横八レク 第33回 平成25年初詣の報告

                              1月17日   近藤礼三

日時:平成25年1月16日(水) 集合 京急生麦駅集合10時
行き先:生麦事件参考館、生麦記念碑立ち寄り
     キリンビール横浜工場見学、昼食 その後 川崎大師に初詣     
     京急川崎駅帰着は午後5時半頃でした。
参加者:近藤、神澤、足立夫妻、吉田、堤箸、小松、知久、永井  合計9名
出費  :キリンビール昼食ランチ\1,350、飲み物、
      参考館への土産を合計し徴収は1人当たり\2,200でした。

3日前の14日(月)、関東地方を襲ったゲリラ豪雪の残雪が消えぬ3日後の寒い朝にも関わらず、
9名全員は見事定刻に集合、駅前から徒歩5分の参考館に着きました。

当地の造り酒屋の当主の浅海氏(現在82歳)は、兵役から戻り昭和20年代のある時、知人に生麦事件
のことを問われ、当地で起きた国を揺るがす一大事件であり、薩英戦争を経て日本を開国に向かわせる
一要因になったと言われているにも関わらず、事件を記録する資料があまりにも保存されていないことに
発奮し、私財を投じ資料収集に努め、自宅の酒蔵を改造し、参考資料や品々を保管し、また自らも事件を
学び、望まれれば事件を解説し展示の品々を説明して下さるという得難い人物であります。
              横浜市 鶴見区 史跡や神社・寺8

今回鶴見区のホームページにて見付け、浅海氏に連絡し訪問することが出来ました。
氏は旧制鶴見中(現鶴見高校)卒、往時のライバル旧制4中・横須賀中学の後輩の我等の訪問を歓迎し、
生麦事件をビデオながらも1時間にわたり説明して戴きました。
時代劇を思われる当事件は、僅か150年前に我々の身近な場所で発生し、当時の鎖国の弱小国の
日本が開国を経て現代に至る急速な発展を改めて認識し、大変勉強になりました。

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ここで復習しましょう。


■生麦事件
幕末、薩摩(さつま)藩士がイギリス人を殺傷した事件。1862年(文久2)8月21日、幕政改革を実現させた
島津久光(ひさみつ)は、江戸をたち帰洛(きらく)の途にあった。

東海道神奈川宿の東、武蔵(むさし)国生麦村(横浜市鶴見(つるみ)区)に差しかかったところ、行列の前に
騎乗のままのリチャードソンらイギリス人4人が現れた。
4人の行為を無礼とみた供の奈良原喜左衛門(ならはらきざえもん)ら数名が斬(き)りかかり、リチャードソンは
絶命、2人が重傷を負った。
激高した横浜在留外国人は実力報復を主張したが、イギリス代理公使ニールは外交交渉による事件解決
を図った。

しかし、幕府を通じての犯人引き渡し要求に対して、薩摩藩は浪人岡野新助が犯人だが行方不明との
届けで押し通した。

  
岡野新助という名は架空の人物で、薩摩藩は最後まで奈良喜左衛門以下数名の名を明かさず
    彼等は後年相応の出世をとしたとのことです。 (浅海氏の解説)

そこで同公使は、翌年2月、幕府に対して正式謝罪状の提出と償金10万ポンドの支払い、薩摩藩に
2万5000ポンドの支払いと犯人処罰を要求した。5月幕府はこれに応じたが、薩摩藩があくまで拒否したため、
7月薩英戦争の開戦となった。→薩英

■薩英戦争
幕末、鹿児島で行われた薩摩藩とイギリス艦隊との戦闘。1862年(文久2)8月の生麦(なまむぎ)事件に関し、
幕府はイギリスに対し公式謝罪と償金10万ポンドの支払いに応じたが、薩摩藩は犯人の引渡しと償金2万5000
ポンドの要求を拒否した。
そこで翌63年6月27日、イギリス艦隊司令長官キューパーは鹿児島湾に侵入、翌日犯人の処刑と前記償金の
支払いを求めた。
しかし交渉は進展せず、7月2日イギリス艦隊は薩藩の汽船天祐(てんゆう)丸など三隻を拿捕(だほ)した。
薩藩の天保山(てんぽうざん)砲台はじめ各砲台も発砲、旗艦ユーリアラス号では艦長ジョスリング大佐、副長、
水兵(7名)が戦死、6名が負傷した。

旗艦の弾薬庫前に幕府償金の箱が積まれていたため、砲撃が2時間も遅れたという。
3日も小戦闘が続いが、4日に至りイギリス艦隊は、食料・弾薬・石炭の欠乏、船体修理のため退去、横浜に帰った。
英艦のアームストロング砲は、薩藩の旧式砲の4倍の射程距離をもち、集成館、鋳銭所や城下町の1割を焼亡した。
死傷者は、イギリス側が戦死13、負傷50名に及んだが、薩藩側は戦死5、負傷十数名にすぎなかった。
しかし薩藩側ではイギリス海軍の威力を認識し無謀な攘夷(じょうい)を反省する機運が生まれた。

講和は、薩藩が大久保利通(としみち)・重野安繹(しげのやすつぐ)らを交渉委員にたて、償金を幕府の立替え払い
で支払い、イギリス側も薩藩の軍艦購入を周旋するなどの条件で成約した。

  
*薩摩はこの償金を幕府から借用するにあたり、返済期間は何と250年、つまり薩摩は幕府を
   完全に舐め切っていたということです。 (浅海氏の解説)

以後、薩英関係は急速に緊密となり、薩藩のイギリス留学生派遣なども実現、討幕運動における同藩の地位を
高めることとなった。〈

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今回はキリンビールの見学予約が10時30分のため、館内資料及び隣接の酒蔵の保存資料を
見学する余裕がなかったのが残念、全員後日資料だけでも見たい思いで浅海氏と別れました。

そして参考館から徒歩10分でキリンビール横浜工場
              KIRIN_キリングループの工場_キリン横浜ビアビレッジ
               
製造工程を見学、ビールの試飲、ほろ酔い機嫌で館内レストランでランチ昼食、もう一度乾杯、
工場を後に生麦駅への途中、旧道脇の記念碑に立ち寄り生麦駅へ。

そこで夕刻からの別用のある吉田君と別れ、全員は川崎大師へ初詣。
大師境内を一巡し夫々名物の「くずもち」を土産に、駅前の喫茶店で一休み。
その後、知久君は大師線に乗るチャンスはこれから無いかも知れない、この機会に終点駅を見たい
との希望に永井君1人を除き全員がお付き合いで、川崎駅行きと反対ホームへ。

この「くづもち」は意外に重い、人の良い永井君は松生、今成両君の土産を抱え彼1人は川崎行き
ホームへバイバイ。

というわけで7名は川崎大師から終点小島新田へ、そして川崎駅に戻り横浜駅で解散し初詣の一日は終了、
今年1年のスタートです。
 
  参考館にて浅海氏の解説ビデオを見る。       キリンビール試飲コーナーにてお土産を物色
 

 

           キリンビール横浜工場、レストラン「ビアーポート」にて会食
         

                   3日前のゲリラ残雪の園内で記念撮影     
         

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