばれていますが、労働力はこれらの出稼ぎの
イエーメン人が主力でした。

また当地一体は地理的には、沿岸から数10キロ内陸に入ると2千メートル近い山岳となり、都心から車で僅か1時間
も走ると、高温多湿の低地とは別世界の気候に代わり、皇族やビップの避暑地もあり、私が行ったのはその地点まで、
道路はその先の隣国イエーメンまで延びていました。

イエーメンの気候は沿岸地帯はサウジアラビア以上に高湿高温ですが、国の中枢は内陸は2千メートルの高地
にあり、気象条件がそれほど厳しくないため、古代には対岸のアフリカや東洋との交易で繁栄したのでしょう。
しかし現在は文明に取り残された貧困の国だそうです。

私がサウジに駐在中、所属する会社はイエーメンのセメント工場建設プロジェクトを受注し、同僚が駐在し現地情報が
時に伝わり、その中の興味ある3話を書いてみます。

その1.
イエーメンの家庭にはゴミ箱がなく、ゴミは全て家の前の道路にぶち撒くのが通常だそうです。
するとどこからとなく羊が寄ってきて家庭ごみは全てたいらげ、家財ゴミは人間が拾っていき、いつのまにか
さっぱりと無くなるそうです。

その2.
位野花氏の文にも刀の話が載っていましたが、イエーメンの男子の成人は、日本の江戸時代の侍のように、
常時イエーメン刀を腰にぶら下げているそうです。
それで喧嘩で斬りあいがあったという話は聞いたことがない、まあ、それだけイエーメンの男性はおとなしい、
悪く言えば無気力だという話でした。

同僚の一人が帰国時の土産にイエーメン刀を持ち帰り、得意になって皆に見せていましたが、よく税関検査を
パスし持ち込めたのか、今では考えられません。

その3.
イエーメンの庶民の住宅は、殆どがレンガ構造ですが、先ずは平屋、家族が増たり、商売が繁盛したり、出稼ぎの
仕送りが入ったりすると、2階、3階,4階建てへと必要に応じて建て増して行くそうです。
それにしてもよくも崩れないのかと同僚は感心していました。
一般に中近東の庶民の住宅はこのタイプが普通なのですが、地震や降雨の少ない地域ならの知恵です。

話は飛びますが、当時はサウジアラビアは石油パワーで国中が建設ラッシュが始まりかけた時点で、
ペルシャ湾側の石油地帯は韓国パワーの労働力が頼り、一方紅海側は陸続きのイエーメンからの国境越えの
労働力により支えられて発展しました。

当時は韓国から15万人を越える労働力が中近東へ出稼ぎになだれ込んだなんて、今アンチ・ジャパンで
鼻息の荒い韓国からは考えられないでしょう。

一方イエーメンは韓国の発展とは逆に、今財政破滅とテロで国家が滅亡の危機に晒されています。
国の明暗は5〜10年単位で変化するようです。
今から5〜10年後、日本はどうなっているのかは神のみぞ知る、ということでしょうか。

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