横八会員投稿 No.577

投稿:伊藤 博(7組)
題名:東京新聞の記事に関する反響より
掲載:2014.08.05

*ウノ目タカの目*

          東京新聞の記事に関する反響より

掲題に関して先に寄稿ましたが、その新聞記事を読まれた学僚のJ先生から、このテーマにつき未だ判断が付きかねて迷っている、との趣旨のMailが入りました。

 以下は、それに対する返信です


J先生

人間は誰しも先を確実に読めるわけではありませんので、予測し行動を決する「判断」・「選択」ほど難しいものはありません。

しかし、日常生活はそれを明確に意識していませんので、無意識のうちに行動しています。よく考えてみれば、無事でこれまで生きのびて来ていることだけでも幸運で、「生きてるだけで丸儲け」と思うのが正解でしょう。

後出しジャンケンなら誰でも確実に勝てます。勝敗が決した後の賭け事なら、勝った方に賭ければ負ける確率はゼロになります。勝敗が判らないところにこそ、判断の難しさが問われます。

そこで大切な要素は、「時間の制限」です。洞ヶ峠を決め込む余裕がない場合の「選択」こそ、日ごろの蓄積がものを言います。言われるままに付和雷同で自分自身を誤魔化して一時的に安息を得るか、敢えて自分の信ずる方向を選択して賭けてみるか、この二つに一つで中間はありえないデジタルの世界です。

そこで、万一予測がはずれたら、謙虚に反省して思考の再構築を試みて新たな道を模索する、生きているということは正にその修正の連続だと承知しています。PDCAサイクルを止めてはならないということでしょう。

家を一歩出たら、何があるか起こるか判りませんし、無事の保障など全くありません、しかし、それを考えていたのでは何もできません。昨日まで何にも起こらなかったから、今日も同様であろうと無意識で行動することができるから生きることができるのでしょう。     

しかし、過去の軌跡から読んだトレンド通りに未来が動くとは限りません。環境は絶えず変わっていますので、過去の知見が未来に必ずしも当たるとは限りません。

未来の予測は人知を超えた領域ですから、先のことは判らない。あらゆる予測は蓋然性に過ぎず必然性を意味しません。だからこそ、未来の「判断」・「選択」・「決断」は、宗教の必要性の心髄に触れる一面があるのでしょう。

然るに、世界は動いています。要は、「与えられた時間は待ってくれません」ので、ある時点で「一つの選択」をする意義と必要性を感ずるままに雑駁ながら記しました。釈迦に説法の失礼をお詫びしつつ・・。

                        伊藤

                        緑陰にて

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註:私は東京新聞を購読していないため、首題及び投稿者の主張が理解出来ないまま、敢えて掲載させて頂きました。
  横八Hpは横八仲間のホームページであり、投稿する内容もそれなりの配慮も必要です。
  投稿者だけではなく、会員が「これは目を通してやろう!」と興味を注がれてこそ、投稿が生きて来ると思います。

                                            編集者:近藤礼三